駆け引き
(ピアスにアームレット、指輪、アンクレット……奴はあらゆる魔具を身に着けている。それだけの魔具を一度に装着すれば魔力の波乱が起きるのが普通だが……やはり自身が無能力者だという奴の言葉は真実か。それに奴が私の腕を掴んだその瞬間、奴の指輪の腐食が一気に進んでいた……)
闇の中を縫い進むように、探偵は全力で工場内を駆け抜ける。
魔具による感覚の強化で、暗闇に沈んだ工場の中でも探偵の目は充分に利く。
瓦礫を踏みしめ、巨大な溶鉱炉を回り抜ける。
(つまり魔具を腐蝕させているのは奴ではなく、私達能力者のほうか……。自身が無能力者であることを利用して、相手の能力を暴走させるとは、面白い魔具の使い方を考えたな)
探偵の眼が、イゼの後ろ姿を捉えた。
イゼの逃げ足は決して速くない。身体能力は凡人以下だ。
探偵は一気に距離を詰め、イゼを追い詰めた。イゼは息を切らせ苦しげに喘いでいた。
「なるほどな。能力が高ければ高いほど、流れる魔力の量も多い。すなわち貴様が身に着けた魔具に干渉されやすくなるというわけか。戦いにくいわけだ」
「……はぁ、はぁっ。しんどいですわ。わたくし、あなた達みたいな超人と違って運動は得意ではないの」
「無能力者がここまで私達と渡り合えるとは、驚異的だよ。悪いが、逃がすわけにはいかない。このままお前を野放しにすれば、いずれ私の身も危うくなる。確実にここで仕留めておこう」
「そう簡単にいくかしら?」
イゼの言葉を合図に、人影がゆらりと浮かび上がる。
(やはり別の能力者がいたか……)
濃い影に隠れて顔は見えないが、痩せた長身の男だ。体格は決して武闘派には見えないが、おそらく遣り手の能力者なのだろう。
「私の能力は戦闘向きじゃないのだがね……」
探偵の呟きに端を発して、男が間合いを詰める。
顔先を刃が閃いた。
(…………三日月刀か)
探偵が刃先を交わすと、男は身を翻し、続けざまに刀を薙いだ。わずかに漏れ入る月明かりに照らされて、男の虚ろな顔が一瞬浮かぶ。
「お前は……! タシュケル!」
男は探偵の知っている人物だった。
名をタシュケルと言い、能力者の間ではそれなりに知られた存在だ。諜報員の一員で、決して親しくはなかったが探偵にも一応の面識があった。
「そうか、お前も魔術師の傀儡に……。憐れな」
探偵はニ撃目も躱し、銃口をタシュケルに向ける。
弾丸を放った瞬間、相手の姿は掻き消えていた。タシュケルの気配が消え、瞠目する暇もなく横腹に衝撃が走る。タシュケルの蹴りが探偵の横腹を強打していた。探偵は顔を苦痛に歪ませるが、かろうじて踏みとどまる。
(強い! さすが第五等級といったところか)
タシュケルの戦闘スタイルは近接特化型で、暗殺術にも秀でている。工場内の濃い影に紛れての急襲は、タシュケルにとっての専売特許である。
タシュケルは闇に沈み込み、気配が霧散していく。
静寂と緊張が満ちる。
探偵は五感を研ぎ澄ませ、気配を探る。
(やるな……これほどまでに気配を消すことが巧いとは)
金属の爆ぜるような音とともに、瓦礫が飛散した。その瓦礫にに紛れ、タシュケルが急襲する。
探偵は即座に気配を捉え、銃弾を放った。
狙いは確実にタシュケルの額を捉えた。
しかし銃弾はタシュケルには届かなかった。
見えない魔力壁が、銃弾の飛翔を阻んだのだ。
男の手前で止まった弾丸は勢いよく回転を続けるも、惰性を殺されてやがて地に落ちた。
(ちっ! 弾丸に魔力を込めきれなかったか!)
