どうにか殺せる条件
「んぇ?」
すっかり諦めムードになっていた僕は、思わず頓狂な声を上げてしまった。
「例えば、アセトンシアノヒドリンという物質がある。この物質は青酸カリに比べて安定性が高く、保存にそこまで気を使う必要がない」
彼女はするすると解説を始めた。
「安定性……?」
「まあ、平たく言えば分解されにくいってとこかな。この物質なら青酸カリと同じような毒性を持っているから、使えるかもわからない」
新藤さんの言葉を追うようにして、僕は『アセトンシアノヒドリン 分解されにくい』とノートに記載した。彼女はその様子をさりげない所作の中で確認して、書き終えたのを見計らって続きを話してくれた。
「それから、やはり味の問題は解決できていない。これを解決するには、口に入れるものがまずくても不思議じゃない状況を作るしかないと思う」
「口に入れるものがまずくても不思議じゃない状況……」
僕は言葉を理解するために彼女の言葉をおうむ返しにした。
「例えば、薬として渡すとかね」
なるほど、確かにそれなら薬だからと言えば味の問題を何とかごまかせるのかもしれない。いっそカプセルなんかに入れれば、味もあまり感じない可能性もありそうな気がする。
いい。とてもいい案だ!
僕の中の創作意欲がむくむくと膨らんでいくのを感じて、なんだかそわそわした心地になった。これなら書けそうな気がする!
「加えて、アセトンシアノヒドリンで青酸中毒を起こしたいなら、こっちはアルカリにつける必要がある。青酸カリは酸につければよかったから胃酸と反応する仕組みになっていたが、アセトンシアノヒドリンを使うなら、そのあとに追加して重曹のようなアルカリを飲ませる必要がある」
理由はよくわからないが、とにかくそのアセトンシアノヒドリンで殺人をするなら、そのあとで重曹を飲ませる必要があるらしい。
「それなら、食事中に飲む水に重曹を入れるのはどうかな?」
僕が思いつきでそういうと、彼女はうんうんとうなずいた。
「そしたら食直前の薬とアセトンシアノヒドリンをすり替えるのがよさそうだね。このトリックを使えるのは食直前の薬を用意する人に限られるから、自然と犯人も絞れそうだ。そのうえ、青酸化合物による中毒であるはずなのに、直前に飲んでいた水からは青酸化合物が検出されなかったとしたら、一瞬操作の目を欺くことができるトリックになるのかもしれない……」
「おお! 一気にトリックらしくなった……!」
僕はうれしさに思わず飛び跳ねたくなる心地だった。
化学のことはまだよくわかっていないけど、彼女が分かりやすい言葉を選んでくれるおかげで、辛うじて彼女の話ついて行けたことに少しばかり感動を覚えた。
「で、ここまでしても足の問題は解決しない。調達方法が限られてくるから、青酸中毒と分かれば犯人も絞れてくる」
「あ、その点はたぶん大丈夫だと思う」
「えっ?」
今度は彼女が間の抜けた声を上げた。
「推理小説家は、汎用的な完全犯罪を書けないから。悪用される可能性があるし、いくらアマチュアとはいえ、誰にでもできる完全犯罪を使うのはちょっと危険なんだ」
「へぇ…確かにそれはそうか」
新藤さんは僕の話を受けて納得したようにうなずいて見せた。
「河野くんはそういう推理小説のお約束事とか詳しそうだし、君がそういうなら構わないよ」
彼女はそう言って背もたれに華奢な身を預けた。
「これで大体私が気になっていたことは言及したかな。参考になりそう?」
「ああ、もちろん! 本当に助かったよ!」
僕はメモを取っていたノートをそっと閉じた。
これだけ教えてもらえて、さらに書き直しのヒントまでもらえれば、ある程度納得できるものが書ける気がする。
「あ、そうだ! もし書いていて行き詰ったときにまた何か教えてもらいたいと思うから、連絡先を教えてくれない?」
僕が何の気なしにそういうと、彼女は一瞬だけ表情を曇らせたように見えた。
何かデリカシーのないことを口走ってしまっただろうかと、僕が自分のセリフを振り返ろうとする前に、彼女は笑顔に戻りうなずいてポケットを探りだした。
「そうそう、夕飯おごってもらう約束忘れないでね?」
連絡先を交換しながら、彼女はにやりと妙な笑みを浮かべて言った。
僕がこの言葉の真の意味を理解するのは、ここから数時間後のことだった。




