第五話 お世話になりました
その日は、朝から、少しだけ空気が違った。
いつものように掃除を終え、買い出しから戻ると、拠点にはガロさんたち四人が揃っていた。まだ潜行の時間でもないのに、全員が。俺が戻るのを、待っていたみたいに。
「レイ。ちょっと、いいか」
ガロさんが、椅子に腰かけたまま、俺を呼んだ。
「はい。なんでしょう」
俺が荷物を置いて向き直ると、ガロさんは、面倒くさそうに頭をかいた。それから、なんでもないことのように、こう言った。
「お前、明日からもう来なくていいわ」
一瞬、言葉の意味が、うまく飲み込めなかった。
「……え?」
「クビだよ、クビ。わかるだろ。うちに、新しいメンバーが入ることになってな。上位職の暗殺者だぜ?いやーやっと捕まえられそうなんよ。んでわかるだろ?パーティの枠は五人まで。だから——お前の席が、なくなるってわけよ」
「はっ...?」
あっさりと、ガロさんは言った。
二年だった。二年間、俺はこの人たちのために働いてきた。掃除も、買い出しも、荷物運びも、剥ぎ取りも。命がけとは言わないまでも、精一杯、役に立とうとしてきた。
それが、たった一言で、終わる。
不思議と、涙は出なかった。怒りも、湧いてこなかった。ただ、胸の奥が、しんと静まりかえっていた。
—ああ、そうか、と。どこかで、こうなる気がしていたのかもしれない。
「そうですか……わかりました」
俺が静かにそう答えると、ケイルさんが、ふっと鼻で笑った。
「えらく聞き分けがいいじゃねえか。ま、お前も潮時だと思ってたんだろ」
「あ、そうだ。言い忘れてた」
ガロさんが、思い出したように付け加える。にやりと、口の端を上げて。
「そのアイテムボックスの中身な。全部、置いていけよ。うちで拾ったモンなんだから、うちのもんだ。当然だろ?」
うちで拾ったもの。
俺は、ボックスの中身を思い浮かべた。パーティ共有の食料。予備の武器。松明や薬草。それから
——ダンジョンで拾って、まだ売っていない素材や、宝箱の中身。たしかに、それらは、パーティのものだ。俺が運んでいただけの、みんなの財産。
「はい。もちろんです」
俺は、ボックスから、それらを順に取り出していった。食料の樽。武器の束。素材の山。パーティのものは、ひとつ残らず、拠点の床に積み上げられた。
その様子を眺めながら、ガロさんが、懐から何かを取り出した。
金貨が、一枚。
「ほらよ。今までのお駄賃だ。ありがたく受け取れ」
ぽん、と。金貨が、俺の足元に放り込まれた。
金貨一枚。
この街で、そこそこの宿に、半月は泊まれる額だ。二年働いた対価としては
—きっと、あまりにも少ない。それでも。
俺は、その金貨を、拾わなかった。
「……いえ。それは、受け取れません」
「あ?」
ガロさんが、怪訝な顔をした。俺は、腰に差した父の短剣にそっと手を触れた。冷たい、古い柄の感触。無理はするな、と、あの日、ぶっきらぼうに手渡してくれた父の手を、思い出す。
—俺は、この金貨をもらえるような働きは、していない。
戦ったわけじゃない。命を張ったわけでもない。
ただ荷物を運んで、雑用をこなしただけの、荷物持ちだ。この金貨は、そういう俺が、受け取っていいものじゃない。……そう、思ってしまった。損得なんて、これっぽっちも考えなかった。ただ、筋が通らない気がした。
俺は、金貨を、床に残したままにした。
「二年間、お世話になりました」
深く、頭を下げた。
顔を上げると、四人は、もう俺のほうなど見ていなかった。ケイルさんは酒を注ぎ、バズさんは欠伸をし、ドグさんは壁のほうを向いている。ガロさんだけが、ひらひらと、追い払うように手を振った。
「おう。達者でな」
心のこもらない、その一言を最後に。
俺は、二年間暮らした拠点に背を向けて、扉を開けた。
「んー今日もいい天気だなぁ」
外は、よく晴れていた。緊張で縮こまった体を伸ばしながらあてもなく、俺はリンドールの街を歩いた。
気づけば、街の外れの、人気のない古い井戸のそばまで来ていた。石の縁に腰かけて、俺は、ひとつ息を吐いた。
クビになった。
「あー...これからどうしよう?」
二年いた居場所が、ふいに、なくなった。これから、どうしよう。宿代はあと数日分。仕事の当ても...ない。……でも、なぜだろう。
頭の中は、意外と、すっきりしていた。
ふと、俺は、自分のアイテムボックスのことを思い出した。
パーティのものは、全部置いてきた。けれど、俺自身の「分け前」二年間ガロさんたちが「取り分だ」と渡してきた、あの安物のアクセサリたちは、まだ、ボックスの中に残っている。あれは、間違いなく、俺のものだ。
少しは、金になるだろうか?