高い能力者ほど、その身を厚い魔力の壁で覆う。その魔力壁を突破できるのは、それを超える魔力を纏った一撃だ。しかし能力者の身体から離れて跳ぶ小さな弾丸に込められる魔力の絶対量は、決して多くはない。
強い魔力を持つ相手に対して、半端な飛び道具はかえって不利であった。
探偵は咄嗟に短刀を抜き出した。タシュケルと遣り合うには心許ないサイズだが、少なくとも銃弾より魔力は込めやすい。
「殺しては駄目よ! そのまま押さえつけておきなさい」
イゼの声が轟いた。
タシュケルは振りかぶった三日月刀の軌道を変え、探偵の持つ短刀の刃先を軽く捌いていなした。
「なっ……!」
探偵の目が驚愕に見開かれる。
戦闘に特化していないとはいえ、探偵とていくつもの死線を越えてきた能力者だ。能力者としての資質は、客観的に見てもかなり高位にあると思っている。
その探偵に対して、殺さないよう加減をして尚、探偵を圧倒している。もしもイゼの命令がなければ、振りかぶったその三日月刀は容易く探偵の命を散らしていただろう。
タシュケルは短刀を持つ探偵の手首を押さえつけ、三日月刀の柄で顔面を殴りつけた。
「……っ!」
ふらつく探偵の背に、イゼの手が触れる。
指輪の紋章がじわりと影を濃くし、探偵の体内で魔力が暴走しはじめる。内からはち切れるような痛みが走り、探偵は悶えた。
追い打ちをかけるように、タシュケルが探偵を痛めつける。探偵は地に崩れ落ち、朦朧とした意識とぼやけた焦点の瞳で前を見つめた。
探偵の身体を組み伏せるタシュケルと、手から指輪の一つを外すイゼが視界に映った。
外した指輪を、イゼが探偵に嵌めようとしている。
『魂喰い』。
その魔具が嵌められた瞬間、意識は刈り取られ、自分はエリクサーを育てる器とされるのだろう。ぼんやりとした頭で探偵は思った。
「――離れなさい」
その瞬間に、イゼの声が轟いた。
反射的に、タシュケルが探偵から手を離し退く。
まるで頭の中に声が響き、脳に直接命令が下されたとでもいうような迅速な反応だった。
イゼは奇妙な感覚に囚われ戸惑った。頭の中に響いた自身の声。
自分はなぜそんなことを口走ったのだろう?
いや、そもそも自分は声を発しただろうか?
否、自分は何も言わなかった。
だとしたら今確かに響いた声は一体――――?
ハッとしてイゼは視線を地面に落とす。先程まで確かにあったはずの探偵の姿が、今は消えていた。
たった今響いたのは自分の声ではない。本人ですらも錯覚してしまうほどの、模造された声。
いや、単に声をコピーするだけならば機械にもできる。発せられた声は、単に音声的な模写以上のなにかがあった。
まるで言葉の奥に込められた言霊すらもそっくりそのまま複製してしまったかのような、そんな声だった。
そんな芸当ができるのは、探偵を除いて他にいない。
「なるほど、これが不死の霊薬か」
探偵はにやりと笑みを浮かべた。
その手には紅く、妖しく輝く宝石が握られている。
イゼの顔色が変わった。
今までのように余裕のある笑みが顔から消えてしまった。
青ざめ、戸惑い、そして絶望した表情。
「返して……」
イゼは震える声で懇願する。まるで我が子を人質に取られたとでも言うようだ。
探偵がにやついた笑みをうかべたまま何も答えないでいると、イゼの憎悪が膨れ上がった。
「返せッ!!」
「おっと近づくなよ。お前の愛しい子がどうなってもいいのか?」
探偵が言うと、イゼは冷たく無機的な声で言った。
「殺しなさい」
背後からタシュケルの姿が浮かび上がり、探偵に襲いかかる。
探偵はそれを見切っていたかのように躱し、短刀でタシュケルの胸元を突いた。血が滲み、タシュケルの動きが止まる。
相変わらずの虚ろな顔から血の気が引き、タシュケルは息絶えて崩れ落ちた。
「確かに奴は強い。正面から遣り合えば私では敵わないほどにね。だが一方で動きはどこか単調でぎこちなく、不意を付かれてもとっさの判断ができない。能力者として全盛期だった頃とは比べるべくもないよ。所詮は操られるだけの傀儡だ。それに気配を消すのなら昔から私のほうが巧かった」
イゼは憎しみを露わにしながら、探偵に銃を向けた。先刻まで探偵が持っていたものだ。戦闘中に捨てたものを、イゼが拾ったのだろう。
「そんなもので、私を殺せると思うのか?」
「いいえ、思っていませんわ。わたくしはただ、一瞬の注意を引き付けられればそれでよいのです」
イゼが不気味に笑う。
瞬間、背後で何かが動く気配がした。
「しまっ……!」
タシュケルの死体が、死してなお立ち上がり探偵に跳びかかる。死体に残された魔力がまるで怨念のように膨れ上がり、探偵に向けて三日月刀の一閃を振るった。それは死んだあとでもなお、魔術師・イゼの引く糸から逃れられないタシュケルの、最後の一閃だった。
その一撃で、探偵は脳漿をぶち撒けて死んだ。




