エピローグ
カタカタとキーボードをたたく小気味よい音が、僕の部屋に小気味よく踊った。そのたびに僕の目の前にあるパソコンの白い画面には文字が浮かび、連なって一つの話を構成していく。
結局、あの後僕らは暗くならないうちに大学を出て、近くのイタリアンのお店に行った。こちらが奢るとはいえ、新藤さんのようなかわいらしい女の子と二人で食事に行くとなると、どうしても舞い上がってしまうところはあった。
しかし、現実はそう甘くなかった。
数枚の大きなピザと何皿かのパスタをぺろりと平らげ、ご満悦そうな彼女の表情と裏腹に、僕の顔色はもちろんどんどん青ざめていき、走馬灯のように彼女の言葉を思い出して真意を理解した。
そう、彼女はいわゆるやせの大食いというやつだったのだ。
二人でご飯を食べたとは思えない額のお支払いを済ませて、思わず天井を仰ぐ僕に向かって彼女は「ごちそうさま♡」とご機嫌にウインクして見せたが、僕にはそれすら悪魔の微笑みのように思えたのだった。
その後は、何度か新藤さんにアドバイスを頂戴しつつ、こうして小説を書き進めている。あの日から一週間ほど経ち、小説もそろそろ終わりが見えてきた。
内容は大きく変えざるを得なかったため、ほぼゼロからの書き直しだったが、面白いように筆が進んで、それほど苦にもならなかった。
誰が犯人なのかを考えさせるフーダニットと呼ばれる形にすると、どうしても容疑者の候補が作りにくく、上手くミスリードできなかったので、ハウダニットと呼ばれる形にした。ハウダニットは、犯人がほぼ特定できているが、手口が分からない状況で、どのように事件を起こしたのか推理する形のことをいう。
アセトンシアノヒドリンをカプセルに詰め、食直前に服用する薬とすり替えて服用させ、食事中の飲み水に重曹を入れるトリックをメインに、薬品の粉末を神棚の盛り塩に偽装しておいておくトリックで操作の目をかく乱するということにした。
ちょうど今、探偵役がそれらのトリックを指摘し、犯人が諦めて供述を始めたところまで書き終えた。
僕はいったんキーボードから手を離し、体をひねった。
背骨のあたりがパキパキと音を立てて、独特の感覚が残った。気づけば窓から差し込む日の光はすっかり低くなり、カーテンを開け放っておいた部屋もすっかり薄暗くなっている。僕はリモコンを操作してリビングの電気を点け、机の上ですっかりぬるくなってしまったコーヒーを飲みほした。
いよいよ念願の毒殺トリックを用いた小説が完成する。そう考えると、なんだか嬉しさのあまりそわそわして落ち着かない。
それほどまでに、ミステリー好きの僕としてはどうしても叶えたい夢だったのだ。
以前は毒物について調べようと思っても脳が拒絶してしまってどうしようもない状態だったので、この夢はもう叶えられないかと半ば諦めてしまっていた。
しかし、新藤さんに出会って、彼女の言葉に手を引いてもらって恐る恐る入り込んだ化学の話は、思っていたよりも理解できるものだった。何より驚いたのは、僕自身がそうして彼女に教えてもらうことが楽しいと感じていたことだ。
高校の頃のトラウマになりそうなモルやサインコサインの話とは違って、知ることによる楽しみがあることを発見してしまったのだ。
そういう意味でも、彼女には感謝してもしきれない。
感慨に浸っていると、机の上で携帯が震えた。
先ほど新藤さんに、小説が完成しそうな旨と、そのお礼の言葉を送ったから、それの返事が返ってきたのかもしれない。
スマートフォンを手に取り、やはり届いていた新藤さんからのメッセージを開くと、こう書いてあった。
「ごめん、NMRかけてた。お礼は今度お菓子として受け取ってあげよう」




