Act05:たった三人の防衛戦 Ⅱ
シディアとルビィは、呆然となてその姿を見上げていた。
「ねぇ、ファイ。もしかして、全然効いてない?」
「むしろ、あれでどうにかなるなら、みんなそこまで苦戦しないと思うなぁ」
「やっぱり、ゴーレムさんは頑丈なんですね」
と、アンティークの目のような部分が、突然赤く光り出した。
なわなわと全身をこわばらせ、まるで八つ当たりのように腕を振り回す。ただそれだけの行為で、同じくらいの太さのある木々が次々となぎ倒された。
「こらー! 森を荒らすなー! コルサーンの森には、貴重な素材がいっぱいあるんだぞ!ー」
「アンティークさん、すごく怒ってます……」
アンティークの振る舞いにほっぺたを膨らませて怒るルビィとは対照的に、シディアはそっと自分の肩を抱いく。
そしてファイはいつでも動けるよう、下肢へと力を込める。
その瞬間は、直後にやってきた。
今までよりも鋭い踏み込み。一歩の歩幅は、比較にならないほど大きい。
「こここ、こっちに来ました!」
「ルビィちゃん、早く逃げて!」
わたわたと慌てふためくシディアの手を引きながら、ファイはルビィに向かって叫んだ。
しかし、ルビィはその場を動こうとはしない。不敵な笑みを浮かべながら、魔力を練り始めている。
やりあうつもりなのか。体力が底をつきかけているのに。
「見せてやるよ、ボクの本気をさっ!」
近付きながら大木を引っこ抜き、襲い来るアンティーク。ルビィはその巨体に向かって、一直線に走り出した。
ルビィの姿を捉えたアンティークは、思い切り大木を振り下ろす。
しかし、
「燈火の露命!」
叩き付けた大木が、飛び散った石つぶてが、ルビィの体を通り抜けたのだ。
「千灯篭!」
アンティークの攻撃をすり抜けたルビィは更に分身し、十数人の一団となって突っ込んだ。
さすがのアンティークも焦っているようで、頭部を激し大木を無作為に叩きつける。
だが、その中に本物のルビィはいない。
「とりゃぁああああッ!!」
アンティークの側面から、雄叫びを上げながらルビィは姿を現す。
全身に炎をまとい、地面へと燃える足跡を刻みつけ、魔力で固めた拳を思い切り叩き込んだ。
ゴォォオオオオオッ……!!
炎が効きにくいなら、これならどうだ。
凄まじい衝撃音が、大気を震わせる。防ぐどころか反応すらできず、ルビィの拳はアンティークの足首を捉えた。
だがやはり、
「いったたぁ……」
顔をしかめたのは、ルビィの方だった。
衝撃音にかき消されてしまったが、間近にいたルビィにはちゃんと聞こえていた。
拳からあふれた魔力が、アンティークに触れた瞬間からバラバラにほつれてゆく崩落和音が。
表面に少しだけ亀裂が走ったが、それもどこまで効いているか。むしろ、ほとんど効いていないとは思うけど。
それに引き換え、ルビィは今ので完全に手を痛めてしまった。魔力をまとってぶん殴るってのは、魔法以上に止めた方がよさそうだ。
しかし、痛がっている余裕はない。アンティークはルビィへと狙いを定め、拳を振り下ろそうとしているのだから。
下半身に魔力を集め、バックジャンプで大きく距離をとる。
それに遅れる事数秒、アンティークの腕が、まるで石柱のように地面に突き刺さった。
「うっわぁぁ……。今のはちょっと危なかったかも」
アンティークを殴った右手をさすりながら、シディアは渇いた笑みを浮かべる。
「ルビィちゃんを助けないと!」
「待って、危ないよ! シディアちゃん!」
ファイの制止をふりきり、シディアもアンティークに向かって駆ける。
危なっかしいほど遅い足取りで、危なっかしいほどまっすぐな心構えで。
「火の粉!」
魔力を練り上げたシディアは、火属性の初級魔法を唱えると同時にアイアンロッドを振るう。
だが、出たのは焚き火のひのこのようなものがたった少しだけだ。
アンティークに届くどころか、気付いてさえもらえない。
「疲れた人のため息!」
再びシディアは、風属性の初級魔法を唱える。アイアンロッドの先から、そよ風が一陣足下の草を撫でた。
こんな風では、おもちゃの風車を回すので精一杯だろう。
「くたびれた小雨!」
それにも懲りず、またシディアは水属性の初級魔法を唱える。今度はアンティークの頭の上に、数滴の水がしたたり落ちた。
だが、もちろんアンティークは気にも止めない。魔法で作った水より、今シディアが額から流している汗の方がずっと多いほどなのだから。
「えぇいっ!!」
そしてアンティークの足下までやってきたシディアは、アイアンロッドでその巨大な足首をぶん殴る。
そこでようやく、アンティークはシディアの存在に気付いた。
「わ、私だって、アンティークさんと戦えます!」
