第二話 牙の一員
「アイテムボックス持ちなんだって? いやあ、探してたんだよ、そういう子をさ」
男は、そう言って人懐こく笑った。
年の頃は二十代の半ばだろうか。よく日に焼けた顔に、無精髭。がっしりとした体つきで、腰には俺の背丈ほどもある大剣を差している。後ろに控える三人も、みな一様に武装していた。強い。ひと目でそうわかる、歴戦の空気をまとった連中だった。
男の胸元で、牙を象った銀の徽章が光っている。
「俺はガロ。パーティ《王狼の牙》のリーダーをやってる」
王狼の牙。
その名前には、聞き覚えがあった。この街に着いてから耳に挟んだ噂話。金級——ダンジョンの十五階層を突破した、この街でも指折りの実力派パーティ。まだ登録したての俺でも、その凄さはわかる。
そんなパーティのリーダーが、なぜ、俺なんかに。
「あの、俺に何か……?」
「決まってるだろ。仲間に誘いに来たのさ」
ガロさんは、俺の肩をぽんと叩いた。
「うちはな、ちょうど荷物運びに困っててよ。ダンジョンの奥は長丁場だ。食料に、予備の武器に、拾った戦利品。運ぶもんが多すぎて、いつも荷物に足を引っ張られてる。そこにアイテムボックス持ちだ。願ったり叶ったりってやつよ」
なるほど、と俺は思った。
アイテムボックス。神様がくれた、あのスキル。Fランク(実際はEXだが...)でも、確かに便利ではある。荷物をしまえば、両手が空く。長く潜るパーティなら、喉から手が出るほど欲しい能力なのかもしれない。
「もちろん、タダとは言わねえ。稼ぎはきっちり山分けだ。ダンジョンの祝福も受けられる。金級と組めば、Fランクのお前さんも安全に潜れるぜ? 悪い話じゃねえだろ」
悪い話じゃない。それどころか、俺にとっては夢みたいな話だった。
村を出たばかりの、外れスキル持ちのFランク。本当なら、地上に近い浅い階層で、弱い魔物を相手にコツコツ稼ぐしかない立場だ。それが、いきなり金級パーティと。しかも【必要としている】と、はっきり言ってもらえた。
外れスキルだと、憐れまれてばかりだった。誰かに求められるのなんて、生まれ変わってから初めてのことだった。
「……いいんですか?俺なんかで」
「おうよ。むしろこっちが頼みてえくらいだ」
俺は、頭を下げた。
「よろしくお願いします! 俺、精一杯がんばります!」
ガロさんたちが、どっと笑った。悪意のない、あたたかい笑いに聞こえた。少なくとも、そのときの俺には。
「いい返事だ。歓迎するぜ、レイ」
その光景を、受付の向こうから、フィーネさんがじっと見ていた。
何か言いたげに、一度だけ口を開きかけて...けれど、結局その言葉は聞こえてこなかった。にぎやかに肩を組まれて、俺はもう、ギルドの外へ引っ張り出されていたからだ。
◇
その日のうちに、俺は【王狼の牙】の一員になった。
拠点は、ギルドにほど近い借家の一室だった。案内されて足を踏み入れると、他のメンバーが待っていた。ガロさんが、順に紹介してくれる。
剣士のドグ。魔術師のケイル。斥候のバズ。
三人とも、ガロさんより少し若く見えた。剣士のドグさんは無口で、じろりと俺を一瞥しただけ。魔術師のケイルさんは、値踏みするような目でこちらを眺めていた。斥候のバズさんだけが、へらへらと笑って手を振ってくれた。
「へえ、こいつがアイテムボックスもちの? ずいぶん貧相なガキだな」
「ケイル。仲間に向かって言うことか」
「新入りわるかったな!」
「いえ、大丈夫です!!」
少しだけ、胸がちくりとした。けれど、ガロさんはちゃんとたしなめてくれたし、ケイルさんも謝ってくれた。まぁ、こんなものだろう。俺だって、いきなり来た新入りにすぐ心を開けるかと言われたら、自信はない。
「まあ、追い追い慣れてくれや」
ガロさんは、俺の背中をどんと叩いた。
「早速だが、明日から潜る。今日はうちのやり方を覚えてもらうぞ。まずは——荷物の預かり方からだ」
◇
やり方を覚えるのは、簡単だった。
メンバーが差し出す荷物を、俺がアイテムボックスにしまう。求められたら、取り出して渡す。それだけだ。武器の予備、保存食、水袋、松明、薬草の束。次から次へと手渡されるものを、俺は言われるままに収納していった。
