不死の霊薬
「あれは、まさか……。不死の霊薬……?」
「不死の霊薬……だと?」
ギルの呟きに、ユウリは聞き返した。その名前だけなら、ユウリも聞いたことがある。
だがエリクサーとは、お伽噺の類に登場するものではなかったか。ありとあらゆる病を癒し、飲めば永遠の命が得られるという、迷信めいた言い伝え。現実にそんなものが存在するだなどとは、考えたことがなかった。
そんなユウリの胸中を見透かしたように、ギルは言った。
「不死の霊薬は伝説上のものではないし、物語で描かれるような魔法の飲み薬なんかじゃない。そのほんとうの正体はただの鉱物なの。あまりの美しさから、砕いて飲めば永遠の生命が得られるたなんて言い伝えられて、いつのまにか水薬だということになってしまったけど……。その正体は、本当はただの宝石でしかない。もちろん飲んだところで、お腹を壊す以外の何の効用もないはずだよ。……だけど」
ギルはエリクサーをじっと見つめた。その瞳にも宝石の紅い輝きが写り込んでいる。ギルは自分が目にしているものをにわかには信じられないといった様子で、そこで言葉を失ってしまった。
そんなギルの言葉を引き継ぐように、イゼが言った。
「そう、存在そのものは確認されていたものの、その精錬方法は長らく謎だった。でもわたくしは、それに気づいてしまったの。おそらく、世界でただ一人だけ」
「……まさか! いったいどうやって……」
「不死の霊薬は、能力者の胎で成長し、輝きを増す」
イゼの言った言葉が瞬時に理解できず、ユウリは呆然とした。
能力者の胎とはなんだ。
宝石が成長するとはどういう意味だ。
脳裏に、最期に見たアリテの姿が浮かんだ。
廃工場の冷たい土と瓦礫を棺代わりとして、最後の眠りにつくアリテ。
冷たくなった肌。空洞になった眼。
そして彼女の下腹にこびりついた、赤黒い乾いた血が脳裏によぎった時、ユウリの頭から理性が消し飛んだ。
つまりは、この女は。
このくだらない宝石ひとつのために、幾多の能力者を犠牲にしてきたというのか。
「何人もの女が、この子の母となった。ユウリさん、貴方のお友達もそう。わたくしの愛する子……貴方の想い人は、この子の尊い生命を育てたのですわ」
「そんな……そんなことのために」
ユウリのうちにある魔力が、どす黒く流れていく。
「おまえは、彼女を殺したのかッ! 何人もの能力者を犠牲にしてきたのか!」
ユウリが叫ぶと、イゼは哀しげな顔をした。
「理解して欲しい……とは言いませんわ。やはり皆さんの仰るように、わたくしのほうが異常なのでしょう。でも、わたくしにもどうしようもないの。わたくしの中に棲む何かが、わたくしを突き動かすのですわ。美しいものを見ると、『これを手に入れろ』……そう、喚くのですわ」
「…………」
憎悪に顔を歪めるユウリを見て、またイゼは哀しげな顔をする。そして溜息をひとつ吐くと、言葉を続けた。
「……さて、お話はここまで。あなたには、わたくしのお人形さんになってもらいます。大丈夫、ほかの誰よりもあなたのことは殊に愛しますわ。あの彫金師の女の子は……役立たずは、殺してしまっていいわよね」
イゼが妖しげに笑う。
「さあ、おとなしくしていて下さいな。痛くはありませんから……」
イゼはそう呟き、自身の中指に嵌められたリングを抜こうとした。
その瞬間だった。
辺りに凛とした声が響き渡った。
「そこまでだ」
気がつくと探偵がイゼのこめかみに銃を突きつけていた。
その場にいた誰ひとりとして、その気配を感じることはできなかった。
その突然の出現に、ギルやユウリは言うに及ばず、イゼすらも一瞬の間は不意をつかれてたじろいだ。しかしそれも一瞬のことだ。すぐにイゼは不敵な笑みを顔にたたえた。
「あら、探偵さん。ごきげんよう」
こめかみに銃口を突きつけられてすら、余裕の表情を崩さない。そんなイゼに、探偵は警戒を強める。突き放して見れば圧倒的に探偵が有利な状況にいる。しかし相手は何人もの能力者を斃してきた人物だ。どんな手を隠し持っているかわからない以上、用心するにしくはない。
そんな探偵に、ユウリは言った。
「……来ないんじゃなかったのか」
「流石に見捨てることは出来ないな。何しろ君は私にとって大事な相棒だからね。それに――」
探偵はイゼを見据えたまま、言葉を続ける。
「お前の次の狙いは、おおかた私なのだろう?」
「あらぁ、さすが探偵さん。勘がいいのね」
「ちょっと考えれば分かることだ。私への最初の依頼……あれは、私に近づくためにでっち上げた依頼だな? おまえにとってはどんな依頼でも良かったのだろう、ただ私に接触することができればな」
「そう。元々は貴方がターゲットだったのですわ。貴方の能力者としての素質は素晴らしい。きっといい器になれますわ。けれど貴方はなかなか隙を見せないのですもの。もどかしい思いをしていました」