果たしてシディアの声は届いているのか。アンティークは遠くのルビィから、すぐ近くのシディアへと狙いを変えた。
「危ないっ!!」
「シディアッ!!」
シディアの真上から、巨大な拳が振ってくる。
逃げる事も忘れてその様を見上げていたシディアの体に、何かが真横からぶつかってきた。
そしてその頭上を、強烈な熱戦が幾本も通過する。
「無茶しちゃダメだって、言ったでしょ!」
ぶつかってきたのは、他の誰でもないファイだ。
「何やってんだよ、シディア!」
ファイとシディアを援護するように、ルビィは威力を落とした情熱的応援をアンティークへと続けざまに叩き込む。
そのすきに、二人はアンティークの近くからどうにか脱出した。
「ありがと、ルビィちゃん。おかげで助かった」
「ファイこそ、シディアを助けてくれてありがとう」
ルビィは更にファイヤーボールをアンティークの足下に放ち、土煙を巻き上げた。
向こうが視界を奪われている間に、態勢を立て直さなければならない。
立て直さればならないのだが、その前にファイはどうしてもシディアに言っておかねばならない事があった。
「シディアちゃん、なんであんな無茶したの!!」
ファイはシディアの肩を強くつかみ、今までにないほど語気を荒げた。
これにはシディアも、びくっと背筋を正す。
「シディアちゃん、自分の魔力がどれくらいか、ちゃんとわかってるの?」
「はい、わかってます」
「なら、だったら、何であんな事したの!」
「だって、私は魔法使いですから!」
魔法使い、か。
確かに、シディアは今の自分と比べれば、よっぽど魔法使いだろう。
しかし、
「魔法使いだから何? 魔法使いだからって、万能じゃないんだよ!」
そんな比較に意味はない。
「それに、シディアちゃんの魔法、アンティークに届いてもいない。やっても、全部無駄なの!」
彩髪と濁髪の絶対的魔力の差は、どうあっても覆せるものではない。
シディアは何度も魔法を使った。
だが、それがどうした。あの程度の魔法では、素手の一般の方がまだ強いくらいだ。
「無駄じゃないです! さっきは、ゴーレムさんに目潰しが効きました!」
「でも、もう効いてない」
「もしかしたら、ルビィちゃんの炎や、ルチルちゃんの雷以外に、効く魔法があるかもしれません!」
「あったとしても、シディアちゃんくらいの威力じゃ、意味がないの」
ファイはただ、現実をシディアにつきつける。いつかの自分とルチルの時のように。
魔法を使えても、果たしてシディアは魔法使いと言えるのだろうかと。
どうしてだろう。言葉を重ねるほどに、それはファイ自身にも突き刺さってくる。
いいや、誤魔化すのはやめよう。シディアがどうしても、今の自分と被ってしまうから、そう感じてしまうのだろう。
魔法とも言えない魔法しか使えない濁髪と、魔法が使えなくなってしまった彩髪とを。
嫌でもわかってしまう。力になれないもどかしさ、やり場のない嫉妬、そして不甲斐ない自分への怒り。
だが、それらはどうあっても変える事はできない。
「で、でもぉ……?」
するとシディアは突然、糸の切れた人形みたいにファイに向かって倒れ込んできた。
「シディアちゃん!」
ファイはそれを、優しく受け止める。魔力の使いすぎで、憔悴しきっているのは、火を見るより明らかだ。
「ほら、もう限界じゃない」
ファイは近くの木に、シディアを座らせる。
それと時を同じくして、土煙の方も晴れた。
「ファイ、シディアの事、頼んだよ」
「ルビィちゃん……」
ルビィは二人にそう告げると、再びアンティークの方に向かう。たった一人で。
ファイには、返事をすることもできなかった。
「ファイちゃんさん」
珍しく表情を曇らせていたシディアは、ハッとファイを見上げた。
くりくりとした黒い瞳はどこまでもまっすぐで、ファイの心までをも射抜く。
「どうしたの? シディアちゃん」
「確かに、私の魔法じゃ、みんなの役には、立てないかもしれません。でも……」
そして次に続く言葉は、まるで水面に広がる波紋の如くファイの心へと染み渡った。
「でも、そこで立ち止まっちゃったら、先に進めないじゃないですか」
ファイの脳裏に、ウサピィと話したあの日の事が蘇る。
他の誰にも、自分ですらも見えない未来という名の道を、シディアは迷わず進んでいる。
それは濁髪であるシディアには、彩髪のファイ以上に辛く険しい道だ。
にも関わらず、シディアは立ち止まったりせず、全力で突っ走っている。臆さず、恐れず、まるで息をするかのように、それが当たり前とでも言うように。
「それに、私はルビィちゃんを助けたいんです。一緒に戦いたいんです。魔法使いじゃなくても、親友として」
その時、ファイの中であの時の光景がフラッシュバックした。