俺は、ボックスの中身を、井戸の縁に、そっと並べてみた。
くすんだ指輪。安っぽい腕輪。石の欠けたペンダント。
ひとつ、ふたつ、みっつ……並べていくと、全部で、三十個ほどあった。二年ぶんの俺の稼ぎ。
ひとつ手に取って、目を凝らす。神様がくれた「鑑定」のおかげで、アクセサリの効果は、見ればわかる。
—力、プラス1。
次のを見る。素早さ、プラス2。
その次は、体力、プラス1。
器用、プラス3。
どれもこれも、ステータスが、ほんのわずかに上がるだけの、最底辺の品ばかりだった。ひとつ売っても、パンひとつ買えるかどうか。三十個、全部かき集めても——
きっと、銀貨数枚にしかならない。
「二年間で、これかぁ」
俺は、思わず、乾いた笑いをこぼした。恨みは、なかった。ただ、なんというか——しみじみと、そういうものか、と思っただけだ。
並べたアクセサリを、俺は、ひとつずつ、またボックスにしまい直した。
安物でも、俺の稼ぎだ。捨てるのも、もったいない。とりあえず、しまっておこう。そう思って、俺は三十個のアクセサリを、全部ボックスの隅に戻した。
—このときの俺は、まだ、気づいていない。
この「とりあえずしまっておいた」ことが、どれほど大きな意味を持つのか。そして、この安物のアクセサリの山が、いずれ、俺の運命を、根底から変えることになるのだということを。
◇
その頃。王狼の牙の拠点には、新しいメンバーが、顔を出していた。
黒い装束に身を包んだ、痩せた男。名を、ザイド。
Aランクの、暗殺者。
上位職の腕利きの冒険者だった。ガロが、大枚をはたいて引き入れた、期待の新戦力である。
ザイドは、床に積み上げられた樽や武器の山を見て、片眉を上げた。
「これは?」
「ああ、さっきクビにした荷物持ちが、置いてったやつだ。おいおい片付ける」
ガロが、事もなげに答える。ザイドは、その「荷物持ち」という言葉に、わずかに引っかかった。
「クビ? さっき出るところを見たが、ずいぶん若いのがいたようだな。あれは、何者だ」
「ん? ああ、レイってFランクのガキだよ。Lv1のな。二年ばかし、うちで飼ってたんだ」
「……Lv1の、Fランク」
ザイドの、切れ長の目が、細くなる。
「妙だな。金級のパーティが、なぜそんな低ランクを、二年間も抱えていた?」
「アイテムボックス持ちでな。荷物運びに便利だったのさ。長く潜るうちにゃ、ああいうのが一人いると、そりゃ楽だ」
「——アイテムボックス!?」
ザイドの声が、わずかに、鋭くなった。
(アイテムボックス持ち……? 持つ者の少ない、希少なスキルだぞ。そんな者を、みすみす手放しただと?)
