別れ
ユウリは旅支度をしていた。
用心棒の給料で買った、頑丈な帆布製のバックパック。
探偵が都合をつけてくれた、四枚の鉄道の切符。
わずかな食料と、露店で再度見繕ってきた粗悪品の魔具。
ギルが見たら、きっとまた怒るんだろうな。そんな想像をしてユウリは苦笑する。
ギルとはあれから一言も話をしていなかった。
よっぽどショックを受けたのだろう。部屋に引き籠るようにして、まともに顔も合わせていない。
用心棒をしていたこと、そして魔具をまっとうでない目的で使っていたことも、ギルには知られてしまった。
ギルは、多感な歳頃の少女だ。一度軽蔑されたら、もう払拭することはできないかもしれない。
ユウリは寂しく思う反面、それも仕方のないことだと諦めていた。
「……行っちゃうのね」
片付いた部屋の中で、ユウリにそう声をかけたのはフィエニャだった。
ユウリは荷造りの手を止め、フィエニャから目を逸らしたままつぶやくように答える。
「……うん」
「どこへ行くつもりなの」
「とりあえず……リヨンと別れた、あの野盗の集落に戻ってみようと思う。そこで何か手がかりが見つかるかもしれない。彼に会えたら、これを渡したい」
ユウリはそう言って、鞄の中を探った。
フィエニャに向けて差し出した手には、砕けたナイフの破片が握られていた。
野盗の集落を抜け出す前に、リヨンから譲り受けたダマスカスのナイフ。
能力者との戦闘でバラバラに砕け、大半は血で汚れてしまったが、ひどい汚れがつかなかった数片の欠片を辛うじて拾い集めておいたのだ。
「それって……あの人からもらったナイフね」
「うん。……結局こんなに粉々にしちゃったんだ。怒ったりしてギルには悪いことをしたな」
「ギルはわかってるわよ。賢くて優しい子だもの」
フィエニャは優しく微笑む。
「もし、リヨンに会えたら。それからどうするの?」
「その後は、別れた咎目の仲間たちを探しに行く。皆の行方を知ることは難しいかもしれないけど……、根気よく聞き込みをしていけばきっと見つかるって信じてるんだ。きっと生きて、今も苦しみと孤独の中にいる。もしかしたら、助けを待つことすら諦めているかもしれないけれど」
フィエニャは何も言わなかった。
ただ黙ってユウリの目を見つめるだけだった。
ユウリも何を言っていいかわからず押し黙っていた。
「ねぇ……あなたさえよければ」
次にフィエニャが口を開くまでに、長い時間が経った気がした。
それからユウリから視線を外し、少し小さな声で、囁くように言った。
「この街で暮らしたらどうかしら……。ここには空いた部屋だってあるし、ユウリがお店を手伝ってくれたら私も助かるわ」
「…………」
「あなたにとって、辛い思い出がたくさんある街かもしれないけれど。でもね、この街にもいいところがたくさんあるの。寂れかけているしあまり綺麗な街とは言えないけれど。でも暮らすには便利よ。街の人たちだって親切だし、温かい。きっと好きになると思うんだけどなぁ……」
「それは……できないよ」
「どうして? もしかして左眼のことを気にしているの? 今はこんな時代だから、あなたみたいな咎目の人たちにとっては生きづらい世の中かもしれないけれど。でもわたしは外見じゃなく、あなたの優しい内面を知っている。あなたがいて迷惑だなんて、わたしはちっとも……」
そう言いかけて、フィエニャは黙り込んだ。
何かを言いたげで、でも勇気がなくて言葉が継げないというような、そんな様子。
無言の時が流れたあと、フィエニャは意を決したように口を開いた。
「ううん、本当のことを言うね。わたしはあなたにいて欲しい」
フィエニャはきっぱりと言った。
ユウリは驚きのあまりに何も言えなかった。
顔が熱くなり、動悸が苦しいほどに速くなった。
嬉しかった。
当然だ。自分が想いを寄せる相手から、傍にいてほしいと言われたのだ。嬉しくないはずがない。
けれど同時にとても悲しくて、苦しかった。
「フィエニャ……。ごめん……」
ユウリが言うと、再び短い沈黙が流れた。
ユウリは顔を上げられなかった。フィエニャの顔を見ることができなかった。
本当は、フィエニャの想いに応えたい。
――残るよ、フィエニャと一緒にいる。
そう、言いたかった。
でもそれは不可能だった。なぜならユウリは既に決意をしたからだ。
何があっても、仲間たちを救い出すと。
必ず、少女の耳飾りを故郷に連れ帰ると。
その決意を裏切ることは、もはやユウリにはできなかった。
