第一話 神様はサングラスをかけていた
最後に見たのは、赤い光だった。
駅のホームだ。夕方の帰宅ラッシュで人がごった返していて、俺はその流れの端っこをぼんやり歩いていた。仕事はまあまあ順調。明日は休みで、夕飯に何を食おうかとそんなことを考えていた気がする。二十六年ぶんの、平凡な人生の最後の思考がそれだった。
女の子の声が聞こえたのは、そんな夕飯のメニューを考えていた時だった。
「あっ——」
小さな女の子が線路に落ちた。母親らしき人が悲鳴をあげて、周りの大人たちが凍りついた。電車のライトがトンネルの奥で膨らんでいく。誰かが助けなきゃいけない。そう頭で理解するより先に、俺の体は動いていた。
ホームから飛び降りて、女の子を抱え上げて、母親の腕へ放り投げる。そこまでは覚えている。自分が線路に戻れなかったことはあとから知ることになった。
どんっ。
衝撃が体を突き抜け頭が痛みを感じる前に俺の意識は消えた。
◇
気がつくと、俺は真っ白な場所に立っていた。
床も壁も天井もない。ただ白い。上も下もわからない空間に、なぜか俺は普通に立っていられた。夢にしては感覚がはっきりしすぎている。かといって現実にしては、あまりに何もなさすぎた。
「ここはいったいどこなんだ...?」
「よう、にいちゃん」
声のしたほうを振り向く。
そこにいたのは、おっちゃんだった。
ラフなシャツにサンダル履き、頭はちょっと薄くて...
そして
——なぜか、真っ白な空間の真ん中でサングラスをかけていた。
近所の商店街にいそうな、気のいいおっちゃん。それが第一印象だった。
「人助けで死んでしまうとは、残念やったなあ!」
何故か関西弁のおっちゃんはからっと笑ってそう言った。まるで馴染みの客に挨拶するみたいな軽さだった。
人助け。その言葉で、ホームでのことが一気に思い出される。女の子は。あの子は無事だったんだろうか。
「ああ、あの子なら無事や。にいちゃんのおかげでな。かすり傷ひとつないで」
俺の考えを読んだみたいに、おっちゃんが答えた。
よかった。心の底から、そう思った。
それがわかっただけで、なんだか肩の力が抜けてしまう。
それがわかるとふと目の前のおっちゃんが誰なのか気になった。
「えっと...おっちゃんは神様かなんかですか?」
目の前のおっちゃんがさらっと俺の問いに答えてくれた
「せやで。にいちゃんがすんどった世界の管轄の神さんや」
目の前の神様はそういってニカッとわらって返してくれた
「ほんでな、さっきも言ったけどほんまにありがとうな。にいちゃんのおかげであの子は助かったで」
「いやぁ、助けてって言われたら、体が動いちゃいましたよ」
自然と、そんな言葉が口をついて出た。誉められるようなことをしたつもりはない。目の前で子供が死にそうなら、誰だってそうする。そうであってほしい。
おっちゃんはサングラスの奥で、ふっと目を細めたように見えた。
「——偉いっ!ほんまはあそこで死ぬんはにいちゃんやなくて別の人間やってんけどな!」
神様はそう言った。
さっきまでの軽い調子とは、少しだけ違う声だった。
「まあ立ち話もなんやし、単刀直入に言うわ」
おっちゃんは指をぴっと立てた。
「実はな、にいちゃん手違いで死んでしもたんや。本来の寿命はまだ先やったワシのミスでな、ちょっとした事故みたいなもんでな。」
「え?手違いだったら生き返れるんですか?」
俺は、テンプレ的に無理だろうなぁと思いながらも一応聞いてみた。
「ほんまにすまん!まぁテンプレって思てくれてる通りにいちゃんの体もうミンチでな。ぐちょぐちょやで原型をとどめてへん。戻った瞬間しんでまう。ほんで詫びと言うたらなんやけど、別の世界だったら生まれ変わらせることができるんや。」
別の世界。
言葉の意味を飲み込むのに、少し時間がかかった。生まれ変わり。転生。そういう話はライトノベルの物語の中でしか知らない。まさか自分の身に起きるとは思わなかった。
