Act04:未来への選択
「お前ら、ちゃんと歯磨いて寝ろよ」
「はーい」
「では、お休みなさいです」
ちょっと遅めの晩御飯のあと、ほとんど目が閉じちゃってるルビィとシディアは先にベッドへ向かった。
きっと、ケーキ作りに疲れたのだろう。大変だったけど、思い返してみれば楽しかった気もする。
「悪いな、こんなもてなししかできなくて」
「いえ。おいしかったです、特製チャーハン」
ちなみに今日のメニューは、雑草ではなく野菜たっぷりエビチャーハンだった。
普段はパンの多いファイには新鮮な食感だったが、エビの香り、卵のふんわり具合、野菜の風味と甘味が見事に調和したチャーハンは、なかなか見事な出来映えであった。
もしかしなくても、ファイより料理の腕は上手いと思われる。
「そりゃよかった」
ほっとしたウサピィは手早く食器を片付けながら、ティーカップを二人分用意し、変わった色合いのお茶を注いだ。
「俺の国の緑茶って飲み物に似ててな、気分が落ち着くんだ」
「ありがとうございます」
緑味を帯びたお茶を、ちびちびと口に含む。
普段飲み慣れている紅茶と比べると、自己主張のない大人しい味わいだ。しかしそれゆえに、ウサピィの言うようにリラックス効果がある。
一口含んだだけでも、ほっとするような気がする。鼻から抜けてゆくほのかな香りが、どうにも心地よい。
「そういえば、ウサピィさんってものすごく遠くのお国の方なんですよね」
「あぁ。日本っていってな、彩髪みたいな派手な髪をした人間もいなけりゃ、モンスターも、魔法もない国、というか世界から来たんだ。まぁ、信じちゃくれないだろうけどな」
「確かに、にわかには信じ難い話ですね。でも……」
彩髪も、魔法もない国、か。
「もし、本当にあるんなら、行ってみたいです」
今のファイにとって、まるでそれは夢のような場所だ。
「そしたら今の私みたいに、魔法が使えなくなったりして、悩む事もないんでしょうから」
そう、今まで彩髪と濁髪、魔法使いとそうでない者の間にある、醜い確執を嫌と言うほど見てきただけに。
濁髪がどんな思いで彩髪を──魔法使いを見ているのか、今ならわかる。
憧れと同じくらいの恐怖、自分が無力というものを思い知らされる。自分にないものを持ってる悔しさ、どれだけ努力しても手に入らない事への嫉妬。
生まれた瞬間に決まってしまうそれは、運命と言うに他ならない。ぶつけようのない怒りが、自分の中でぐるぐると堂々巡りを繰り返すのだ。
そんな思いをしなくても済むのなら、どれだけ幸せな事だろう。
しかし、
「いや、そこまでいいもんでもないさ」
ウサピィは、それを否定した。
「確かに、魔法がないんだから、その事で悩むことはない。けど、似たような悩みなんていくらでもある。いや、魔法以外の指標がありすぎる分、むしろより悩む機会は多くなるな」
魔法使い以外の道。言われてみて、ファイは初めてその選択肢の多さに気がついた。
数え切れないほど多種多様な道が、目の前に広がっているという事に。
「それに、それはこっちでも同じだよ。魔法使いになれないやつは、それ以外の見つけなけりゃならない。しかもそれは魔法と違って、適性だって見た目じゃわからないんだ。その仕事が自分に合っているか、好きになれるのか。やってみなけりゃわかりゃしねえ。それも、何年もな」
しかもその道は暗く閉ざされた道で、明かりを持つ事さえ許されない。
一歩先は崖かもしれない。あるいは終わりのない道が延々続いているだけかもしれない。
そう、どこにゴールがあるのか、そもそもゴールなんてものが存在しているのか。それさえもわからないのだ。
しかし、それは誰しもが通る道であり、ごく当たり前の事。今まで“魔法使い”という道の用意されていたファイの方が、むしろ特殊なのである。
「だから悩むんだよ。この道で大丈夫なのか、この先もずっとやっていけるのかってな」
