第三話 損が、嫌いなだけ
王狼の牙の一員になって、一年が過ぎた。
季節はもう二巡目に入り、俺は十五歳になっていた。この一年で、俺の日常はすっかり形が決まっていた。朝一番に起きて掃除と買い出し。昼はダンジョンで荷物運びと剥ぎ取り。夜は装備の手入れと、素材の売却。合間に雑用が入る。そういう毎日だ。
変わらないものが、もうひとつあった。
俺の冒険者ランクは、いまだにFのままである。
レベルも、1から一度も上がっていなかった。当然だろう。魔物を倒したことが、ただの一度もないのだから。とどめは全部、四人が刺す。俺は後ろで荷物を抱えて、それを眺めているだけ。
―経験値なんて...入るはずもなかった。
でも、それでいいと思っていた。
俺は荷物持ちだ。戦うのは、あの人たちの仕事。役割が違うのだから、それでいい。そう自分に言い聞かせて、俺はその日も、素材を卸すためにギルドへ向かった。
◇
その日、俺はまた、飯を抜いていた。
三日前にもらった分け前は、いつもの安物のアクセサリと、銅貨が数枚。宿代を払えば、もう手元にはほとんど残らない。パンひとつ買うのも、迷う。そういう財布事情だった。
空きっ腹を抱えたまま、ギルドの依頼掲示板の前で、俺はぼんやり立っていた。
「——ちょっと、あんた」
鋭い声が飛んできたのは、そのときだった。
振り返って、俺は一瞬、視線を下に落とすことになった。声の主が、思ったより小柄だったからだ。
俺より頭ひとつ小さい、小柄な女の子だった。年は少し上だろうか。左右で高く結った赤みがかった栗色のツインテールが、腕を組んで仁王立ちする動きに合わせて、ぴょこりと揺れる。つり上がった猫みたいな目が、まっすぐ俺を睨みつけていた。小さいのに、やたらと迫力がある。
魔術師らしい紺のローブを着て、その肩越しに、へらへらと笑う大柄な男が見えた。小柄な彼女と並ぶと、まるで大人と子供みたいな体格差だった。
「あんた、王狼の牙の荷物持ちよね。前から見てたけど」
「え、あ、はい。そうですけど……」
彼女は、つかつかと歩み寄ってきて、下から俺の顔を覗き込んだ。小柄なぶん、睨み上げる格好になる。それでも、猫目の眼力はまるで衰えなかった。
「……こけた頬。落ちくぼんだ目。手首、枯れ枝みたいじゃない。あんた、まともにご飯食べてないでしょ!」
図星だった。俺は、言葉に詰まった。
「い、いや、そんなことは」
「ごまかさなくていいわよ。見りゃわかる」
彼女は、ふんと鼻を鳴らした。それから、後ろの大男を肘でこづく。
「バルト。あんたの持ってる串焼き、こいつに」
「え、俺の? まだ食ってる途中なんだけど」
「新しいの買ってあげるから。ほら、早く」
バルトと呼ばれた男は、やれやれと肩をすくめて、食べかけの串焼きを俺に押し付けてきた。……いや、食べかけはさすがに、と思ったが、女の子の目がそれを許さなかった。
「食べなさい」
「え、でも」
「いいから食べなさいよ! なんであんたがご飯抜きで、あたしがイライラしなきゃいけないの! 意味わかんない!」
小柄な体で、精いっぱい吠える。ツインテールが、ぶんぶん揺れた。怒っているのに、どこか小動物が威嚇しているみたいで—と思ったのが顔に出たのか、彼女の目つきが、さらに鋭くなった。
「……なに、その顔。文句あるわけ?」
「い、いえ! いただきます!」
怒られた。ご飯を恵んでもらいながら怒られた。
わけがわからないまま、俺は串焼きにかじりついた。冷めかけていたけれど、それでも、じんわりと美味かった。空腹に、肉の脂が染みわたる。
「……美味しい、です」
「当たり前でしょ。バルトの奢りなんだから」
「俺の!?」
バルトが素っ頓狂な声をあげた。女の子は、それを完全に無視した。
◇
その女の子は、ミレイと名乗った。
隣の大男が、戦士のバルト。二人は同じパーティを組んでいる冒険者で、俺たちより少しだけ格上の——銀級のパーティだと、あとで知った。
「あんた、名前は」
「レイ、です」
「ふうん。レイね」
ミレイさんは、腕を組んだまま、また俺をじろりと見た。
「あのねえ、レイ。あたし、はっきり言うけど。あんたのいるパーティ、おかしいわよ」
「え……?」
「金級パーティが、荷物持ち一人にまともなご飯代も渡してないって、どういうこと? 分け前、ちゃんともらってんの?」