「おお、便利じゃねえか」
バズさんが感心したように言った。
「今まで背負い袋がパンパンでよ。これで身軽に動けるぜ」
役に立てている。その実感が、じわりと胸を満たした。
ボックスの中では、時間が止まる。神様はそう言っていた。試しに、しまった水袋を少し経ってから取り出してみると、確かに、汲みたてみたいに冷たいままだった。パンも、しまった瞬間の柔らかさを保っている。
これは、思っていた以上にすごい能力なのかもしれない。
少なくとも、この人たちには必要とされている。外れスキルなんて呼ばれても、使いようによっては、ちゃんと誰かの役に立つ。そのことが、俺には何より嬉しかった。
「レイ。あそこの樽、しまっとけ」
「はい!」
「こっちの木箱もだ」
「わかりました!」
その日、俺は拠点じゅうの荷物という荷物を、ボックスにしまった。備蓄の食料も、予備の装備も、なんなら壊れた家具まで。「どうせ入るんだろ」と言われて、俺は喜んで引き受けた。
夜、割り当てられた隅の寝床に横になって、俺は天井を見上げた。
村を出てまだ十日ほど。それなのに、もう金級パーティの仲間だ。運がいい。本当に、運がいい。神様がくれたスキルのおかげだ。明日からは、いよいよダンジョンに潜る。
あの、地の底まで続く迷宮に。
胸が高鳴って、なかなか寝つけなかった。この幸運が、まさか二年もかけて、ゆっくりと形を変えていくことになるだなんて...そのときの俺は、これっぽっちも思っていなかった。
◇
初めてのダンジョンは、想像していたのとは、少し違った。
入り口の大穴を降りると、そこは石造りの回廊だった。壁には淡く光る苔がびっしりと生えていて、松明がなくても薄ぼんやりと道が見える。ひんやりとした空気。遠くから、何かの唸り声が反響してくる。
入場した瞬間、俺の指に、すっと温かいものが宿った。
見ると、いつのまにか右手の中指に、素朴な銀の指輪がはまっている。これが噂の「ダンジョンの祝福」か。初めて潜る者に贈られる、ステータスを底上げしてくれる指輪だ。
ガロさんたちの指には、それはなかった。当然だ。この祝福は、初めて潜る者だけのもの。あの人たちのように強くなれば、とうに卒業しているはずのものだった。
——もっとも、このときの俺は知らなかった。この指輪の効果が切れるのは、レベルが上がってからなのだということを。そして俺が、この先ずっと「レベルが上がる」機会すら与えられないままだということを。
「新入りは初回だな。しっかり働けよ」
ガロさんが振り返って言った。俺は、こくりとうなずいた。
戦闘は、あっという間だった。
通路の角から現れた、犬ほどの大きさの魔物。ガロさんが一歩踏み込む。
ずんっ。
大剣が唸りをあげて、魔物を一撃で両断した。速い。重い。村の狩人が束になっても敵わないだろう、圧倒的な力。ケイルさんの放つ火の魔法が、群れの残りを焼き払う。ドグさんの剣が、取りこぼしを的確に仕留めていく。
俺の出番は、なかった。
「レイ、素材だ。角と牙、剥ぎ取っとけ」
「は、はい!」
戦いが終わると、俺の仕事が始まる。倒した魔物から、売れる素材を剥ぎ取って、ボックスにしまう。落ちている宝箱を運ぶ。誰かが疲れたら、水と食料を差し出す。
戦うのは、四人。
運ぶのは、俺。
それが《王狼の牙》の、当たり前の役割分担だった。
「筋がいいじゃねえか、荷物持ち」
バズさんが、剥ぎ取りの手際を見て笑った。褒められている。そう思って、俺は嬉しくなった。
このときの俺は、まだ気づいていなかった。
自分の腰に差した短剣が、この二年間、一度も魔物に振るわれることはないのだということに。
◇
最初のうちは、それでも楽しかった。
金級パーティの潜る階層は深く、見るものすべてが珍しかった。光る苔の回廊。地底を流れる川。宝箱から出てくる、見たこともない品々。俺はそれらをボックスにしまいながら、まるで宝探しでもしているような気分になっていた。
分け前も、最初の内はちゃんともらえた。
初めての潜行を終えた夜、ガロさんが俺に、小さな革袋を放って寄越した。
「ほらよ。今日のお前の取り分だ」