そして現在、魔法を使えなくなった事で、初めてファイは自分の道を探し始めたのだ。
行き先のわからない真っ暗な道を、手探りで切り開いて行くように。
「ウサピィさん、もしこのまま魔力が戻らなかったら、わたし、どうしたらいいんでしょうか……」
ふっと湧いてきた不安が、思わず口からこぼれる。
「それこそ、俺にはどうにもできない相談だな。俺にできるのは、手助けしてやるところまで。そっから先は、自分自身の問題だ」
だがもちろん、ウサピィは答えてくれないし、答えられるはずもない。
魔法使いでもなければ彩髪でもないのだから、そもそも提示できる物を何も持ち合わせていないのである。
見当違いな質問をしてしまったファイは、フッと自嘲気味な笑みを浮かべた。
「そう、ですよね。すいません」
この先、魔力の戻る保証はない。戻ったとしても、それは何ヶ月先になるか、もしくは何年も先になるかもしれない。
自分の歩みの先にあるのはゴールではなく崖か、もしくは無限遠に続く道か……。
それを選ぶのも、またファイ自身なのである。今の道を進み続けるか、新たな道を模索するか。
幸いにも、シュネーヴァイス家とは家出の末に絶縁状態だ。魔法使いをやめたって、気に病む人間は誰もいない。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
しばらく沈黙していたファイが、不意に口を開く。
「あぁ。別に、一つじゃなくても構わないが」
思い浮かぶのは、今日の帰り道の風景。その時に抱いた、ある疑問である。
「なんでウサピィさん達は、今みたいな関係でいられるんですか?」
と、ウサピィの眉がピクリと動いた。
「んと……。悪いが、もうすこしわかりやすく頼む」
ファイはこほんと咳払いをして、頭の中を整理する。
緊張しているせいもあって、いつも以上に声は細い。
しかし、それも仕方のない事である。あまりにぶしつけで、失礼な事を聞こうとしているのだから。
「えっと、シディアちゃんはともかくとして、ルビィちゃんやルチルちゃんは、強力な魔法を使える、魔法使いです。二人とも、平均からすれば非常に秀でた能力を持っています」
「ルビィが聞いたら泣くな。あいつ、薬師志望だから」
はぐらかすように、ウサピィは肩をすぼめておどけて見せる。
だが、ファイの表情は変わらない。それどころか、ウサピィからも視線を外し、手元へと俯く。
「ウサピィさんは、二人が怖くないんですか?」
一瞬訪れた、空白の間。まるで時間が止まってしまったかのように、全ての音が消失した。
「失礼を承知で言わせていただきますが、ウサピィさん達濁髪からすれば、私達彩髪は全身凶器も同然です。私達、魔法使いの騎士達ですら、一般の方からは一線を引かれています。それなのに、ウサピィさん達にはそんなのが全然なくて。どうして、そんな事ができるんですか?」
言った、言ってしまった。
あまりに無礼すぎる自分の言葉に、唇を強く噛みしめる。
どう思われただろうか。少なくとも、良い気がしないのは確かだ。
だってそれは、ラグトゥダが時々口にしている、そしてまたファイも強く惹かれている、魔法使いとそうでない者達の理想の関係そのものだったのだから。
それは現実からすれば、ただの絵物語に過ぎないはずである。
それは現実を無視した、単純な理想論でしかないはずである。
魔法使いとそうでない者の間には、どれほど手を尽くしても埋められない溝が存在するのである。
困っているかもしれない、怒っているかもしれない。でも、これは自分の聞いた事。もし答えてくれるのならば、ちゃんと聞かなければならない。
ファイは襲い来る不安と恐怖をどうにか気力で押さえつけ、おずおずと視線を上げた。
だがそこにあったのは、
「……そりゃ、最初は驚いたさ。なにせ、魔法のない場所から来たんだからな」
