第二十四話 奈落回廊
白金級に昇格して数日が過ぎた。
俺たちは、二十階の階層を越えた。つまり、その先へ進む資格を得たということだ。
「いよいよ、ですね」
ホームを出る前、フィーネさんが、みんなを見回して言った。
「二十階から先。……深層....奈落回廊です」
奈落回廊。
二十階から下に広がる深淵のダンジョン。
そのさらに奥。二十階を越えたその先は、俺たちにとって完全な未知だった。
「気を引き締めていきましょう。……ここから先は、これまでとは、違いますから」
その声に、いつもの柔らかさはなかった。
◇
二十一階へ降りる。
階段を下りきった瞬間....俺は、空気が変わったのを感じた。
空気が冷たいしかしそれだけじゃない。息を吸うと、喉の奥にずしりと重いものが絡みつくような...そういう圧力があった。
奈落回廊は、広く。上層のよりもさらに大きく例えて言うならば階層主がいるボス部屋がそのまま通路になっているように開けている。
そして──薄暗いその奥に、いくつもの影が、蠢いていた。
「……フィーネさん。あれ」
俺が指すと、フィーネさんが、静かに看破を走らせた。
その表情が、こわばる。
「……皆さん。落ち着いて、聞いてください」
フィーネさんが、声を潜めた。
「あそこにいるのは……鬼面オーガ。それと、シルバーバード。……ブレイズファングも、います」
「なっ……!?」
ミレイさんが、息を呑んだ。
【鬼面オーガ】二十階の、階層主。
【シルバーバード】十階の、階層主。
【ブレイズファング】十五階の、階層主。
俺たちがいままで死力を尽くして倒してきた相手。その一体一体が、俺たちの冒険の大きな壁だった。
それが──ここでは。
「……うろついてる。何体も...まるで、そのへんの雑魚みたいに」
ミレイさんの声が、震えていた。
「フィーネ...ここって……」
「……ええ」
フィーネさんが、唇を噛んだ。
「二十階から先は──記録がありません。到達した冒険者は、誰もいないんです。踏破者のいない場所。……わたしたちは今、誰も見たことのない場所に立っています」
しん、と、空気が、重くなった。
誰も見たことのない場所。
つまり、ここから先は、地図もない。攻略法もない。何が出るのか、何が待っているのか、誰も知らない。
かつての階層主が、雑魚として徘徊する世界。
それが、深層だった。
「……でも」
バルトさんが、大盾を構え直した。その声は、努めて明るい。
「やることは、変わらねえだろ? 目の前の敵を、倒す。それだけだ」
「……そうね」
ミレイさんが、杖を握り直す。
「あたしたちは、白金級よ。鬼面オーガだって、もう倒したんだから」
フィーネさんが、ゆっくりと頷いた。
「……ええ。まずは、一体。慎重にいきましょう」
◇
最初は、うまくいっていた。
うろついていた鬼面オーガの一体を、俺たちは、慎重に囲んだ。
バルトさんが城塞で受け、ミレイさんが弱点を削り、フィーネさんが指揮を執る。二十階の階層主戦と、同じ手順。
グオオオオッ!
咆哮。だが、俺たちには、もう通用の勝ち筋がある。
「バルトさん、受けて! ミレイさんねらって!!」
「言われなくても!」
フレイムランスが、炎の槍となって、鬼面オーガの脇腹を抉る。
いける。この一体なら──そう、思った、そのときだった。
キィィィィッ!
頭上から、甲高い鳴き声...
「……っ! 上です!」
フィーネさんが叫んだ瞬間、銀色の影が急降下してきた。
【シルバーバード】別の一体が俺たちの戦いに、割り込んできたのだ。
「くっ……!」
バルトさんが、盾を上に向ける。だが、遅い。城塞のバルトさんは、鬼面オーガを受けるので、精一杯だ。空からの敵まで、手が回らない。
ザシュッ!
