第二十七話 仲間のために
あの日から、ティアさんの様子は、おかしかった。
ホームに帰ってからも、ずっと、俯いたまま。いつもの、おっとりとした笑顔は、影をひそめていた。
「ティア。……無理すんな」
バルトさんが、静かに言う。
「あんな奴の言うこと、気にすんな。お前は、銀の羽に必要だ。それだけは、変わらねえ」
「……はい。……ありがとうございます」
ティアさんは、そう言って、少しだけ笑った。
でも、その笑みは、どこか無理をしていた。震えを、必死に抑え込んでいるような。長い年月、心の奥に刺さっていた棘はそう簡単には抜けないのだ。
俺たちはただティアさんのそばにいた。
急かさず、追い詰めず。ティアさんが、自分の足で立ち直るのを、待つように。
──それで、済むと思っていた。
セイという男が、あそこまで、腐っているとは思っていなかった。
◇
異変に気づいたのは、数日後だった。
いつものように、素材を卸しにギルドへ行くと──空気がいつもと違った。
俺たちが入ってきた瞬間あちこちでひそひそと声がする。ちらちらと、こちらを見る視線。特に、ティアさんに向けられる好奇の目…
「……ねえ、あれ」
「ああ、噂の……」
「前の街で、パーティを追い出されたんだろ? なんでも、素行が……」
その言葉が耳に届いた瞬間。ティアさんの肩が、びくりと震えた。
「……なに、これ」
ミレイさんが、眉をひそめた。
受付で俺は、事情を知る職員からこっそり聞いた。
「……ここ数日、妙な噂が、流れてるんです。聖騎士のセイ様が……あちこちで、話してるみたいで」
セイ。
「ティアさんが、前の街で、いかに使えなかったか。品行が悪くて、パーティを追い出されたとか……その、あることないこと」
あることないこと。
でたらめだ。ティアさんは、誰よりも、真面目で、誰よりも、仲間思いだ。それを、あの男は──自分に、都合のいいように、捻じ曲げて、言いふらしている。
「セイ様は、SSランクの聖騎士ですから。……ギルドでも、顔が利くんです。あの人の言うことを、みんな真に受けて……」
強者の言葉。それは、真実よりも…重い。
セイが「そうだ」と言えば、それが、事実になってしまうのだ少なくともこの街では。
「……くだらない」
ミレイさんが、吐き捨てた。
「そんな、嘘っぱち。……あたしたちが、否定してやれば」
「やめて、ミレイちゃん」
ティアさんが、消え入りそうな声で、言った。
「……いいんです。わたしが……我慢すれば」
「よくないわよ!」
ミレイさんが、声を荒げる。だが、ティアさんはただ俯くばかりだった。
我慢すれば。
その言葉が、俺の胸を締めつけた。
ティアさんは、ずっと、そうやって、生きてきたんだ。自分さえ、我慢すれば。自分さえ、役に立てば。捨てられずに、済むと思って。
その心に、また、あの男が、爪を立てている。
◇
噂は、日に日にひどくなった。
ギルドに行くたび、ひそひそ声は、増えていく。ティアさんに向けられる視線は、冷たくなっていく。
そして、ティアさんは──日ごとに、やつれていった。
食事も、喉を通らない。
夜も、眠れていないらしい。
あの、優しくて、おおらかだったティアさんが。目に見えて、削られていく。
その日も俺たちは、ギルドにいた。
ティアさんは、みんなの後ろに、隠れるように、立っていた。それでも、聞こえてくる。
「……見ろよ、あの聖者。よく、平気な顔で……」
「セイ様が言うには、相当な好きものらしいぜ」
「へえ。あんな顔して……」
くすくす、と。嘲るような、笑い声。
ティアさんの目に涙が滲んだ。唇を噛んで、必死に、耐えている。
──その、瞬間だった。
ダァンッ!!