「その世界はな、剣と魔法とダンジョンがある世界や。ちょっと物騒やけど、そのぶん夢もある。ゼロからやり直すんは大変やろうから、ワシから餞別を持たせたるさかいいってみんか?」
異世界転生。本当にテンプレみたいな感じであるんだなぁとおもいつつ少しわくわくした。
「ということはテンプレ通りになにかチートスキルをもらえるんですか?」
「おっ、乗ってきたな!もちろんあるで言語理解は当然やし世界を壊さん程度のスキルを授与するで!」
「いきます!」
「決断はやいなぁ。ほんだらほいっと!」
おっちゃんが手をひらりと振ると、俺の目の前に半透明の板が浮かんだ。
文字が並んでいる。読めた。この世界のものではないはずなのに、なぜか意味がすっと頭に入ってくる。これが言語理解ってやつか、ものすごく便利だなぁ
【授与スキル】
・アイテムボックスEX
・アクセサリ製造EX
【特典】
・装備枠制限なし、言語理解、鑑定
「まずアイテムボックスや。異空間にモノをしまえる。容量は無尽蔵、いくらでも入る。しかも中の時間は止まる。生鮮食品でも武器でも、しまった瞬間のまま保管できるってわけや」
無尽蔵。
時間停止。
すごい能力なのは、なんとなくわかる。
「次にアクセサリ製造。これはアクセサリを作れるスキルや。指輪でも腕輪でも、材料さえあれば作れる。ふつうの製造スキルとはちょっと格が違うてな、まあ、おいおいわかる」
おっちゃんの説明は、なぜかそこだけ少し曖昧だった。
「で、最後の特典。言語理解と鑑定と装備枠制限なしっちゅうやつ。これがいちばん大事やから、よう覚えとき」
おっちゃんはサングラスをずり上げて、俺の顔をのぞき込んだ。
「まず、言語理解は当然向こうの世界の言葉がわかる。ほんで鑑定は、アクセサリ製造出来て内容わからんじゃ意味がないからな。最後に装備枠制限なしってやつやけど、向こうの世界では装備できるモンの数に決まりがあるんや。せやけどにいちゃんは、その決まりが効かん。いくらでも装備できる。まぁ物理的に装備出来る数は限りがあるから他の人よりちょっと有利くらいやけどな。」
いくらでも装備できると神様はいった。
正直、無尽蔵のアイテムボックスのほうがよっぽどすごい気がした。装備枠が無制限といっても鎧が2つ装備出来るわけもない。しいて言うならゲームとかであるアクセサリ装備が1個とか2個とかの枠が無制限ってことだろう。とはいっても指は両手で10本しかないしおっちゃんが言う通りちょっと有利ぐらいのモノだろう。
「あとひとつ、先に言うとかなあかんことがある」
おっちゃんの声が、ほんの少しだけ低くなった。
「にいちゃんのスキルはな、ぜんぶ最上位のEXや。せやけど——向こうの世界の鑑定では、いちばん下の『F』としか表示されん」
「え」
「理由は向こうの世界のルールがFからはじまってE・D・Cとだんだん上がっていき最後はSSまでっちゅうことでな。EXっていうのは存在せえへんねん。まぁエラーっちゅう奴や。ほんで、アクセサリ製造のほうにはもうひとつ厄介がある。当分のあいだ、にいちゃん自身では発動できん。スキル欄にも『未覚醒・自己作成不可』とだけ、はっきり出てまう」
浮かんだ板の表示が、するりと書き換わった。
・アクセサリ製造F ※未覚醒・自己作成不可
最上位のはずのスキルが、いちばん下のランクで、しかも使えないと注記されている。もらっておいてなんだけど、これはずいぶんと締まらない餞別だった。
「なんや、しょぼい顔しよって」
おっちゃんが笑った。
「ええか、にいちゃん。向こうの世界はな、生まれた血筋で強さがほとんど決まってまう世界や。ええ家に生まれた子は、最初から強い。そうでない子は、下から這い上がるしかない。にいちゃんが生まれるのは——後者や。田舎の、なんの後ろ盾もない家や」
「でもなにいちゃんならそんな世界でも楽しんでくれるって信じてるわ」
とおっちゃんは続けた。それから、ふっと口の端を上げる。
