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魔具

「この、離せっ! こらぁ!」

 ギルは男の手から逃れようと暴れるが、重金属のように重みのある腕はびくともしない。

 男はギルの首を掴み、軽々とその身体を持ち上げた。ギルの足が地面から離れ、まるで首吊りのように宙に吊るされる。

「え、ちょっ……ちょっと待って。これやばくない?」

 ギルが言うが早いか、首にギリギリと力が込められる。

 喉元に走る圧迫と、呼吸を遮られる苦しみ。

「くっ……離……せ………!」

 ギルは苦悶の表情を浮かべながらも、その小さな足で何度も男の胸を蹴りつけた。

 だが男の頑健な肉体には何の抵抗にもならない。

「ギルを……返せえええぇぇ!」

 怒号が轟き、激しい衝撃が男の身体に炸裂した。

 男の腹をめがけ、槍の一突きのように鋭い蹴りをユウリが放ったのだ。

 魔具による強化を施されたユウリの蹴りは、能力者の男の不意をついた。決してダメージを与えたとは言い難い。しかし意識を失って正常な判断力を残しているかすら怪しい男から、一瞬の隙を作ることはできたようだ。

 全力でもがき、ギルは男の手から落下した。

「ユウリ、助かった!」

 喉を襲う圧迫感が未だギルを苦しめるが、ありったけの力を振り絞って、地面を這いずるように男の元から逃げ出した。

 ユウリは立て続けに男の顎を目掛けて蹴りを放った。どんなに剛堅な肉体を持っていても、鍛えようのない急所がある。ユウリは用心棒として培った僅かな経験から、自分より遥かに屈強な相手に対しての対処法を身に着けていた。

 戦闘は長引かせれば長引かせるほど不利だ。そして距離を詰められれば、それだけ相手に組伏せられる危険性が高くなる。隙をつき、力の限りの衝撃で脳を揺さぶり一撃で仕留める。そのための顎先を狙った蹴りだった。もちろん、魔具で強化された一蹴だ。

 しかしその瞬間だった。ビキリ、と音を立ててユウリの魔具に亀裂が走った。腐蝕の限界点を超えたのだ。

 勢いの殺されたユウリの蹴りは男に届かず、軽々とその足を捕まれてしまう。男は力任せにユウリの身体を放り投げ、瓦礫の上に打ちつけた。

「ギル! 魔具はもう無いのかっ!」

 痛みに喘ぐ暇もなく、ユウリは身を起こして迫りくる能力者の猛追から逃れる。

 能力者は既にギルのことを見てはいなかった。機械じかけの殺戮人形と化し、淡々とユウリを目標に定めている。

 鉄槌のような剛腕を振りかぶりユウリを狙う。魔力を纏って振り落とされたその拳は、間一髪で避けたユウリの肩先を掠めて地面を砕いた。


 一方ギルは、そんな二人の攻防の隙をつくように、どこかに落ちているはずの魔具を探していた。

「確かにこの辺にあるハズなんだけど……!」

 イゼに捨てられた魔具。それは確かに、魔術師の立っていた場所の近くにあるはずに違いなかった。

 だが既に陽が落ちて闇に沈んだこの工場内では、数ある瓦礫の中に埋もれた腕輪を見つけることは困難だった。

(ああもう、あたしにも能力者並みの視力があったらいいのに……!)

 そうしている間にも、大男はユウリに猛追を加えていく。既に最後の魔具を使い切ってしまったユウリは、おそらく体力の限界が近い。暗さゆえに目では捉えられなくとも、耳に届くユウリの乱れた息遣いや苦しげな呻きでギルにはそれがわかった。