暗殺者の勘が、ちりりと、警鐘を鳴らした。何かがおかしい。そんな有用なスキル持ちを、なぜ、わざわざ捨てる。ザイドは、口を開きかけた。
だが。
「まあ、アイテムボックスっつっても、スキルレベルはFだからな」
ガロが、酒をあおりながら、面倒くさそうに続けた。
「大した容量でもねえ。ちょっと便利な、運び袋みたいなもんさ。上を目指すのに、Lv1のFランクなんざ、足手まといにしかならん。お前が来るんだ、もう用済みよ」
「……そうか。Fランク、か」
ザイドの、張り詰めかけた勘が、す、と緩んだ。
スキルレベルF。それを聞いて、ザイドは、内心で自分を納得させた。なるほど、最底辺のFランクスキルなら、大した価値もない。荷物持ち程度に使い潰して、用が済めば捨てる。冷たいが、合理的な判断だ。金級パーティの選択としては、間違ってはいまい。
(……まあ、Fランクなら。仕方、ないか)
ザイドは、それ以上、追及するのをやめた。
—こうして。
王狼の牙は、自分たちが何を手放したのか、最後まで、誰ひとり気づかなかった。たった一文字。「F」という、その表示だけを見て。全員が、そろって、宝の正体を、見誤ったのだ。
◇
夕暮れが、街を朱色に染めていた。
井戸のそばから、あてもなく歩き出した俺は、いつのまにか、ギルドの近くまで戻ってきていた。さて、これから、どうしたものか。ひとまず、日雇いの仕事でも探すしかない。そんなことを考えながら、とぼとぼと歩いていた、そのときだった。
「—あれ? レイ?」
聞き覚えのある声に、俺は顔を上げた。
ミレイさんだった。その後ろには、いつものように、大柄なバルトの姿もある。二人は、ちょうどダンジョンからの帰りらしく、軽装だった。
「こんな時間に、こんなとこで、なにしてんの?あんた、王狼の牙は?」
「あ……えっと」
どう言ったものか、俺は、少し迷った。けれど、隠すことでもない。俺は、正直に答えた。
「今日、クビになっちゃって。王狼の牙」
その瞬間。
ミレイさんの動きが、ぴたりと、止まった。
「……は?」
「新しい人が入るから、俺の席がなくなったんです。だから、まあ、しょうがないですよね。二年も、お世話になりましたし」
へへ、と、俺は力なく笑った。
ミレイさんは、しばらく、無言だった。つり上がった猫目が、まじまじと俺を見つめている。それから、彼女は、ずかずかと歩み寄ってきて、俺の腕を、ぐいっと掴んだ。
「ちょっと。あんた、ちゃんとご飯はたべれてるの?宿は?手持ちはあるの?」
そう矢継ぎ早にミレイさんは俺にたずねてきた。
「え、あ、宿はあと数日分は……」
「数日分!? それだけ!?」
ミレイさんの声が、跳ね上がった。彼女は、俺の顔を、腕を、身なりを、素早く見て取ると
——ぐっと、眉を吊り上げた。
そして、なにかを決めたかのように、バルトに振り返る。
「バルト。こいつ、連れてくわよ」
「お、おう。まあ、そうなるわな」
バルトが、苦笑した。慣れた様子だった。
「え、あの、ミレイさん。俺は、そんな、悪いですし——」
「うるさい。黙ってついてきなさい」
有無を言わせぬ調子で、ミレイさんは、俺の腕を引いた。抗う気力も、正直、あまり残っていなかった。俺は、引きずられるように、二人についていった。
◇
連れて行かれたのは、ミレイさんたちの行きつけらしい、小さな食堂だった。
温かいスープと、パンと、肉。ミレイさんが「これも、これも」と、次々に頼んでいく。俺の前に、湯気の立つ料理が、どんどん並んでいった。
「食べなさい。全部」
「え、こんなに」
「いいから食べる!」
怒られながら、俺は、久しぶりのまともな食事に、手をつけた。温かかった。染み込むように、美味かった。二年間、こんなにちゃんとした飯を、食べた記憶が、あまりなかった。
その様子を、ミレイさんは、腕を組んで、じっと見ていた。バルトは、隣で機嫌よく酒を飲んでいる。
しばらくして、ミレイさんが、ぽつりと口を開いた。
「……ねえ、レイ。ひとつ、聞くけど」
「はい?」
「あんた、ステータスカードの更新、最後にしたの、いつ?」
なにげない、質問だった。俺は、料理を頬張りながら、少し考えて、答えた。
「更新、ですか。……えっと、たぶん、登録したときのままです。この街に来て、最初に作ってもらった、あれっきり」
「……登録したとき、って」
ミレイさんの、動きが、止まった。
「あんた、この街に来て、二年でしょ。ってことは——」
「はい。二年、更新してないですね」
俺が、なんでもないことのように、そう答えた瞬間。
「———はぁっ!?」
食堂じゅうに響きわたるような声で、ミレイさんが、叫んだ。
周りの客が、びくりとこちらを見る。バルトが、酒を吹き出しかけた。俺は、その剣幕に、思わず身を縮めた。
「に、二年!? 二年間、一度も更新してないの!? あんた、自分のステータスも、スキルも、なんにも把握してないってこと!?」
「え、あ、はい。だって、更新するのに、お金もかかりますし。俺、Fランクだから、どうせ大した数字じゃ——」
「そういう問題じゃないでしょーが!!」
ミレイさんが、テーブルを、ばんっと叩いた。
「明日! 明日いちばんで、ギルド行くわよ! あんたのステータス、ちゃんと更新する! いいわね!?」
「は、はい!!」
その剣幕に、俺は、こくこくとうなずくしかなかった。
二年ぶりの、ステータス更新。
——それが、俺の何もかもを、ひっくり返すことになるだなんて。
このときの俺は、まだ、これっぽっちも、思っていなかったのだ。




