第十九章 雨
雨が降った。
三日間、降り続いた。
奈良の十一月の雨は激しくない。
強くもない。
細かく、静かだった。
銀杏の葉に落ちるたび、さらさらと音を立てる。
誰かが遠くで本をめくっているような音だった。
沈帰塵は旅館の窓辺に座り、雨を眺めていた。
窓を少しだけ開ける。
土の匂い。
濡れた石。
枯れ葉。
雨の匂いが部屋へ入ってくる。
彼は珠を窓の外へ差し出した。
珠は雨を嫌がらない。
西域の砂。
長安の埃。
海風。
それらを越えてきた。
奈良の雨は静かだった。
やがて、部屋の電話が鳴った。
フロントの娘だった。
「祖母が……あなたに会いたいと言っています」
「わかりました」
沈帰塵は珠を手首に巻き直し、階段を下りた。
ロビーには老婆が座っていた。
杖。
濃い色のコート。
きちんと結ばれた白髪。
彼を見ると、ゆっくり顔を上げた。
「この前の……」
「はい」
「珠を外したら、よく眠れるようになったの」
「それはよかった」
老婆は少し黙った。
それから口を開く。
「あの珠をくれた人を、思い出したの」
沈帰塵は静かに見つめた。
「あの人は、曾祖父の友人だった。
中国から来た人だった」
「戦争が始まって、帰ることになってね」
「別れだ。これを忘れるな」
「そう言って、珠を置いていったの」
「名前は覚えていますか」
老婆は首を振った。
「覚えていない」
「でも、石舞台の下に何かある、と言っていた」
「それを探しに来た、と」
沈帰塵は小さくうなずいた。
「ありがとうございます」
老婆は立ち上がった。
杖をつきながら、ゆっくり外へ出ていく。
背筋はまっすぐだった。
フロントの娘が言った。
「祖母が、こんなにはっきり話したのは久しぶりです」
「そうですか」
「ありがとうございます」
沈帰塵は首を振った。
「私ではありません」
「珠を外しただけです」
彼は部屋へ戻った。
窓の外では、まだ雨が降っていた。
珠を机の上に置く。
雨音の中で、珠がわずかに震えたように見えた。
そう見えただけかもしれなかった。




