第二十七章 猫と紙
翌朝。
沈帰塵はカフェへ入った。
風鈴が鳴る。
店主はいつものように、
カップを拭いていた。
「アメリカンを。」
「はい。」
窓際の席へ向かう。
猫がいた。
今日は店の中だった。
いつもの席で丸くなっている。
沈帰塵が近づく。
猫は逃げない。
ゆっくり顔を上げる。
目が合う。
猫が瞬きをした。
沈帰塵も瞬きを返した。
猫はまた目を閉じた。
沈帰塵は隣へ座る。
コーヒーが運ばれてくる。
湯気が静かに立っていた。
彼は一口飲む。
温かい。
それだけだった。
しばらくして、
店主が言う。
「石舞台へ行かれましたか。」
「行きました。」
「何かありました?」
沈帰塵は少し考えた。
「ありました。」
「見つかりましたか。」
「はい。」
「持って帰りましたか。」
沈帰塵は首を振る。
「いいえ。」
店主は微笑んだ。
「そのほうが、奈良らしいですね。」
二人はそれ以上話さなかった。
静かな時間が流れる。
やがて、
沈帰塵が尋ねた。
「この猫は、
いつからここにいるんですか。」
店主は笑った。
「私が子どもの頃には、
もういました。」
少し考えて、
笑い直した。
「もちろん、
同じ猫じゃありませんけど。」
沈帰塵も笑った。
「そうでしょうね。」
猫は目を開けた。
二人を見た。
何も言わない。
また目を閉じた。
沈帰塵は立ち上がる。
千円札を置く。
「ごちそうさまでした。」
「ありがとうございました。」
風鈴が鳴る。
店を出る。
石段の上。
猫はもう外にいた。
日向で丸くなっている。
沈帰塵を見る。
ゆっくり瞬きをする。
彼も静かに返した。
猫は安心したように、
また眠った。