「けどな。今の説明でしょぼい顔しとるうちは、まだ何もわかっとらん証拠や。にいちゃんが持って生まれたモンの値打ちは、そのうち、にいちゃん自身の手で気づくことになる。……焦らんでええ。じっくりや」
いちばん下の位で表示される、使えないと書かれたスキル。それのどこに値打ちがあるのか、正直まるでわからなかった。でも、おっちゃんの声には妙な確信があった。
「まあ、なんとかやってみます」
自分でも意外なくらい、するっとそう言えた。
「もともと、たいした人生でもなかったですし。ゼロからやり直せるなら、それはそれで、ありがたい話です」
おっちゃんはしばらく黙って、それからサングラスの奥で、また目を細めた。
「やっぱり、偉いわ」
その声を最後に、白い世界が下からゆっくり溶けていった。
「達者でな、太一。名前は向こうで、ええのをもろたらええ」
視界が白く滲んで、意識が眠りに落ちていく。
落ちる寸前、おっちゃんが小さく付け足したひとことだけは、なぜかはっきり耳に残った。
「——枠のことは、忘れんときや」
◇
俺は、ミル村で生まれ直した。
グランレイド王国の東の外れ、地図にも小さくしか載らない農村。それがミル村だった。畑と、林と、細い川。それだけの村だ。育ての両親は貧しかったけれど、優しい人たちだった。父は畑を耕し、母はそれを手伝いながら家をささえた。
俺はレイと名づけられた。
前世の名前は太一。
太一の記憶を抱えて、俺はもう一度子供の頃からやり直すことになった。
言葉は言語理解でどうにかなったし歩けるようになるころには、この世界のことも少しずつわかってきた。
この世界には、ステータスがある。数字で表される、その人の強さだ。生まれ持った血筋がよければ、その数字は最初から高い。貴族や名門の子は、村の大人が束になっても敵わないほどの力を、幼いうちから持っているという。俺のような平民の子は、いちばん低いところから始まる。這い上がるにはレベルを上げるしかない。魔物を倒し、経験を積んで、少しずつ数字を伸ばしていく。それが平民の道だった。
そして、この世界にはおっちゃんが言ってた通り装備の決まりがある。
人が身につけられる装備は、四つの枠に分かれている。武器、盾、体防具、そしてアクセサリ。それぞれ、ひとつずつしか装備できない。双剣のように二本で一組の武器は例外で、盾は着けても着けなくてもいい自由な枠。兜は体防具にひとまとめ。そういう決まりだった。
中でもいちばん奥が深いのは、アクセサリの枠だと村の行商人が教えてくれた。
「アクセサリにはな、坊主、二種類あるんだ」
年に何度か村にやってくる、荷馬車の行商のおじさんだった。俺が目を輝かせて聞くものだから、休憩のたびにいろんな話をしてくれた。
「ひとつはステータスを上げるもの。力が上がる指輪とか、素早さが上がる腕輪とかだな。もうひとつが、スキルを宿したもの。こっちは厄介でね、値も張る」
スキルを宿したアクセサリ。それを装備すると、持っているスキルがひとつぶんだけ強くなるのだと、おじさんは言った。剣術のスキルを持つ者が、剣術を強めるアクセサリを着ければ、その腕はひとつ上の位に上がる。そういう仕組みだ。
「もっとも、そんないいアクセサリはめったに出回らない。せいぜい二段階ぶんまでだ。それ以上のものは、私も見たことがないよ」
ふうん、と俺は相槌を打ちながら、頭の隅で自分のことを考えていた。おっちゃんからもらった、あの二つのスキル。片方は使えないと注記されたアクセサリ製造。
もしかしたら、と幼いなりに思った。俺のスキルは、その「アクセサリを作る」ほうのスキルなんじゃないか。
その予感は、五つになるころにはっきり形を変えた。
◇
この世界の人間は、生まれてしばらくするとスキルが芽生える。
大体は1つで選ばれた人間は2つスキルがあることもあるが本当に稀な話で2つスキルがある人間はもれなく英雄に近いといわれていた。そしてスキルには剣術、魔法、弓術、治癒などがあり、人によってさまざまでそのひとつがその人の一生の武器になる。だから村の子供たちは、自分のスキルが何になるかを心待ちにしていた。剣術が出れば戦士に、魔法が出れば魔術師に。将来が、そのひとことで決まるようなものだったからだ。
