第十四章 若草山
彼は七日目に若草山へ登った。
計画ではなかった。
阿倍清乃が文殊院の前で言った。
「若草山から石舞台が見えると聞きました」
彼は言った。
「行こう」
二人はバスに乗った。
奈良駅で乗り換える。
そして山の麓へ向かった。
十一月の草は枯れていた。
風に倒れている。
遠くでは鹿が草を食んでいた。
彼は前を歩く。
彼女は数歩後ろを歩く。
「曾祖父は若草山によく登っていたそうです」
「石舞台を見るために?」
「分かりません。でも写真があります」
彼は答えない。
地形を見ていた。
草の下の土。
石の配置。
風の流れ。
彼は一千三百年前を思い出した。
終南山。
雪の山道。
転倒。
樵夫。
粥。
翌日、また転ぶ。
やがて中腹へ着いた。
石碑があった。
紫式部の歌碑だった。
彼はしばらく見ていた。
苔の付き方が少し不自然だった。
誰かが動かしたことがある。
そんな気がした。
北宋の記憶がよみがえる。
道士が石碑を回していた。
「方角が悪い」
「回せばいい」
彼は聞いた。
「回せばいいのか」
道士は頷いた。
彼はその場を離れた。
現在へ戻る。
「動かされたことがある」
「え?」
「この碑だ。誰かが向きを変えた」
彼女は黙っていた。
まだ分からない。
彼も説明しない。
しばらくして言った。
「水が流れている気がする」
「みず……?」
「この山の下だ」
「見えないが、流れているかもしれない」
彼女は山を見た。
「曾祖父も関係していると思いますか」
彼は少し考えた。
「分からない」
そして言った。
「ただの想像だ」
風が吹いた。
枯れ草が揺れた。
二人はそのまま山の上を見ていた。