シルバーバードの爪が、ミレイさんの肩を掠めた。
「きゃっ……!」
「ミレイさん!」
そこから崩れた。鬼面オーガが前から、シルバーバードが上から...
二体の連携が、俺たちを挟み込む。
バルトさんの城塞は、確かに硬い。
だが、壁は、一枚しかない。
前を受ければ、上ががら空きになる。上を向けば、前から潰される。
「くそっ……! 二体同時とか...キツいぞ……!」
バルトさんが、歯を食いしばる。動かざる要塞も、二方向からの攻撃には、応じきれない。
「みなさん、隊列を! バルトさんの後ろに、固まって……!」
フィーネさんが、指揮を飛ばす。
俺は、ウィンドソードでシルバーバードの爪を弾いた。
だが、鬼面オーガの巨躯も迫っている。
前も、上も。守るべき場所が、多すぎる...
結果........じり貧だった。
一体なら、勝てる。
でも、複数なら...しかも、この深層には──まだ、他にも徘徊している。
長引けば、三体目、四体目が寄ってくる。
「……ミレイさんの傷、浅いです! ティアさん、回復を!」
「わかりました!」
ティアさんの治癒が、ミレイさんの肩を癒す。
その、混戦の中で──
鬼面オーガの大太刀が、薙ぎ払われた。
「危ない! 散って!」
フィーネさんが叫び、みんなが飛び退く。
だが、その一瞬。フィーネさんだけがわずかに遅れた。
ザシュッ
太刀の、切っ先...そのかすかな刃先が、フィーネさんの脇腹を掠めた。
「……っ」
小さく、息を詰める音。
でも、フィーネさんは、倒れずよろけもしなかった。すぐに姿勢を立て直して、また指揮を続ける。
「……大丈夫! かすっただけです! それより、シルバーバードを──」
軽傷だ。傍目にはそう見えた。
現に、ミレイさんもバルトさんもフィーネさんの負傷には気づいていない...
それぞれ、目の前の敵で手一杯だ。ティアさんも、ミレイさんの回復を終えたばかりで、フィーネさんの異変までは目が届いていない。
でも──俺は。
鷹の目で、戦場を視ていた。
(……フィーネさんの指揮)
その、号令が...フィーネさんの指示が...
それが、ほんのわずかだが、鈍っている。
「……レイ君! 右です!右から──いえ……左!」
言い直した。
いつものフィーネさんならあり得ない。フィーネさんの指揮はいつだって迷いがない。
的確で、澄んでいて俺たちを迷わせない。
なのに、今、一瞬判断が遅れていた。
指揮のキレが鈍い。
痛みを堪えているのか...それとも膠着状態からの焦りなのか...それでも指揮官の責任を放り出さないために。自分の傷を後回しにして。
(……そうか)
俺は理解した。
フィーネさんは大丈夫じゃない。ただ、みんなを不安にさせないために平気なふりをしているだけだ。そして、その我慢と焦りが指揮の精度を落としている。
このままじゃ...まずい。
フィーネさんの指揮は、この戦いの生命線だ。それが鈍れば、俺たち全員が崩れる。
俺は、鬼面オーガの隙をぬってフィーネさんのすぐ隣へ動いた。
「──フィーネさん」
「レイ君? どうして、ここに。配置に、戻って──」
「動かないでください」
俺は、フィーネさんの脇腹にそっと手をかざした。
指先に、意識を集める。
淡い、緑の光が灯る。
「……っ、レイ君、これ……」
「フィーネさん、大丈夫です。俺もいますまずは傷を治しそれから一つづつクリアしましょう!!」
「ーっ」
「……痛み、引きましたか?」
フィーネさんが、目を見開いていた。
自分の脇腹に、手を当てる。掠り傷が塞がっている。じくじくと疼いていた痛みが消えると同時に焦っていた感情までも平常化されていく...
