魂
ユウリは魔具を手首に嵌めた。
魔力が全身を駆け巡る感覚。五感が鋭く冴えわたる。
目に映る風景の色彩が、油と金属と黴びた空気の匂いが、肌を刺す乾いた風が、まるで粘度を増したかのようにユウリの五感に張りついてくる。
ユウリの足が地面を蹴り、イゼの元へと肉薄しようとしたその瞬間だった。
「いや、離して!」
聞き覚えのある声に、ユウリは急制止した。振り向くと、二つの影が見える。一つはかなり大柄の男の影だ。その男がもう一つの小柄な影――ユウリのよく知る少女の腕を掴み上げていた。
「ギル!? お前、なんで付いてきた!」
「あらぁ、お知り合い……? 可愛い女の子ね。妹……ではないですわよね」
ユウリの言葉に、イゼの片眉がピクリと上がる。
「妬いちゃうわ」
イゼはそう呟き、ギルの方へと歩きはじめた。
「ギルに近づくなっ!」
ユウリがそう叫んだ時だった。
「っ!? うぁあ……痛いよ…………!」
ギルの口から苦悶の声が漏れる。ギルの腕を、男がきつく締め上げたのだ。それはイゼに近づこうとしたユウリへの警告だった。
「そういうことですわ。あの男はわたくしの傀儡。変な気を起こせば彼女の腕が折れますわよ」
「貴様……!」
イゼは笑みを見せ、ギルの元へと近づいて言った。ユウリは歯噛みしながらも、成すすべもなくイゼが歩くさまを見つめる。
あの男も恐らく能力者だろう。
イゼにしろ、大男にしろ、近づけばおそらくギルはただでは済むまい。ユウリには自分の弱さを呪うことしか出来なかった。
その時だった。
「ユウリ、受け取って!」
ギルが手の中のものを投げようと、腕を振りかぶる。しかし瞬間、大男がそれを阻止するために、掴んでいた腕を振り回し、ギルの身体ごと放り投げてしまった。
「きゃあっ!」
ギルは地面を転がり、ユウリに投げ渡そうとしていたものが白く光りながら地を跳ねた。
それはギルがユウリのために彫金した魔具だった。
地面に這いつくばった姿勢のまま、ギルは手を伸ばす。しかし銀色のブレスレットは、ギルの手が届く先へと転がっていく。
その手が届く前にイゼがその魔具を拾い上げた。
「貴方、彫金師だったのね」
イゼは興味深げに魔具を光にかざした。
「ふうん、腕は悪く無いわね。でもだめだわ。これじゃつまらない。だって美しくないもの」
イゼの言葉に、ギルの顔が怒りで染まった。
「なんですって!? あんたなんかに魔具の真贋が見極められるわけ!? あたしのこと、子供だと思って馬鹿にしてんでしょうが!!」
「あなたこそ紋章術のこと、わかってないみたい。紋章術にはね、狂気が必要なの。一点の狂気が交じることで美しさはより一層燃え上がる。私の魔具を御覧なさいな。美しいでしょう」
イゼの手からギルの魔具が零れ落ちる。同時にイゼはその拳を開き、手のひらをギルの眼前に突き出した。その五本の指にはすべて、白銀の指輪が嵌められていた。
「指輪型の……魔具。しかも五つ……ううん、両手で十も魔具をつけてる……?」
ギルは地面に寝そべったままそう呟き、それからはっと何かに思い当たったように大男の方を振り返る。
男は焦点の合わない虚ろな眼差しで、その場にいた誰のことも見てはいなかった。ただ立ち尽くし、何を考えている様子もない。
男の中は空っぽに見えた。
「この人、まさか……。意識を、失くしてしまっているの……?」
「言ったでしょう。その男はわたくしの傀儡だと。お人形さんに意識は要りませんわ。わたくしの思うがままに動いてくれればそれでいい」
イゼは指輪の嵌められたその五本の指を開き、手のひらをかざしてみせた。それに呼応するかのように、男は動き出す。まるでイゼの意思がそのまま男の脳へと繋がっているかのようだった。男は再びギル腕を取り、力づくでギルを立ち上がらせた。
ギルは男には目もくれず、キッとイゼを睨みつけた。
「あんたの正体、わかったよ。この禁忌の紋章術を使うのは一人しかいない。ううん、使える人がいない。神懸かりの天才と言われた彫金師以外にはね」
「あら、わたくしのこと、知っていたのね」
「まさかこの目であんたを見られるとはね。あんたたしか、賞金首でしょ。もうとっくに死んでるもんだとばっかり思ってたわ」
「わたくしは、役人どもに殺されるほど間抜けではなくてよ?」
「彫金師だって? ……ギル、この女は能力者じゃないのか」
ギルとイゼとのやり取りに、ユウリが疑問の声をはさんだ。
