涙
「着けてあげるね」
ギルはペンダントをもう一度受け取るとフィエニャの背後へまわり、鎖の留め具をフィエニャの細いうなじで留めた。
「わぁ! すっごく似合うよ」
「ほ、ほんとう?」
ギルの賛辞に照れくさそうにフィエニャが笑う。ギルがちらりとユウリを見た。フィエニャに見惚れていたユウリだが、ギルと視線が合うと、はっとして言う。
「う、うん。似合ってる。あんまり綺麗だから見惚れてぼーっとしてしまった」
「も、もう……そんなお世辞なんて言うもんじゃないわ」
フィエニャは照れたように目を泳がせる。心なしか顔が赤くなっているようだった。
「……お世辞なんかじゃないよ。ほんとに綺麗だ」
ユウリは言った。使われている宝石の価値がどうであれ、フィエニャが綺麗なのは紛れもない事実だ。そう思っての言葉だったが、今更ながらに自分の口走った言葉が恥ずかしくなってユウリは赤くなってしまった。
フィエニャもユウリも、お互いに照れくささから黙り込んでしまった。
「……なにこの雰囲気」
そんな二人に対して、ギルは少し冷めたように言う。フィエニャは照れ隠しのように答えた。
「でも……いいの? これって本物のルベライトでしょ? 高かったんじゃないの?」
「ううん、実はすっごく安く手に入ったの。馬鹿な露天商が偽物のルビーだと思い込んでたみたいで、格安で譲ってくれたから」
フィエニャの疑問に、ギルは事も無げに言う。その言葉に誰よりも驚いたのは、他でもないユウリだった。
「えっ……、ていうことはこれって本物の宝石だったのか!?」
「うん、そうだよ。あのねぇ、あたしが偽物なんか掴まされるハズないでしょ。たぶんあの露天商、アクセサリの出来があんまりにも粗末だったから偽物だって思い込んでたんでしょ。カットの仕方も雑だしトップもセンスが無さすぎ。もしかしたら素人が趣味で作ったのかもね。下手の横好きで趣味にしてる金持ちがたまにいるんだよ。あたしなんてひと目見た瞬間に、本物だって見抜いたもん」
そう得意気に話すギルだったが、絶句するユウリを目にすると少しばつの悪そうな笑みを浮かべた。
「……なんて言えたら格好いいんだけど、そこまで確信があったわけじゃないよ。でも見た瞬間にあれっ、て思ったのはほんと。それから手元に取って眺めてるうちに、七、八割の可能性でこれは正真正銘のルベライトじゃないかって思った。七、八割なら分の悪い賭けじゃないでしょ? それで買い取ってから、あのあとに知り合いの鑑定士のところへ持っていったの。そうしたら見事にビンゴ、本物だった。それでそのまま、その人にカットし直してもらったの」
二の句が継げないユウリを見て、ギルは訝しげな顔をする。
「……なにその顔。きょとんとして」
「いや、唖然としてるんだ。お前ってほんとに凄いやつだったんだな」
「なにそれ。あたしのことなんだと思ってたわけ? あたしの彫金師としての才能を疑ってたってこと?」
ギルは拗ねたように口を尖らすが、それは照れ隠しに過ぎない。本当はユウリに褒められたことが嬉しかった。そんなときのギルの表情には、歳相応の少女らしさが表れる。
「そうだ、ユウリには特別にもう一つプレゼントがあるの。もう、すっごいやつ! これを見たらきっとびっくりして腰が抜けるかもよ?」
「本当か? 腰が抜けるのは困るな。でもなんだろう、すごく楽しみだ」
「んふふ~……目をかっぴらいてよおく見なさいよ。ま、言わなくても驚いてかっぴらくでしょうけど。――――じゃーーーーん!! ユウリのナイフ、魔具バージョンです!」
ギルがその手の中に握りしめ、ユウリの眼前に掲げたのは、一挺のナイフだった。ダークグレイの色彩に、切り株のような斑模様は、ユウリのよく知るものだ。それは紛れもなくリヨンから手渡されたナイフだった。
ただひとつの違いがあるとすれば、柄から刃先にかけてまで、全体に紋章が彫られている点だった。
ユウリの沈黙を称賛の意味に履き違えたギルは、嬉々として言葉を続ける。
「すごいでしょ? 驚いた? ナイフが魔具になっちゃったんだよ!」
「これ……ナイフに彫ったのか? 俺に無断で? 冗談だろ」
