第九章 銀杏
沈帰塵が文殊院を出るとき、彼女は玄関まで見送った。日が傾き始めていた。銀杏の木の影が長く伸び、地面を黄色く染めている。
「待って。」彼女が呼び止めた。
沈帰塵が振り返る。彼女は少し迷ったあと、言った。
「私も、石舞台に行っていいですか。」
沈帰塵は彼女の目を見た。その目は答えを求めていた。写真の中国人が探していたものを、自分の目で見たいと思っている目だった。
「いいよ。」
彼女はほっとしたように息をついた。
「じゃあ、連絡先を——」
沈帰塵は首を振った。
「ここに来る。必要なときに。」
彼女はうなずいた。
沈帰塵は文殊院を出た。農道を歩きながら夕焼けを見た。空が赤く染まり、明日香村の山々は黒いシルエットになっている。
彼はノートを開き、石舞台の地図をもう一度見た。入口は夏至の方向。石の下にある。
夏至。一年で一番日が長い日。太陽が一番高く昇る日。古代の人はその日を基準に石を積んだ。
彼はノートを閉じて歩き出した。
バス停に着くと、空にはもう星が出ていた。彼はバスを待ちながら、腕につけた赤い紐の珠を撫でた。珠は冷たかった。しかしそこには誰かの体温が染み込んでいるようだった。
写真の中国人かもしれないし、その前の誰かかもしれない。
もしかしたら、その中国人も自分と同じように何かを探していたのかもしれない。
バスが来た。彼は乗り込み、一番後ろの席に座った。
窓の外の奈良の夜は静かだった。家々の明かりが一つ、また一つと灯り始めていた。