「違うよ。こいつの名前はイザベル・イストラド。幼い頃からずば抜けた紋章術のセンスを持っていて、『神懸かり』だとか『神童』と呼ばれていた、あたしたち彫金師の間では伝説の存在なの。数々の常軌を逸した奇行があったと、まことしやかに語り草になってるけど……」
「くだらないわね」
ギルのその言葉に、イゼは軽蔑した眼差しで応える。
「くだらない、本当にくだらないわ。どうして連中は、本筋から外れた他愛もない余話をありがたがるのかしら? 彫金師として語るべきは、過去に辿り、そしてこれから先に向かうであろう彫金の技巧――そして紋章術の発展の軌跡だけ。言葉を尽くして語らなくても、彫金師が語るべきことは魔具が雄弁に語ってくれるわ。それを彫金師個人の経歴や言動を掘り下げては、いたずらに持ち上げたり、貶めたり……。凡才の嫉妬ね」
「……それはちょっと同感。あたしだって、周りの彫金師たちにすることなすこと目くじらをたてられて、わけがわからなかった。確かにあたしはちょっと変わり者かもしれないし、周りから浮いちゃうこともあるけど……。でも彫金師の仕事はより優れた魔具をつくることなのに、仲間をやっかんで、才能の潰しあいをしようとする人たちの気持ちはさっぱりわからない。だからあんたの気持ちは、ちょっとわかるよ」
「あらあら、わたくしの気持ちがわかると? わたくしからすればあなたもまた、有象無象の類いでしかないのだけれど」
くつくつと笑うイゼに対し、ギルは奥歯をギリギリと噛みしめる。
「あたしのことはなんとでも言えばいい。だけどね、あたしはあんたが切り拓いた紋章術の軌跡とやらは……『魂喰い』だけは、絶対に許せない!!」
「『魂喰い』……? なんだよ、それ……」
ギルの言った不穏な言葉に、ユウリが恐る恐る聞き返す。
「魔具ってのはね、能力者の魔力の流れに干渉して新たな流れを作り出し、世の中の理を変えてしまうものなの。それは知ってるでしょ。魔力の流れは外部に向かい、普通なら能力者の精神に干渉することなんてありえない。けれど『魂喰い』はそうじゃない! 魔力の流れが逆流し、能力者の魂……意識を奪ってしまうの。嵌めたら最後、紋章が魂を蝕んで、能力者は意識を消されて操り人形になる。彫金師として絶対に踏み越えてはいけない線を、そいつは越えてしまったの」
「踏み越えてはいけない? いいえ、それはあなた達みたいな鈍才にとっては、でしょう? 踏み越えようと思っても踏み越えられない者は、それが許されていない証拠。わたくしはそれが許されているからこそ、才能が与えられた」
「……狂ってる。あんたをとっ捕まえて、警察に突き出してやるんだから」
ギルの強気な言葉に、イゼは声を上げて笑った。
「そんなこと、あなたに出来て? この街にはわたくしが集めた可愛いお人形さんたちがネットワークを形成している。この街全体がもうわたくしの手の中にあるのだわ」
「あんた、異常だわ」
「ええ、異常なのは分かっているわ。でもわたくしの感性は繊細すぎるのよ。美しいものを見れば、手に入れずにはいられない……誰にも理解出来ないでしょうね」
イゼは独り言でも呟くように言った。それからユウリの方をちらりと見ると、少し哀しげな笑みを浮かべる。
「ああ、そんな目で見ないで頂戴。あなたの大切な人を殺してしまったのには……止むを得ない理由があったの。本当はわたくし、純粋にあなたの手助けをしたかったのですわ。だけれど悲しいことに、あの子が彼女を欲しがった。一見するとほとんど無能力者に近いと思える彼女でしたけれど、ピンときました。彼女には何かがある。結果として、彼女は最高の器となりましたわ」
恍惚として語りながら、彼女はその手に握りしめたものを眼前に掲げてみせた。
それは一個の宝石だった。
刻一刻と闇が迫る廃工場内を、毒々しいまでに紅く輝き照らしている。
確かにそれは美しかった。美的感性に劣るユウリでさえ、その幽玄な光に魅入られてしまうほどだ。
既にギルやイゼの輪郭すら判別しづらくなったこの暗い工場内で、その宝石は燃えるように輝いていた。宝石自体が光を発するわけではない。だがその血塗られたような紅い石が、周囲に漂う光という光を吸い付くし内側から燃え上がっているような、まるで光が宝石に喰われたがために工場内が暗くなってしまったとでもいうような、そんな気がした。