俺のスキルが芽生えたのも、ちょうどそのころだった。
村の祠に、スキルを鑑定できる古い水晶がある。それに手をかざすと、芽生えたスキルが浮かび上がる。順番が回ってきて、俺は水晶に手を伸ばした。母が後ろで見守っていた。
水晶に、文字が浮かんだ。
・アイテムボックスF
・アクセサリ製造F ※未覚醒・自己作成不可
二つ。
周りがざわついた。ふつう、スキルはひとつしか芽生えない。二つ持って生まれる者は、腕利きの冒険者にもそう多くはないと聞く。母は驚いて、それから少しだけ、誇らしそうな顔をした。
けれど、大人たちの顔はすぐに曇った。
アイテムボックスは、まだいい。ものをしまえる能力は、たとえ低い位でも珍しくて役に立つ。問題はもうひとつのほうだった。
「……アクセサリ製造か」
村の年寄りが、気の毒そうにつぶやいた。
作成系のスキル。ものを作り出すそれは、この世界では長らく「外れスキル」と呼ばれてきた。理由は単純だ。アクセサリ製造で作れるのは、ステータスをほんの少し上げるだけの、安物のアクセサリばかり。あの値の張るスキル入りのアクセサリは、製造スキルでは作れないとされていた。だから作成系は、稼ぎにも戦いにもならない、はずれくじ。そういう扱いだった。
しかも俺のものには、あの注釈までついている。未覚醒。自己作成不可。作ることすらできないと、はっきり書かれていた。
ああ、これのことか。俺は妙に納得していた。神様が「値打ちは自分で気づく」と言っていた、あのスキル。世間では、これを外れと呼ぶらしい。
母が心配そうに俺の顔をのぞき込んだ。俺は、笑ってみせた。
「だいじょうぶだよ、母さん。俺、頑張るから」
不思議と、落ち込みはしなかった。もともと覚悟していた。
それに
——外れスキルだろうとなんだろうと、体が動かなくなったわけじゃない。剣を振ることも、弓を引くこともできる。スキルがないなら、腕を磨けばいい。前世でも、才能がないなりに地道にやってきた。そういうやり方なら、俺は知っている。
◇
その日から、俺は自分を鍛えはじめた。
村の裏の林で、朝は木の枝を剣に見立てて素振りをした。
ぶんっ、ぶんっ。
誰に習ったわけでもない。前世でちらと見た剣道の型を思い出しながら、体に覚え込ませていく。最初はまるで様にならなかった。それでも毎朝続けるうちに、少しずつ枝の走る音が鋭くなっていった。
昼は、父にもらった古い弓で的を射た。川べりに立てた木の板を狙って、何百本と矢を放つ。外して、拾って、また放つ。指の皮が剥けて、また固くなるころには、板の真ん中を射抜けるようになっていた。
スキルはない。ステータスも平民並みで、たいして高くない。それでも体は正直だった。繰り返したぶんだけ、確かに上手くなる。数字にはならないその実感が、俺の支えだった。
「レイは、ほんとうに真面目な子だねえ」
村の人たちは、そう言って笑った。外れスキル持ちの子が、それでも腐らずに剣と弓を振っている。憐れむような目を向ける大人もいたけれど、たいていの人は、俺のことを可愛がってくれた。畑を手伝えば野菜を持たせてくれたし、狩りに出る大人は俺を連れて行って、獣の追い方を教えてくれた。
貧しくて、なんの取り柄もない村で。それでも俺の子供時代は、あたたかかった。
ただ、ひとつだけ。夜になると、俺はよく村の外れの丘に登った。
そこからは、遠くの空がよく見えた。晴れた夜には、地平線のずっと向こうに、かすかな光の帯が浮かんでいた。大きな街の灯りだ。ダンジョンのある街。冒険者たちが集まる街。行商のおじさんが、いつも話してくれた場所だった。
「西の大きな街にはな、坊主。地の底まで続く迷宮があるんだ。潜れば宝が眠ってる。強くなりたい者は、みんなそこを目指すのさ」
地の底まで続く迷宮。