予想していたのとはまるで違う、何かを思い出して優しげに口元をほころばせたウサピィの笑顔だった。
「けど、あいつらが悪い事するように見えるか? 月に数イェン稼いで、橋の下の掘っ建て小屋で、雑草主食にしてるようなやつらが」
知っている。濁髪なのに魔法使いをやっているシディアは、良くも悪くも有名な子だ。
ちょっと前までどんな生活をしていたのかは、むしろウサピィよりも詳しいくらいである。雑草で食いつないでいた事までは、さすがに知らなかったが。
「でもって、そんなバカ二人がさ、必死こいて夢に向かって突き進んでんだ。応援したくもなるってもんだろ。だからまぁ、ついつい怒鳴っちまったりする事もあらぁな」
お茶を口に含み、ウサピィはほっと一息ついてカップを置く。
応援したくなる、か。言われてみれば、確かにそうだ。
シディアもルビィも、根っこは純粋で、まっすぐで。そんな二人だから応援したくなる、見ているだけでも元気がもらえる。
今日だって、自分を笑顔にさせたいという理由だけでギルドの建物まで来てくれたのだ。そんな子達が悪い事をするなんて、ウサピィの言う通り絶対にあり得ないだろう。
「そしてな、俺はお前の事も応援してんだよ」
「わ、わたしの事も、ですか?」
不意を突かれたファイは、素っ頓狂な声を上げて驚いた。
「壁にぶち当たってんだろ、今。魔法が使えなくなっちまったっていう、ものすごく高い壁に」
それを聞いて、ファイは再び俯いた。
しかし、それにも構わずウサピィは続ける。
「俺にもな、そんな時期があったんだよ。いくらやっても上達したように感じなくて、足掻きまくった時期がな。だから、今のお前の気持ちは痛いほどよくわかるんだよ」
ウサピィさんにも、そんな時期があったのか。そっちの方に、ファイは驚愕した。
恐らく彼は、この国にたった一人しか存在しない髪の職人だ。今はまだ誰にも知られていないけど、あの手技を目の当たりにすればたちまち評判を呼ぶだろう。
きっと、誰からも必要とされる日がそう遠くない内にやって来る。そんなウサピィも、今の自分と同じような経験があっただなんて。とてもじゃないが、信じられなかった。
「けっこう歳も近いみたいだし、あんまり偉そうな事を言えた義理じゃないが。でもな、俺は絶対美容師になりたいって、この仕事で頑張りたいっていうに譲れない思いがあったんだよ。ファイ、お前は、そういうのはあるのか?」
「私、に?」
「あぁ」
ファイは今一度、自分自身へと問いかける。
「なぜ魔法使いになりたかったのか。魔法使いになって、何をしたかったのか」
「私が、したかった事……」
魔法使いになって──側近騎士団になって自分のやりたかった事とは、何だったのかを。
「その譲れない何かがあるんなら、壁は乗り越えられるさ。まぁ、かく言う俺も次の壁を攻略中なんだけどな」
「ウサピィさん……」
そうか、次の壁を、か。
それは、とても大変そうだ。
「俺にも見せてくれよ。壁を超えるところ」
大変そうだけど、でも、とても楽しそうだ。
「そのためなら、いくらでも応援してやるからよ」
そうだよね、壁にぶち当たらない人なんて、この世に誰一人としていないよね。
生きていれば、大なり小なり誰でも壁にぶち当たる。それを乗り越えるか、はたまた別の道を探すか。
ただその道も、暗く閉ざされていて行き先はわからない。
だから悩むのだ。だから不安になるのだ。
しかし、立ち止まってはいられない。乗り越える決意をしたならば、まっすぐ前に進まなければ。後悔しない明日を迎えるためにも。
「あの、少し聞いてもらって、いいですか?」
そう。後悔しない明日を、未来を迎えるために。意を決して、リファイド・シュネーヴァイスは、おずおずと語り始める。
今まで誰にも語った事のなかった、自分が魔法を失う前に起きた、ある事件の事を……。