中を開けると、いくつかのアクセサリが入っていた。くすんだ色の、安っぽい指輪や腕輪。それでも、初めての報酬だ。俺は、それを大事に受け取った。
「ありがとうございます!」
「おう。真面目に働きゃ、ちゃんと分けてやる。うちはそういうパーティだ」
あとで知ったことだが、そのアクセサリたちは、ダンジョンで拾える中でも最も価値の低い、いわゆる「ハズレ品」ばかりだった。ステータスが、ほんのわずかに上がるだけの、売っても二束三文にもならないもの。
でも、そのときの俺は、そんなことを知らない。
もらえるだけ、ありがたい。必要とされて、居場所があって、報酬までもらえる。外れスキル持ちの俺には、これ以上ないくらい、恵まれた話に思えたのだ。
もらった安物のアクセサリと銀貨数枚を、俺はボックスの隅に、そっとしまった。
そうやって—気づかないうちに、ボックスの中には、少しずつ「使わないもの」が溜まっていくことになる。
◇
変化は、ゆっくりと訪れた。
ひと月もすると、「荷物持ち」だった俺の役割は、いつのまにか「雑用係」になっていた。
朝、いちばん早く起きて拠点を掃除するのは俺。潜行前に食料を買い出しに行くのも俺。潜っている間の荷物運びはもちろん、地上に戻れば、剥ぎ取った素材をギルドに卸しに行くのも、装備の手入れをするのも、俺の仕事になった。
「レイ、これやっとけ」
「レイ、あれ買ってこい」
「おい荷物持ち、水」
いつからか、名前で呼ばれることも減っていた。
それでも、俺は不満に思わなかった。むしろ、こう考えていた。四人は強い。命がけで前線に立って、魔物と戦っている。それに比べれば、俺のやっていることなんて、荷物を運んで、雑用をこなすだけだ。せめてこれくらい、しっかりやらなきゃ申し訳ない、と。
分け前は、相変わらず銅貨と安物のアクセサリだった。
金貨や銀貨で報酬をもらっている他の四人と違って、俺の取り分は、いつも現物のハズレ品や端数の銅貨。「お前は荷物持ちだろ、これで足りるだろ」と言われれば、そういうものかと思った。売ればいくらかにはなる、と最初は思っていたが、いざ売りに行くと、ほとんど値がつかないことを、俺はだんだんと知っていった。
それでも、俺は笑っていた。
だって、居場所があるのだから。必要とされているのだから。
——ただ、ひとつだけ、困ったことがあった。
俺の手元には、飯を買う金が、ほとんど残らなかった。
◇
「あら、レイさん。またそんなところで座り込んで」
その日、俺はギルドの隅で、ぼんやりと座っていた。
素材を卸しに来たはいいものの、朝から何も食べていなくて、少し立ちくらみがしていた。昨日ももらった分け前はアクセサリだけで、財布の中は、宿代を引くとほとんど空だった。
声をかけてきたのは、フィーネさんだった。
あの登録の日以来、素材を卸すたびに顔を合わせるうちに、少しずつ話すようになっていた。この街で、名前で呼んでくれる数少ない人のひとりだ。
「大丈夫ですか? 顔色、よくないですよ」
「あ、はは……ちょっと、朝ごはんを食べそびれちゃって」
俺が笑ってごまかそうとすると、フィーネさんの眉が、きゅっと寄った。
彼女は少しの間、何か考えるように俺を見て、それから、ふわりといつもの微笑みに戻った。
「ちょうどよかった。わたし、お昼を買いすぎちゃったんです。よかったら、もらってくれませんか?」
差し出されたのは、まだ温かい、串焼きのパンだった。
「え、でも、悪いですよ」
「いいんです。捨てるほうが、もったいないですから」
嘘だ、と、なんとなくわかった。買いすぎたなんて、たぶん、嘘だ。
でも、そのやさしい嘘に、俺は甘えることにした。空腹には、勝てなかった。
「……ありがとうございます。いただきます」
ひとくち齧ると、じんわりと、体の芯まであたたかくなった。
フィーネさんは、そんな俺を、少しだけ寂しそうな目で見ていた。まるで、弟の世話でも焼くみたいに。何か言いたそうにして、でも、やっぱり何も言わなかった。
俺はそのやさしさを、ただ「親切な人だな」としか思っていなかった。
彼女が、俺のカードのスキル欄を見た、あの日から...ずっと何かを気にかけてくれていたことに、俺はまるで気づいていなかったのだ。