「そっか。もう何を言っても止められないのね、私には」
フィエニャはわざとらしく明るく振る舞いながら「悔しいなぁ……」と言って笑顔をみせた。
「もっと私が。あなたにとって大切な存在でいられたら…………。あなたは旅をすることを、諦めてくれたのかな」
違う、そうじゃない。
そう叫びだしたかった。
ユウリは必死に首を振る。
フィエニャに対する想いを、そんなふうに否定しないで欲しかった。
ユウリはフィエニャが好きだ。
けれど、それは仲間たちを救けたいという想いと、天秤にかけられるようなものではなかった。
どっちがより、強い想いなのか――だなんて、そんなふうに計れるものではなかった。
「フィエニャは俺にとって……かけがえのない人だよ」
「だったらどうして? どうしてこの街を離れようとするの? あなたがすべてを投げ出して……自分の人生を捨ててまで、することじゃないじゃない。あなたにそんな責任は無いわ。自分の幸せを願うことが罪になるだなんて思ってるのなら、そんなの……絶対に間違ってる」
「…………そういえばまだ、フィエニャに仲間たちのことを話してなかったな」
ユウリはフィエニャの言葉には答えずに、まるで遠い昔の思い出ばなしでもするかのように訥々と語り始めた。
「収監されて、家族も失って絶望していた俺に初めて声をかけてくれたのがクライドなんだ。どんなに酷い状況でも、明るく振る舞ってくれた。自分だって辛かっただろうに……。俺が死を覚悟し始めた時でさえ、クライドと話していると何だか笑えてきた。話しているだけで、楽しかったんだ。クライドは、絶望の中にあっても陽気さを失わなかった。それが俺にとってどれだけ救いになったか……言葉にするのは難しい」
「うん……」
「俺が移送されている時、兵の一人が銃床で俺を殴りつけようとした。俺の態度がなんとなく癇に障ったんだろう。そんなとき、キフェが俺を庇ってくれた。それまではろくに話したことすらなかったのにね。そのせいで俺の代わりにキフェが殴られた。後で理由を聞いたら、別に、ってそっけなく言うんだ。だってあんた子供でしょ、って。俺だってもう大人だよ、ひどいだろ?」
「そうよね、……ユウリはもう一人前の男性よね」
「アリテと一緒に野盗の集落から逃げ出す時に、脱走を助けてくれた人がいた。奴隷にされた咎目の男で、名前すら知らない。俺達は野盗から身を潜めていたし、会話も交わせなかった。だけど一瞬彼と視線を交わしただけで、その人はすべてを悟ったみたいだった。彼は枷のはめられた両手で喉を押さえて苦しみ悶え始めた。周りの野党の注意を引きつける演技をしてくれたんだ。その人の機転がなかったら、俺達は多分、集落を脱走する事はできていなかった…………。そしてフィエニャのお兄さん――リヨンは、自分の身と引き換えにこんな俺を自由にしてくれたんだ。自分だって逃げ出したかっただろうに、俺とアリテの身代わりになってくれたんだよ…………」
「うん……」
「……それから、アリテは俺に生きる勇気を与えてくれたんだ」
「…………」
「たぶん、俺がどんなに命をかけたって、全員を救うことなんて不可能だと思う。俺の命には、そんな価値なんてないから。だけどもしも、その中のたったひとりだけでも救えたのなら、俺はたとえ…………」
「お願い……もうやめて。それ以上言わないで」
フィエニャは縋るように言った。
「どうして、そんな言い方をするのよ。どうして死地に赴くような、最期の言葉みたいなことを言うのよ。ねぇ、お願い。もし少しでも私の事を想ってくれる気持ちがあるのなら…………。『必ずここに帰ってきて』だなんて言わない。私ももういい歳だから。あなたのことを待ってるだなんて……言わないから」
「うん……わかってる」
「だけど……! だけどね。せめて生きていて欲しいの。例えそれが、私の知らないどこか遠い、遠い国ででもいい……! 死なないで。元気でいて。そして幸せに――――――暮らしていて欲しい」
フィエニャの声は震えていた。
「それが私からの、お願いです」
フィエニャは右手をユウリの頬に添えて、キスをした。
それがフィエニャとの別れだった。
明け方になって、ユウリは工房を出た。
シルヴェストルには、ほんの二言三言の挨拶と感謝の言葉を述べて別れを済ませた。ギルはまだ自室で眠っているだろう。
よろしく伝えてください、とだけシルヴェストルには伝えておいた。