俺は、正直に答えた。安物のアクセサリと、銅貨が少し。そう言うと、ミレイさんの眉が、これ以上ないくらい吊り上がった。
「はあ!? それだけ!? あんた一年も働いて、それだけなの!?」
「で、でも、俺は荷物持ちですし。戦ってるのはあの人たちだから」
「そういう問題じゃ——」
言いかけて、ミレイさんは、ぐっと言葉を飲み込んだ。何かを言おうとして、けれど、それを引っ込めた。
代わりに、彼女はそっぽを向いて、吐き捨てるように言った。
「……まあ、いいわ。あんたのパーティのことに、あたしが口出しする筋合いもないし」
その横顔は、なぜか、悔しそうに見えた。
「勘違いしないでよね。あたしは別に、あんたを心配してるわけじゃないの。ただ—目の前で誰かが損してるのを見るのが、嫌いなだけ。」
「損...ですか」
「そう。あんた、明らかに損してる。搾取ってやつよ。それが視界に入ると、無性にイライラするの。だからご飯を食わせた。あたしのイライラを消すため。それだけの話」
妙な理屈だった。でも、その不器用な言い方の奥に、たしかなやさしさがあることは、鈍い俺にも、なんとなくわかった。
「……ありがとうございます、ミレイさん」
「勘違いしないで!あたしがやりたいからやっただけ!」
ミレイさんは、ぷいっと顔を背けた。ツインテールの毛先を指でくるくるといじりながら、そっぽを向いたその耳は、少しだけ赤かった。
◇
「いやー、うちのミレイは口が悪くてなあ」
ミレイさんが素材の卸しに窓口へ行っている間、バルトが俺の隣に来て、へらりと笑った。
「けど、悪い奴じゃねえんだ。あいつ、ああ見えて情に厚くてよ。困ってる奴、見過ごせねえタチなんだよ。……まあ、本人は絶対認めねえけどな」
「はは、なんとなく、わかります」
「だろ? わかるやつにはわかるんだよ」
バルトは、豪快に笑った。チャラそうに見えて、仲間のことを話すときの目は、あたたかかった。
そのとき、俺はふと思った。
この人たちのパーティは、なんだか、いいな、と。
ミレイさんが損を嫌って怒って、バルトがそれを笑って受け止める。強さだけじゃない、何か—あたたかいものが、二人の間には流れていた。
王狼の牙にも、そういうものが、あるんだろうか。
……いや、あるはずだ。ガロさんは俺を拾ってくれた。ケイルさんだって、最初はきついけど、悪い人じゃない。きっと、俺がもっと役に立てば、あの人たちとも、こんなふうに。
そう思おうとして、けれど、なぜか胸の奥が、ちくりと痛んだ。
その痛みの正体を、俺はまだ、認めたくなかった。
◇
それからも、ミレイさんとは、ギルドでたびたび顔を合わせた。
会うたびに、彼女は「あんた、ちゃんと食べてんの?」と眉を吊り上げ、何かしら食べ物を押し付けてきた。そのたびに「心配してるわけじゃない」「損を見るのが嫌なだけ」と、決まり文句を繰り返した。
フィーネさんの、弟を見守るようなやさしさとは、また違う。
怒りながら差し出される、不器用なやさしさ。
俺には、そのどちらも、あたたかかった。
この街には、俺を気にかけてくれる人が、たしかにいる。
—その事実が、後になって、俺の支えになる。
王狼の牙という居場所を失ったとき。ひとりぼっちになったと思ったとき。差し伸べられた手が、この二人だったのだと知るのは、まだ、もう少し先の話だ。
◇
一方その頃。
俺の知らないところで、王狼の牙の空気は、少しずつ変わりはじめていた。
金級に上がって、しばらく経つ。だが、そこから先—十六階...十七階と...深層へ進むための壁が、どうしても越えられない。フロアボスの手前で撤退する日が、増えていた。
「くそっ、また届かなかったか」
ガロが、拠点で酒をあおりながら舌打ちする。
「なあガロ。うちのメンツ、これが限界なんじゃねえのか」
ケイルの言葉に、ガロは答えなかった。
「上に行くには、もう一人上位職がいる。今のままじゃ、金級止まりだ」
その視線が、部屋の隅で装備の手入れをしている俺のほうへ、ちらりと向いた。
荷物持ちの、Fランク。パーティの戦力には、一切数えられていない存在。
このとき、ガロの頭の中で、何かが、静かに動きはじめていた。
パーティの枠は、五人まで。上を目指すなら、椅子を、ひとつ空けなければならない。
—いちばんいらない椅子を。
もちろん、そんなことをそのときの俺は、知る由もなかった。