その響きは、外れスキルの子供の胸を、どうしようもなく騒がせた。俺にも、何かできるかもしれない。数字じゃない、腕っぷしで。丘の上でそんなことを考えるのが、俺の癖になっていた。
いつか、あの光の下へ行く。
そう決めたのは、たぶん、ずいぶん早い時期のことだった。
◇
十四になった春、俺は村を出ることにした。
この国では、十四で成人と見なされる。冒険者になるにも、ちょうどいい年頃だった。両親は反対しなかった。心配はしていたけれど、俺が丘の上をずっと見ていたことを、二人は知っていたのだと思う。
母は、握り飯を布に包んでくれた。
「体に気をつけてね。お腹が空いたら、ちゃんと食べるのよ」
父は、自分の使っていた狩り用の短剣を、黙って俺の腰に差した。そして、ぶっきらぼうに一言だけ言った。
「無理はするな、レイ」
二人にそう言われて、俺は何度もうなずいた。うまく言葉が出てこなくて、ただ、ありがとうと、それだけを繰り返した。
村のみんなが、村外れまで見送りに来てくれた。行商のおじさんが置いていってくれた古い地図を頼りに、俺は西を目指して歩き出した。
目指す街の名は、リンドール。
地の底へ続く迷宮を抱く、この国でも指折りのダンジョンタウンだった。
◇
歩いて、十日ほどかかった。
途中の町で日雇いの仕事をして路銀を稼ぎながら、俺は少しずつ西へ進んだ。街道を行き交う人が増え、荷馬車の数が増え、空気がだんだん賑やかになっていく。そうしてある日の昼過ぎ、丘をひとつ越えたところで俺は、それを見た。
リンドールだった。
村の丘から眺めていた、あの光の帯。その正体が、いま目の前に広がっていた。
高い城壁にぐるりと囲まれた、大きな街。城壁の中には、数えきれないほどの建物がひしめいていた。石造りの塔がいくつも空へ伸び、その隙間を煙突の煙がたなびいている。そして街の中心、ひときわ大きく開けた広場のあたりにそれはあった。
地面に、ぽっかりと口を開けた大穴。
街の真ん中に、巨大な穴が穿たれていた。穴を守るように石の柵と門が組まれている。あれがダンジョンの入り口だ。ひと目でわかった。あの穴が、地の底まで続いているのだ。
思わず、足が止まった。
村では、いちばん大きな建物でも二階建ての集会所だった。それがどうだ。ここには塔があり、大通りがあり、地の底へ続くダンジョンがあり、そのすべてに人が満ちている。
「……すごい」
口から漏れたのは、それだけだった。
しばらく丘の上に突っ立ったまま、俺は街を眺めていた。胸の奥が、じわじわと熱くなっていく。憧れていた場所に、とうとう来たのだ。ここから、俺の冒険が始まる。
握り飯はとっくに食べ尽くしていた。財布の中身も、心もとない。それでも足取りは軽かった。俺は坂を駆け下りて、リンドールの門をくぐった。
◇
街の中は、丘の上から見た以上の熱気だった。
大通りには露店がずらりと並び、売り子の声が飛び交っている。武具屋の店先には、村では見たこともないような剣や鎧が並んでいた。すれ違う人の多くが、腰に剣を差し、背に荷を負っている。冒険者だ。この街には、俺が目指すものと同じものを目指す人間が、こんなにもたくさんいる。それだけで、なんだか胸がいっぱいになった。
道行く人に何度か尋ねて、俺は冒険者ギルドへ向かった。
ギルドは、ダンジョンの広場にほど近い、大きな石造りの建物だった。両開きの扉を押すと、中はさらに賑やかだった。武装した男たちが酒を片手に笑い、壁一面の掲示板には依頼の紙がびっしりと貼られている。奥には受付の窓口がいくつも並んでいて、その前に列ができていた。
場違いなんじゃないか?一瞬、そんな気後れが胸をよぎった。俺は村から出てきたばかりの、田舎者だ。こんな立派な場所に、いてもいいんだろうか。
それでも、ここまで来たのだ。引き返すという選択肢は、はなからなかった。
俺は列の最後尾に並んだ。
順番が来て、案内された窓口の前に立つ。そして、顔を上げて少しだけ、言葉を失った。
受付に座っていたのは、若い女性だった。