 もし魔力で強化された能力者の打撃が、ユウリの身体めがけて一度でも炸裂すれば、それだけで致命傷になるだろう。

 ギルの気は焦るばかりだった。


 その時、角張った瓦礫を探るギルの手に、硬く丸みを帯びた感触が触れた。

「あっ…………あったぁぁぁ!」

 間違いない、魔具だ。

 幾度となくその手の中で弄んできた感触だ。ギルの手が間違えるはずがなかった。

「ユウリ、受け取って!」

 ギルは魔具を拾い上げるやいなや、叫びながらそれを投げる。

 工場の窓から射し込む月明かりに照らされ、腕輪は銀色の雫を散りばめるように輝いた。

 ユウリはハッとして振り返り、銀の軌跡に向かって手を差し伸ばす。

「ナイスコントロールだ、ギル」

 無事にユウリの手の中に収まった腕輪を、迷うことなく手首に装着する。

 その瞬間、ジュウ、という金属の焼ける音と臭いが漂った。

「……! この腐蝕速度っ……」

 今までの魔具とは明らかに様子が違う。ギルにはそれがわかった。

 ユウリの使っていた魔具は、能力者であるなら一様に使用できるよう作られた粗製の魔具だった。

 だがギルの作った魔具は違う。

 ユウリだけのための紋章がデザインされ、彫られたものだ。

 それは粗製の魔具によって流れの詰まりかけたユウリの本来の魔力を、淀みなく流すためにギルが苦心して創った魔具だ。


 これまでとは桁違いの勢いで魔力が流れていく。ギルが選び、鍛え上げた素材だからこそ、その腐蝕の勢いにも耐えられる。それまでの腕輪の素材であれば十秒と保たない腐蝕の勢いだ。

 だがその速度はギルの想像を遥かに凌駕していた。

「やばい、ユウリ! 思っていたよりも腐蝕が速い! さっさとそいつを倒しちゃって!」

「おいっ! 無茶言うなよ!」

 そう言いながらも、ユウリはそれまでと比較にならないほどの力が湧き出すのが感じられた。

 ――奴の動きも遅く見える! 感覚の冴えが段違いだ……! これなら……!

「一気に畳み込む!」

 ユウリは叫び、大男の拳を捌く。

 相手の一挙手一投足がユウリには見切れた。まるで組み手をしているかのように、相手の動きが読み取れた。


――いける! これなら勝てる!


 ユウリは勝機をつかんだことを確信した。

 まるで別世界にいるようだ。内に流れる魔力の熱さも、感覚の冴えも、筋肉の弾性も、さっきまでとは比べ物にならない。ギルの才能がユウリの力を解放したのだ。


 だが一方のギルは、自らの誤算に焦りを感じていた。

(こんなことならもっともっと練りの強い金属を使っておくんだった……! これはユウリの魔力を過小評価したあたしの失態ミス…………。いや、でも――――)

 彫金師として必要な手順は何一つ抜いていない。自身の誇りにかけて、ギルは持てる力のすべてをこの魔具造りに注いだと断言できる。 

 魔力の腐蝕テストも入念に行った。それをこれほどまでに見誤るなどとは、ギルほどの技能を持つ彫金師ならばあってはならないことだった。


(まさかユウリの能力が、この短期間で異常なほどに高まったというの――!?)

 

 ユウリの拳が、着実に大男の身体の芯を捉えていく。大男も反撃を試みるが、大振りの拳はユウリに当たることはなかった。

「あああぁぁぁあぁぁぁぁ!!」

 ユウリの足に魔力が収斂していく。

 全身全霊の回し蹴り。

 これで終わらせるつもりだった。

 ユウリの蹴りが激突する。確かに手応えがあった。

 しかしその蹴りは、まるで透明な壁に阻まれたかのように、能力者には届かなかった。

「なっ……!!」

――届いて、ない!?

 ゆらり、と男の巨躯が不気味に揺れ、ユウリの身体が吹き飛ばされる。

 ユウリは脊髄が折れるほどの衝撃を背中に感じた。

 大男に薙ぎ払われ、工場を支える柱に背中から衝突したのだ。

「きゃあ! ユウリっ!」

 ギルの叫びが反響する。

(嘘……! あの能力者、第六等級以上……!)

