第二十八章 冬
十二月になった。
奈良の冬は寒くない。
風だけが硬くなる。
銀杏の葉はほとんど落ちた。
枝だけが空へ伸びている。
沈帰塵は、カフェの隣の小さな家で暮らし始めた。
駅で出会った老婦人の家だった。
娘から手紙が届いた。
「空いている部屋があります。
よかったら使ってください。
家賃はいりません。
ときどき母の話し相手になってください。」
沈帰塵はそこへ移った。
小さな和室が二つ。
台所。
狭い庭。
椿が一本だけ植えられていた。
家具は増やさなかった。
布団。
低い机。
鉄瓶。
それだけだった。
老婦人は隣に住んでいる。
調子のいい日は、
「駅で会った中国の人。」
そう言って笑う。
悪い日は、
「どなたでしたか。」
何度も尋ねる。
そのたび沈帰塵は答える。
「通りすがりの者です。」
老婦人は、
「そう。」
とうなずく。
ある日。
庭で椿に水をやっていると、
老婦人が柵の向こうから声をかけた。
「中国から?」
「はい。」
「奈良は好き?」
「好きです。」
「帰るの?」
沈帰塵は少し考えた。
「帰る場所はあります。」
「でも、急ぎません。」
老婦人は笑った。
「それなら、よかった。」
風が椿を揺らした。
その午後。
高田から短い連絡が届いた。
「今日も山へ行きました。」
写真が一枚添えられていた。
若草山。
夕暮れ。
古墳。
何も変わらない景色。
沈帰塵は返信しなかった。
必要がなかった。
高田はもう、
何を見ればいいか知っていた。
西村敬が座り続けた場所。
今は高田が座っている。
山は、
今日も誰かに守られていた。