やわらかそうな栗色の髪を、ゆるく後ろで束ねている。おっとりとした、けれど芯のありそうな瞳。ギルドの喧騒の中で、その一角だけが妙に穏やかに見えた。周りの窓口より、その人の前の列だけが少し長かったのは、たぶん気のせいではなかった。
「はい、こんにちは。ご用件はなんでしょう?」
その人は、ふわりと微笑んでそう言った。
「あ……えっと」
うまく言葉が出てこなくて、俺は一度、息を吸った。それから、なるべく丁寧に言った。
「冒険者に、登録したいんです。今日、この街に着いたばかりで」
「まあ、そうなんですね。ようこそリンドールへ」
その人は——胸元の名札には、フィーネ、とあった。嫌な顔ひとつせず、登録の手続きを教えてくれた。台帳に名前を書き、いくつかの質問に答える。それだけで、手続きはあらかた終わった。
「では、こちらに手を置いてくださいね。ステータスカードを発行します」
差し出されたのは、手のひらほどの薄い板だった。言われるまま手を乗せると、板がほのかに光る。
ぽう、と。
光が収まると、板の表面に文字が浮かび上がっていた。俺のステータスカード。この世界で生きていくための、身分証のようなものだ。
フィーネさんが、カードをこちらに向けてくれた。
【冒険者カード】
名前:レイ ランク:F
レベル:1 職業:冒険者
──────────────
力 8
体力 9
魔力 5
素早さ 10
器用 12
──────────────
スキル:アイテムボックスF/アクセサリ製造F
自分のカードを、俺はまじまじと眺めた。
どれも低い。力も体力も、村の大人にすら届かないだろう。平民の、それも駆け出しの数字だ。ただ、素早さと器用さだけは、他より少しだけ高かった。剣と弓を振り続けた、あの毎朝のぶんかもしれない。数字に表れるほどではないと思っていたけれど、体はちゃんと覚えていたらしい。それが、なんだか嬉しかった。
ランクはF。いちばん下だ。新人だから、当たり前だった。職業の欄には「冒険者」とある。剣士でも魔術師でもない、なんの取り柄もない者に割り振られる、その他大勢の職。作成系スキル持ちは、みなここに入れられるのだと、あとで知った。
スキルのところには、あの二つが並んでいた。アイテムボックスF。アクセサリ製造F。神様が言ったとおり、どちらもいちばん下の位で表示されている。
まあ、こんなものだろう。俺は素直にそう思った。ここから始めればいい。落ち込みはしなかった。
ただ、このとき俺はひとつ大きな見落としをしていた。
カードを差し出したフィーネさんの手が、ほんの一瞬、止まったこと。おっとりとした瞳が、俺のカードの上を、すっと確かめるように走ったこと。それに、俺はまるで気づいていなかった。
「……アイテムボックス、お持ちなんですね」
フィーネさんが、少しだけ声をひそめて言った。
「え、はい。低い位ですけど」
「レイさん」
その人は、微笑みを保ったまま、けれど目だけは真剣に、こう続けた。
「このカード、あまり人に見せてはいけませんよ。とくに——スキルの欄は」
どうしてだろう、と俺は思った。低い位のスキルだ。見られて困るものなんて、何もないはずなのに。
尋ね返そうとした、そのときだった。
背後から、やけに親しげな声が割り込んできた。
「よう、新人!」
振り返ると、体格のいい男が三、四人、こちらへ歩いてくるところだった。先頭の男が、人好きのする笑みを浮かべて、俺の肩をぽんと叩く。
「アイテムボックス持ちなんだって? いやあ、探してたんだよ、そういう子をさ」
男の胸元には、牙を象った銀の徽章が光っていた。
それが...俺と、あのパーティーとの、最初の出会いだった。
前作「最弱の戦略家はざまぁをしない」2900PV突破ありがとうございます!
今作は前作とちがって主人公がガンガン強くなっていきますがざまぁは相変わらず無いように物語は進んでいくと思いますのでよかったら今作もお暇なときにお読みください!