「嘘、だろ……! まさか力を温存してたのかよ……」

 ユウリは苦しげに呻く。

 能力者は夢遊病のようにのそのそと歩き、ユウリのもとへと近づいてくる。

「ちっ……!」

 ユウリは舌打ちをし、起き上がろうと身体に力を入れるが、身体が鉛のように重たくなっていた。

「くそ、こんな時に……!」

 だが脚が痺れたように痛み、立ち上がることすら出来ない。

 大男は右手でユウリの首を掴んだ。ギリギリと力がこめられる。

「か、はぁっ……」

――首が、折れる……!

 ユウリを殺してはいけないと、男はイゼから言いつけられていたはずだ。だが意識を無くし、もはや死霊のようにさまようだけとなったこの男に、そんな理性を期待できるだろうか。

 それに男が命令されたのは殺してはいけない、ということだけだ。仮に男がイゼの命令を忠実に守ったとしても、五体満足のままで済ませるとは限らない。

 ユウリの首を押さえつけたまま、男は左手を振りかぶる。

――やばいっ!

 ユウリは咄嗟に両手で頭を庇った。

 岩のような拳が直撃した。

 頭越しに柱が粉砕され、腕輪が砕け散った。

 魔具が身代わりになり、ユウリは無事だった。でなければ柱ごと頭も弾け飛んでいただろう。

 だが次はない。

 衝撃で意識が朦朧とし、四肢から力が抜けた。気を抜くと今にも失神してしまいそうな、気絶すれすれの状態。手足がゴム人形のようにだらりと垂れ下がった。


 その時、指先に触れる感触があった。

 硬く、つやつやしたもの。

 触れるだけで指が熱を帯びるように熱くなる。


 それはリヨンがユウリに託し、そしてギルが紋章を刻んだナイフだった。


 ユウリはかっと目を開き、割れんばかりに握りしめたそのナイフを男の首筋に向けて刺突する。

 ナイフの刃は男の首筋数センチ手前で止まり、震えていた。

――畜生、届かないっ……!

 またしても見えない魔力の壁が、ナイフの刃を阻んでいたのだ。

「こんなにも、違うもんなのかよっ……!」

 ユウリは初めて、己の能力の低さを呪った。第七等級では、第六等級には歯が立たない。

 その差は埋めがたい。ギルの言ったとおりだ。

 ユウリはナイフを持つその手に、持てるすべての力を込めた。だがどんなに力を込めたところで、魔力の流れないその刃先は、男の首筋を前にして虚しく震えるだけだ。


――頼む、アリテ! この声がとどくなら、俺に力を貸してくれっ…………!!


 ユウリが声にならない叫びを上げたその瞬間、ナイフが黒い靄に包まれた。

 それがアリテに呼びかけた瞬間だったのは、単なる偶然の一致なのだろう。

 辺りに立ち込める、焼け焦げた臭いとともに、ギルの彫った紋章が、異常な速度で腐蝕していた。


――ナイフが……魔力を帯びている!


 刃先が魔力の壁を侵食していく。粘土に食い込むように、ナイフが魔力壁を貫き進んでいく。

 腐蝕は怒涛の勢いで進行し、びきりびきりとまるで罅の走る音が響くような音がした。

 大男は、再び拳を振り上げた。

 男の魔力もまた激しい奔流となり、腐蝕の勢いが増す。

「あああぁぁぁあぁぁぁぁっっ!!」

 ユウリは叫び、魔力を手に集中させた。

 ――バキン、とナイフが割れる音がした。

 あまりにも瞬間的に魔力が流れたため、ナイフの耐久力が保たなかったのだ。柄の一部に大きな罅が入り、折れるのも時間の問題だった。

 それにも構わずユウリはありったけの魔力を込め続ける。

 その瞬間、刃先は男の首筋に滑り込む。

 ナイフは全体に罅が走り、バラバラに砕け散って男の首を穿った。

 首の肉を穿たれた男は、血飛沫をあげて崩れ落ち、息絶えた。

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