俺の手が、目の前の机を叩いていた。
いや、"叩いた"なんて生易しいものじゃない。
ガラガラと頑丈な木の机が、真っ二つに砕け落ちた。
Aランクの一撃。無意識に振り下ろした手が、ギルドの机を粉々にしていた。
しん、と。ギルド中が、静まり返った。
◇
全員の視線が、俺に、集まる。
「……お、おい。今の……」
「あの、ひょろい兄ちゃんが……机を素手で……?」
「あいつ、確か……銀の羽根の、荷物持ちじゃなかったのか……?」
ざわ、と。困惑が、広がる。
そうだ。この街の連中は、知らない。俺のことなんて、"冴えない荷物持ち"くらいにしか思っていない。
そんな男が、机を、素手で叩き割った。
わけがわからないんだろう。
でも──今は、どうでもよかった。
俺は、静かに立ち上がってギルドの入り口を見た。
ちょうど、そこに。
「──おや。ずいぶん、騒がしいな」
噂の、張本人が悠然と入ってくるところだった。
セイは、砕けた机と俺を見て面白そうに目を細めた。
「これはこれは。……何かあったのか?」
しらじらしい…
全部、こいつが仕組んだくせに。
俺は、まっすぐセイを見据えた。腹の底の怒りを、抑えながら。
「……セイさん」
「なんだい?冒険者くん」
「聖騎士様は……よっぽど、お暇なんですね」
セイの、片眉が上がった。
「……ほう?」
「SSランクの大した御方が……女性一人を貶めるために、あることないこと言いふらして回るなんて。……ずいぶんとご立派な聖騎士様ですね」
ギルドがどよめいた。
セイに、面と向かって皮肉を言う奴なんていない。ましてや"荷物持ち"だと思われている俺みたいな男が。
セイの笑みが、すっと、消えた。
「……口の利き方に、気をつけろよ。誰に向かって言っている」
「聖騎士様あなたに…ですよ」
俺は、退かなかった。
「そんなに、俺たちが気に入らないなら。……陰でこそこそ噂を流すんじゃなくて。正々堂々勝負でもしませんか?」
「……勝負?」
セイの目が、興味深そうに光った。
「そうです」
俺は、はっきりと、言った。
「俺たち銀の羽根とあなたたち……どちらが、上かはっきり決めましょう」
ギルド中が、固唾を呑んで見守っていた。
セイは、しばらく俺を眺めていたが、やがてくっくっくと喉を鳴らして笑い出した
「……面白い。いいだろう。で? 何で、勝負するつもりだ」
「二十五階のフロアボス」
俺は言った。
「どちらが、早く倒せるか……それで、決めましょう」
二十五階…金剛級の壁だ。
セイは、その言葉にますます笑みを深めた。
(──こいつら、まだ二十二階が、やっとのはずだ。俺たちは、もう二十四階を狩場にしている。二十五階のボスなんて造作もない)
その顔に、そう書いてあった…勝てると確信している。
「いいぞ。……乗ってやろう…だが」
セイが、舌なめずりをするように言った。
「タダで、というわけにはいかないな……何を、賭ける?」
来た!と思った。
こいつは、必ず何か要求してくる…俺たちから、何かを奪おうとする。
「……何なら、勝負に乗ってくれるんですか?」
俺が、聞き返すと。
セイは、ゆっくりと俺の仲間たちを見回した。その視線が、フィーネさんとバルトさんの上で止まる。
嫌な目つきだった。
品定めするような。
「そうだな……」
セイが口を開いた。
「あの、バルトという男とフィーネという女を……俺のパーティによこせ」
ざわ、と空気が揺れた。
「代わりに──ガロと、ザイドを、くれてやる。悪い取引じゃないだろう? お前らからすれば、格上の二人が手に入るんだ」
人を…
まるで、物みたいに…
交換する…とこの男は言った。
「それは……」
俺は、言葉に詰まった。
バルトさんと、フィーネさんを賭ける? 仲間を賭けのコマにする?
