日曜昼下がりのカフェにて
「悪夢を運ぶ白い猫ぉ?」
話を聞いた彼女は、僕とほとんど同じリアクションをした。
彼女の名は新藤真悠。全国でも指折りの名門大学、東橋大学の薬学部薬品合成化学研究室に所属している博士課程の大学院生だ。見た目は高校生にすら見える童顔だが、頭脳明晰博識洽聞の才媛なのだ。
少し前に、僕の書く推理小説で毒薬トリックを使おうとした際、毒や薬のスペシャリストとして紹介してもらい、お世話になって以来の付き合いだ。
千紘の妙な症状についても、彼女ならどうにか解明して改善してくれるのではないかと淡い期待を抱いて、相談を持ちかけたのだ。
昼時を少し外れた日曜のカフェには、僕達の他にも何人かが談笑したり、読書に勤しんだりしている。
「妙な話だね……」
少し眉根を寄せてそう言うと、彼女は生クリームたっぷりの何とかラテを一口飲んだ。彼女が注文したものだが、ホット・チョコレートのような飲み物をベースに、バナナのアイスや生クリームが浮かべられて、もはやパフェのようになっている。
「やっぱり新藤さんみたいに科学をバリバリやってる人はこういう話は信じないの?」
「いや、別にそんなことはないよ。確かに胡散臭い話だけど、頭から否定するには、それだけの根拠がないとね。きっと本当に科学的な思考が染みついている人は、こういう胡散臭い話もきっちり根拠や理由をつけて論じたがると思うな」
新藤さんはさっぱりと言い切った。
「それで、猫の話はともかく千紘ちゃんは悪夢にうなされて眠れないって言ってるんだね?」
僕は頷いて答える。
「うん。そこで、なんとか治してやりたいんだけどよく分からないから相談に来たんだ」
「うーん。悪夢ねぇ」
新藤さんはソファの背もたれにぐっと寄り掛かって腕組みをした。この前お世話になったこともあって、その考える仕草になんとなく期待してしまう。
「千紘ちゃんは、最近どんな様子なの?」
「最近どんな様子……と言われても、実家に帰るのはそんなに頻繁ではないし、詳しくは分からないけど、睡眠不足だってことを除けば元気そうだよ」
「ふむ……」
そう言ったきり、新藤さんは真剣な目つきで腕組みしたまま思考の世界から帰ってこなくなる。しばらくそうして遠くを見つめるような目をしていたが、突然彼女は話し始めた。
「悪夢ってのは、小さい子においてはよくある症状なんだけど、今回みたいに大人でも見ることがある。聞いた話だけど、一説によると女性に多いらしい」
そう言いながら、新藤さんは椅子に座り直した。
「原因は様々なものが考えられるけど、極度の疲れや飲酒、高熱などが挙げられて、たぶん一番多いのは精神的なものかな」
「精神的なもの……?」
僕は彼女の説明について行くために、声に出してみた。この前青酸カリについて教えてもらった時のことを何となく思い出す。
生粋の文系である僕は、前回推理小説で使う青酸カリについて彼女に教わった時も、こうして彼女の言葉をおうむ返しにしながら、ゆっくり反芻して咀嚼するように考えたものだった。
彼女はそれを聞いて、さらに説明を続ける。
「例えば、心的外傷後ストレス障害……俗に言うPTSDが悪夢の原因になることがある」
PTSD……それはなんとなく聞いたことがある。確か元軍人とか、虐待を受けた人とかがなるやつだったはずだ。
「もしかして、悪夢を運ぶ白い猫を見たことがトラウマになってたり?」
「いや、その可能性は低いと思う。PTSDは、命が脅かされるような体験をすることで、心に深い傷を負って、強い精神的な苦痛が続く病気なの。白猫を見たということが、そこまで強いストレスになったとは考えにくい」
「じゃあ、PTSDである可能性は低いってこと?」
僕の言葉に、新藤さんは軽く頷く。
「おそらくね。ただ、今のは極端な例で、ここまでのものではなくても、ストレスやトラウマが原因で悪夢を見ることはあるよ。とにかく、本人の話を聞いてみないと詳しいことは分からないな」
新藤さんはまた先ほどの何とかラテを一口飲んだ。
「たぶん今日は忙しいと思うから帰ったら僕がいろいろ聞いてみるよ」
「うん、それがいいと思う。お酒やたばこは控えて、疲れすぎない程度の運動をするように言っておいて」
「ああ、千紘は高校二年生でソフトボール部だから、その辺はたぶん大丈夫だよ」
「えっ? そうだったの?」
僕告げると、彼女は頓狂な声を出した。
「あれ、言ってなかったっけ?」
ふと彼女の方を見ると、ただでさえ彼女の大きなビー玉のような目がさらに見開かれて吃驚している。僕の方はどんな顔をしていたのか分からないが、お互いに顔を見て一瞬フリーズした。
少し間をおいて、新藤さんが驚きの表情を緩ませ、吹き出した。
まるでフクジュソウの花のような、控えめでかわいらしく、無邪気な笑いにつられて、僕の方もなんだかおかしくなってきた。
日曜日のカフェの落ち着いた華やかさが漂う店内に、僕たちの潜むような笑いが咲く。
「妹っていうから、てっきりもう大学生か社会人なんだと思ったよ」
「ごめんごめん、つい説明した気になって話しちゃった」
短めの黒髪にこんがり日焼けした肌という絵に描いたようなスポーツ少女である千紘が紫煙をくゆらせ、酒をあおる様子はちょっと想像できない。
新藤さんはどういう千紘を想像したんだろう。
ひとしきり笑い終えた彼女は、呼吸を整えるように一息ついてまた話し始めた。
「それなら、環境を調整するといいかもしれないよ。温度や湿度を調節したり、音や光が入らないように気を付けたりして、快適な睡眠がとれる環境を整えてみたらどうかな?」
「ありがとう、伝えておくよ」
彼女に倣って、僕も少し心身を落ち着かせて言った。
やはり彼女の知恵を頼って正解だったかもしれない。これだけ丁寧なアドバイスをもらえれば、きっと千紘の具合もよくなるに違いない。
こうしてこの日はいくらか他愛もない話をして、暗くならないうちに解散した。
しかし、ことはそう簡単に解決するものではなかった。