「そこで用心棒くんに目をつけたというわけか。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、というわけだ」
「いやですわ、彼には純粋な好意をもって近づいているにすぎません。言ったでしょう、彼のことを気に入ってしまったのだと。打算などではないわ。……まあ、その過程で別の器を見つけたのは予想外の幸運でしたけれど」
「黙れ…………軽々しく『器』だなどと口にするな。それ以上あの少女のことを侮辱するなら許さんぞ」
「あら、侮辱だなんて心外ですわ。わたくしは最上の敬意と愛情を込めて『器』と言っておりますのに。貴方のこともね、探偵さん」
「生憎だな。私はそんな石ころのために人柱になるつもりはない」
「ちょ、ちょっと待ってよ。この女はなんであんたのことを狙ってたわけ?」
二人の会話に置いてけぼりをくらっていたギルが、探偵に言う。すると探偵は平然と答えてのけた。
「当然だろう? 魔術師の狙いは、能力者の女なのだから」
「「……は?」」
ギルとユウリの驚きが重なった。
「お、お前……女、だったのか」
ユウリが目を見張りながら言う。探偵はそれには答えず、相変わらずイゼを睨みつけたままに問うた。
「どうして気づいた。私が女であることに」
「どうして? わたくしからすれば、なぜ皆さんが気が付かないのかということのほうが不思議ですわ。いくら気配を変質させていても貴方の視線には女性特有のものがありますわ」
「視線……だと?」
「そうね、彼を見る視線に」
そう言ってイゼはからかうようにくすくすと笑う。
「……貴様の悪趣味な虚言にはうんざりだ」
この手のタイプを相手にするには相手のペースに飲まれないこと、それを探偵は知っていた。気のむくままに人を嘲弄するようでいて、その実相当に頭が切れる。決して相手の話の土俵に上がってはいけないのだ。
(飄々とした態度でいるが……私の能力を見破ったのは事実。油断は命取りになる……やはりここで殺しておくべきか)
本来であれば犯罪者を捕捉するのは探偵の役割ではなく、警吏の役割だ。ましてや殺害するとなれば当然、探偵のが法を犯すことになる。
しかし相手は能力者殺しの魔術師である。警察組織の人間すらも手にかけた魔術師に対しては、やむを得ない状況に限り殺害の許可が下りていた。
今がそのやむを得ない状況だとは言い切れないが、理由などいくらでも後付けできる。
決断した後は行動が早かった。
探偵は引鉄に掛けた指に、躊躇いなく力を込めた。
「ぐっ……!?」
瞬間、意識に何かが流れ込む感覚。引鉄を絞ろうとしても指が動かない。
力の限りに指先を曲げようとしても、骨が鋼鉄にでも変わったかのように微動だにしなかった。
「これは……! お前も能力者なのか……!?」
「あらぁ、わたくしは無能力者ですわよ。能力者は決して紋章彫金師になれません。彫金中に魔力が影響して、複雑な紋章が彫れませんもの。そんなことはあなたならご存知でしょう?」
イゼは残虐な笑みを浮かべながら指輪の嵌められたその五指を開き、銃を構えた探偵の右腕にそっと触れた。
探偵の右腕の奥底で魔力が渦巻いた。嵐が吹き荒れるようだった。
神経がひっかき回されるような激痛が腕に走った。
「あ……ッ、ぐっ…………!」
芯から突き上がる激痛に、探偵は苦悶のうめきを漏らす。
腕を捕まれ、身動きも取れない。探偵の額に嫌な汗が浮かんだ。
(まずい、このままでは……)
探偵が身の危険に焦りを感じたその時だった。
ヒュン、と空を切る音と同時に、イゼの腕にナイフが突き立った。
ユウリが自身のナイフを投げたのだ。
「……!」
イゼの表情が歪む。腕に刺さったナイフを抜き取った次の瞬間に、ユウリの足が地を穿った。
一瞬にしてユウリの姿が掻き消える。
ユウリは一足跳びに跳躍すると、半身にひねりを加えながら魔力を込めた蹴りを一瞬に叩き込んだ。
イゼを瞬殺するつもりだった。
相手が能力者で無いならば、そのひと蹴りで充分だ。首筋から袈裟がけに叩き込めば、イゼの首は折れて即死だ。そのつもりだった。
ユウリの蹴りは確かにイゼに届いた。だが感じたことのない違和感がユウリをとらえる。
魔力が、相殺された!?
イゼに近づくにつれ、身体が重くなる感覚。今の蹴りも確実にイゼを捕らえていた。だが威力のほとんどが殺されていた。
ユウリの蹴りをまともに受けたイゼだったが、多少よろけた程度で致命傷どころか傷も負っていない。
「痛いですわ」
イゼはユウリに蹴られた首筋に手を添えながら笑った。
「うふふ……ユウリさんに蹴られちゃいました。痛いですわ」
イゼは不気味に笑いながら、身を翻す。
「待て!」
探偵は銃を構えるが、既にイゼの姿は工場の闇に紛れて消えていた。
「用心棒くん! 彼女のことは任せた! 私は魔術師を追う!」
探偵はユウリたちを残し、イゼの後を追った。