「……はい。……嘘みたい。もう、なんともありません」
「よかった」
俺は笑った。
「フィーネさんの指揮、俺たちの命綱なんです。だから……無理して隠さないでくださいね」
フィーネさんは、しばらく、俺を見つめて。
それから、ふっと目元を緩めた。
「……敵いませんね、レイ君には」
その声に、いつもの澄んだ響きが戻っていた。
「──みなさん! 立て直します! バルトさんは前! ミレイさんは牽制! レイ君は遊撃! ……撤退の準備を!」
キレの戻った号令が戦場に通る。
だが──指揮が戻っても。
状況が、変わったわけじゃなかった。
鬼面オーガ。シルバーバード。そして、遠くの暗がりから、こちらへ近づいてくる、新たな影が....三体目がすぐそばまで来ていた。
「……フィーネさん」
「ええ。……わかっています」
フィーネさんの、判断は早かった。
「撤退します。今すぐ。……ここは、まだ、わたしたちの来る場所じゃ、ありません」
その言葉に、誰も、異を唱えなかった。
バルトさんが、殿を務める。
城塞で、二体を食い止めながらじりじりと後退する。
ミレイさんが、退路に牽制の魔法を撒く。
俺は、シルバーバードの追撃をウィンドソードで払いのける。
そうして、俺たちは..........
二十一階から、命からがら階段を駆け上がった。
◇
二十階まで戻った。
見慣れた、階層主部屋の前。
鬼面オーガの気配はない。
そこまで来て、ようやく、俺たちは一息ついた。
「……はぁ...まったく...ひどい目に......あったわね」
ミレイさんが、その場に座り込んだ。
「なによ!あれ!!!鬼面オーガも、シルバーバードも、ブレイズファングも……全部、雑魚扱いじゃないの!!!……あたしたちの二十階までの苦労はなんだったのよ」
「...まいったな……」
バルトさんが、城塞を解いて、大きく息を吐く。
「一体なら、いける。でも、二体、三体で来られると……俺の壁じゃ、足りねえ。深層は、そういう場所なんだな」
しん、と、みんなが黙り込んだ。
深層の、格の違い。それを、全員が、痛感していた。
「……はっきり、言います」
フィーネさんが、口を開いた。
「今のわたしたちでは、深層は....無理です。……鬼面オーガ一体を、危なげなく倒せるくらいにならないと。あそこには、あれが何体もいるんですから」
その言葉に、みんなが、頷いた。
悔しいけれど...それが事実だった。
一体でも、あれだけ苦戦した鬼面オーガ。それを"雑魚"として複数捌けるようにならなきゃ深層では生き残れない。
「……なら、やることは、決まったわね」
ミレイさんが、立ち上がった。
その目に、もう、さっきの動揺はない。
「鍛えるのよ。あたしたちが鬼面オーガを片手で倒せるくらいに。……幸い....ここには」
ミレイさんが、階層主部屋の扉を、指さした。
「格好の的が、いるんだから!!」
二十階の階層主【鬼面オーガ】
倒しても、時間が経てば、また現れる。
俺たちにとって、これ以上ない、腕試しの相手だ。
「……ここで....二十階層でレベリングですか?」
俺が言うと、フィーネさんは頷いた。
「ええ、焦らず腰を据えて深層で通用する力をつけましょう。……急がば...回れ、です」
「よぅし!決まりだな!」
バルトさんが、盾を担ぎ直した。
「なぁに、こちとら足踏みには慣れてる。……今度の足踏みは、前に進むための足踏みだ。悪くねえや」
その言葉に、みんなが笑った。
俺も笑った。
深層の壁は高い...だがしかし...届かないなら届くまで、力をつければいい。
焦らず、地道に...それは、俺がずっと俺達がやってきたことだ。
「……よし。やりましょう」
俺は拳をぎゅっと握った。
深層への扉はまだ閉じたまま。
でも、いつか必ずこじ開けてやる。
こうして俺たちの、レベリングの日々が──始まった。