そんなこと──できるわけが。
「いいじゃねぇかレイ──」
その声は、俺じゃなかった。
バルトさんだった。
「バルトさん!?」
「……乗ってやろうぜ、その勝負」
バルトさんが、にやりと笑った…
その目には、静かに闘志が燃えていた。
「わたしも、構いません」
続いてフィーネさんが、静かに前に出た。
「わたしと、バルトさんを賭ける。……いいですよ。その代わり──負けたら、あなたが行った非道な嘘を認めなさい。その、覚悟はおありですか?」
フィーネさんの声は、氷のように冷たかった。あの、光の消えた目でセイを、見据えている。
「フィーネさん、バルトさん……!」
俺が、止めようとすると。
「レイ、大丈夫だ」
バルトさんが、俺の肩を叩いた。
「俺たちは負けねえ。……お前らを、信じてるからな」
その言葉に、俺は胸が熱くなった。
賭けに、乗ったんじゃない。
二人は──"負けない"と信じているんだ。
俺たちのことを【銀の羽根】のことを。
「……おいおい」
そのとき、呆れたような声が割り込んできた。
ガロさんと、ザイドさんだった。
二人とも、頭を抱えている。
「お前ら……勝手に、話を進めやがって」
ガロさんが、ため息をつく。だが、その顔はどこか楽しそうでもあった。
「……まあ、いいぜ。やるからには、真剣にやらせてもらうぜ。手加減はしねえ」
そう言って、ガロさんはセイのほうを振り返った。
その目が、鋭く光る。
「──だがな、セイ。俺たちは、先に言っておく」
ガロさんの声が低くなった。
「この勝負が、どうであれ。……俺たちは、お前のパーティを抜ける。決定事項だ」
「……なに?」
セイの、顔色が変わった。
「ずっと、思ってたんだ。……お前のやり方は、間違ってる。人を、駒みたいに扱いやがって。……俺は、昔、それで、大事なものを失いかけた」
ガロさんの目が、ちらりと俺を見た。
かつて、俺を、切り捨てたその過ちを、ガロさんは忘れていない。
「二度と、同じ轍は踏まねえ。……勝っても、負けても俺たちは、お前とは袂を分かつ」
「そうだ」
ザイドさんも、静かに、頷いた。
「強さだけで、人はついてこない。……お前は、それを、学ぶべきだったなセイ」
セイの顔が、屈辱に歪んだ。
自分のパーティの主力二人に面と向かって、見限られたのだ。しかも、こんな、衆人環視の中で。
「……いいだろう」
セイが、絞り出すように言った。
「勝負で、目にもの見せてやる。……お前たちが、俺を、選ばなかったことを。後悔、させてやる」
こうして。
俺たち銀の羽根と、セイのパーティの勝負が決まった。
二十五階のフロアボスをどちらが早く倒すか。
賭けるのは──バルトさんと、フィーネさん。
負ければ、二人は、あの男のパーティに、渡ってしまう。
「……レイさん」
ギルドを出た、その帰り道の道中でティアさんが、そっと俺の隣に来た。
「……ごめんなさい。わたしのためにこんな……」
「謝らないでください、ティアさん」
俺は、首を振った。
「ティアさんは、俺たちの仲間です。……仲間を、傷つけられて黙ってられませんよ」
「……レイさん」
「それに」
俺は、拳を握った。
胸の奥に、しまってあるあの"手応え"を、思い出しながら。
(……見せてやる)
スキルリングの合成。まだ、誰にも見せていない、俺の切り札。
二度とあの男にティアさんを──俺の仲間を、"替えが利く"なんて、言わせない。
「……勝ちますよ。絶対に」
俺がそう言うと。
ティアさんは、少しだけ泣きそうな顔で。
それでも、確かに頷いた。
決着をつける
二日後開始の勝負で!必ず俺たち銀の羽が勝利を掴む!
そしてこの優しい人の笑顔を取り戻してみせる!




