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失意

 日も高く登り、暑い一日になりそうだった。

 いつものようにユウリはフィエニャを手伝い、工房の掃除をしていた。昨晩は探偵との約束は無く、用心棒の仕事は休みだったので、ぐっすりと眠ることができた。

 そのため今朝はいつもよりも早起きをした。

 長い一日になりそうだった。


 散らかって足の踏み場のなくなったギルの作業場を片付けていると、ギルがユウリに声をかけた。

「ねぇ、なんか変な人がいるんだけど」

「変なやつ? またフィエニャ目当てか」

「ユウリを呼んでくれって」

「俺を?」

 ユウリは首を捻った。この街に自分に用がある人物などいるだろうか。

 もしや何者かが咎目である自分の存在に気づき、通報したのではないか。そう考えてユウリは冷や汗をかいた。

「どんな人だった」

「どんなって、だから……なんていうか」

 ギルはそう言ったきり口ごもって、釈然としない様子をしている。

「男か、女か。歳はいくつくらいだ。どんな格好をしていた」

「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなたくさん質問されてもわかんないっていうか……」

「わかんないって、男か女くらいはわかるだろ」

「うーん……」

 ギルは必死に思い出そうとしているようだが、言葉が出てこない。頭のなかでその人物を思い描こうとしても、映像が思い描けないようだった。まるでさっきまで見ていた夢を、目覚めた瞬間に思い出せなくなってしまったような感覚。ユウリはその感覚をよく知っていた。

 自分をそんな感覚にさせる人物、それほどまでに存在感の希薄な人物を、ユウリは一人しか知らなかった。

「やっぱり、あんたか」

「……用心棒くん。突然訪ねてすまない」

 玄関扉を開けた先に、相変わらず表情の読めない顔で探偵は立っていた。ただいつもと違ったのは、その深刻そうな声色だ。普段の平坦で限りなく個性を抑えた――おそらくはあえてそうしているのであろうのっぺりとした声色は、今だけは緊迫感を孕んでいた。ユウリはそれだけで、ただ事ではない何かが起きたのだと察することが出来た。

「何かあったのか」

「ああ。結論から言おう。……今朝、旧工場地帯へと続く大通りに面する廃屋で、少女の遺体が見つかった」

 探偵の言葉に、ユウリの胸を烈しい動悸が貫いた。絶望感で頭が白くなった。

 探偵はなんと言った?

 少女の遺体?

 まさか彼女の?

 言葉を失っているユウリに対し、探偵は残酷な事実を突きつける。

「外見的特徴から言って、君の探していた少女である可能性が高い」

「……咎目だったのか」

「おそらくは。だがはっきりとは断言できない」

「何でだよ。咎目ならすぐにわかるはずだろ」

「片側の眼球が繰り抜かれていた。君の探していた少女は、左右のどちらの目が咎目になっている?」

「……左だ」

 ユウリが言うと、探偵は深くため息をつきながら、「そうか……」と呟いた。

 それはつまり、そういう事なのだろう。探偵が見たという少女の遺体も、左目がくり抜かれた状態だったのだ。

「頼む、案内してくれ。アリテのところへ」

「見ればショックを受けるぞ。その覚悟はあるか?」

 覚悟などあるはずもない。しかしユウリは探偵の言葉に無言でうなずいた。



 旧工場地帯は、鉄鉱の採掘鉱区へと続く路地のひとつだ。

 全盛期には、鉱区を中心に街は栄え、巨大な冶金工場が建設された。しかし採掘量の減少とともに工場は徐々に縮小され、今では完全にその機能を停止している。

 旧工場地帯も今では廃墟となり、その手前に面するかつての繁華街も、今ではスラムめいた様相を呈している。まっとうな暮らしを送ることの出来ている者であればまず近寄ることはない。


 ユウリたちはそのスラムへと歩を進めた。

 やがて探偵は、大通りに面する一軒の民家の前で立ち止まった。立派な造りの屋敷だが、古ぼけた抜け殻のような印象で、一見して廃家であることがわかる。

「この中か」

 ユウリが尋ねると、探偵はうなずいた。

 表門をくぐった。門は錆付いていて堅く、ユウリが無理に動かすと金属の間延びした悲鳴を上げた。

 玄関扉には鍵がかけられていたが、激しく劣化した扉はユウリが引くとすんなりと開いた。能力を使うまでもなかったかもしれない、とユウリは思った。



 少女は、リビングの小さなテーブルを前にして息絶えていた。

 埃の舞う廃屋の中で、背筋を伸ばし椅子に腰掛けている。

 閉じた膝の上で手が揃えられ、まるでこれから恋人と逢瀬を重ねるかのように少女は美しく着飾っていた。

 テーブルの上には律儀にも花が飾られ、ティーセットと茶菓子とが用意されていた。

 茶器の一方は少女の前に、一方はその対面に。

 二組の茶器が用意されているのは、手紙の受取人――つまりユウリに宛ててのものだろうか。

 少女の白んだ顔は、左目が暗い洞になっていた。薄化粧を施され、唇には紅がさされている。アリテの顔は息を呑むほど美しかった。


 その腹部には、乾いた血がこびりついていた。


 部屋の中には、まだ人の踏み入った形跡が無い。

 警察の捜査の手はまだ入っていないのだろうか。

 そんなユウリの疑問がわかったのか、探偵は言った。

「警吏にはまだ知らせていない。君に一番に知らせてやりたいと思ったんだ」

「……」

 探偵の心遣いがユウリは嬉しかった。アリテが警吏たちの冷たく乱暴な手で触られることを考えると胸が押し潰されそうな心地になる。

 もっとも警察は咎目の死体には興味を示さない。彼女が咎目だと知るや否や、彼らは興味を失い捜査の手を止めるだろう。発見時刻と死亡状況を簡潔に書類に書き込んでそれで終わり。彼女の亡骸はそそくさと引き揚げられ、どこかの冷たく暗い安置所にうち棄てられるようにして火葬を待つだけだ。


 ユウリはそっと冷たい頬に触れた。

「本当に……死んでるのか」

 そう言いながら自分の馬鹿さ加減に呆れた。こんなにも冷たくなって、血の気の失せた顔をして、少女が死んでないはずはない。

 探偵はユウリの言葉に何も返さなかった。

「ごめん……俺のせいで」

 少女に向かって言ってから、ユウリは探偵へと向き直った。

「どうやって見つけたんだ」

「ラニカ婦人からきみ宛に、手紙を預かった。悪いが勝手に読ませてもらった。非常にきな臭い感覚がしたのでね」

「ラニカ婦人……? 彼女が、見つけてくれたのか」

 探偵は首を振った。

「そうじゃない」

「手紙には何て」

「……君を、お茶会に誘いたいと」

 探偵の言葉に、ユウリの表情が失望に歪んだ。

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