「えっ――う、うん。彫ったけど。ダメだった?」
しまった、とギルは思った。
ギルにとっては、ちょっとした悪戯心だったのだ。ユウリが携行していたナイフが珍しい素材でできていることには気づいていた。それをひと目見た瞬間に、ギルの中で彫金師としての好奇心が膨れ上がった。
このナイフに彫金を施す事ができるだろうか? いや、自分なら必ず出来る。そうすれば、能力者であるユウリにとって最強の武器となり得るはずだ。刃の硬度は極限まで高められ、切れ味の鋭さは比類のないものとなるだろう。いや、それだけではない。ナイフ自体が魔力を帯びるのだ。切れ味だなんて言葉では測れないような、武器としての破壊力を持つだろう。
彫金師としての純粋な興味が先立ち、ギルはもはや抑えが効かなくなっていたのだ。ユウリがギルの行為をどう思うかという観点が、そもそもギルの中で抜け落ちてしまっていた。
そのことに初めて気づいたのは、泣き笑いのようなユウリの表情を見たときだった。自分の中の怒りを抑え込もうと困ったような笑顔を浮かべてはいたが、その奥には悲しみが渦巻いているのが見て取れたからだ。
「これ、凄く大切なやつだったんだよ。俺のナイフじゃない、リヨンから預かってたナイフなんだ! いつか返そうと思って……」
「……そうだったの? で、でもね。これ凄くいい素材で出来てるし、あたし本気で彫金して、出来栄えも完璧だと思うよ。魔具としては一級品だよ。元のナイフの値打ちよりも何倍、ううん、何十倍も価値のあるナイフに変わったから……」
「そういう問題じゃないんだよ……! リヨンは命を賭して俺を助けてくれた。その時にリヨンから受け取ったのがこのナイフなんだ。必ず返すって、俺は約束した。だから何があってもこのナイフはリヨンに返さなきゃいけないんだ」
「ご、ごめん……」
ユウリが悲しんでいることはわかった。わずかながら怒っていることも。けれどもその理由がなんなのか、まだギルにはわからなかった。ギルは施した彫金に対して絶対的な自信を持っていたし、全身全霊を捧げて彫金に没頭した。その結果として、ナイフの価値は間違いなく高まったとギルは確信している。
黙ってユウリのものに、いやリヨンのものに手を加えたことは、確かに間違った行為だっただろう。だが結果としてみれば、ナイフは魔具として磨き上げられ、はるかに輝きを増した。そんな素朴な思い込みをしたまま、ギルは言い繕う。
「でも……リヨンさんだって別に嫌じゃないんじゃないかな……。だってナイフに彫金がしてあるなんて、普通ないよ? まずナイフ自体が全部鉱物でできてなきゃだめだし、そもそもリング状じゃないものを魔具にするのってとっても難しいの。だからその手のコレクターならかなり高く評価してくれるだろうし……」
「馬鹿野郎っ!」
動揺を隠せないギルに対して、シルヴェストルが一喝する。
「そのナイフには、リヨンとユウリとの二人分の想いが込められていたんだよ。それは金額で量れる価値じゃねぇ。お前が言う価値ってのは「商品」としての価値でしかないだろうが。自分が彫ったから何十倍にも価値が上がっただぁ? うぬぼれんな、だからお前は未熟なんだよ。あのな、どれだけ才能があろうがお前は一介の彫金師に過ぎない。彫金師ってのはな、あくまでサポート役だ。能力者を引き立てるために、最大限の手助けをするのが彫金師の仕事だ。もし能力者という媒体がいなければ、俺たち紋章彫金師にはなんの存在価値もない。能力者があっての彫金師なんだよ。もっと謙虚になれ。お前は傲慢すぎるんだ」
「……」
「……もういいよ。悪かったな、きついこと言って」
ユウリが言うと、ギルは目に涙をためながらふるふると首をふった。
そんなギルを見たフィエニャは少し腰をかがめ、うつむいたギルの目線に合わせるようにしながら言った。
「ギル……。ユウリに喜んでもらおうと思ってやったのよね? 大丈夫、もうユウリは怒ってなんかないわ」
その一言に、こらえ切れず溢れるように一滴の涙がぽろりとこぼれた。
それをさっと拭うと、ギルはすばやく踵を返し、リビングから出ていった。




