6話
朝の日差しが窓から差し込む。鳥のさえずりが聞こえる穏やかな朝だった。
鏡の前で身支度を終えたセレフィナは机へ向かう。
真新しい紙…インク壷…羽根ペン。
そして大きく書いた【やりたいこと】。
思わず少し笑ってしまうのは、前の人生では感がることすら許されなかったからだ。だから今は書く。思いつくままに、やりたかったことを。
【1】と書いた隣に、【ルーネリアと買い物】と書く。前は第二皇子セドリックの婚約者になってから外出すら制限された。
【不要な交友関係は切れ】
そういわれてから、親友との茶会や買い物、散歩まで禁止にされ、誰とどこに行くか、何をしに行くのか、それらの許可が必要になり、気に入らないことだったら皮肉を言われ、監視がつけられる。今思い出すとかなりひどいと思わず顔をしかめる。
それに比べて自分にいいと判断すればついてきて、セドリックに連れていかれる夜会や茶会なんかは自分があの大公から許された存在なんだと高らかに宣言しながら、ことあるごとに、私の婚約者だといったあと、優秀だの美しいだのと、まるで私をアクセサリーかのように自慢するのだ。
ムカつくことばかりが思い浮かんできて、頭をふりながら次のことを考える。
【2】と書いた隣には【お菓子作り】。
これも外せないことだ。昔から甘いものが好きでお父様やお兄様がいない間にリネットとノアリスを連れてよく作っていたのだ。なぜかなくなってることがあったが、精霊でも食べたのかなと思っている。前は婚約者になってから厨房へは立ち入り禁止にされたのだ。品位にかけるとか言われて意味は分からなかったが、従わざる負えなかった。お菓子作りの何が品位にかけるというのか。
作ったらルーネリアにあげよう。リネットとノアリスにも。皆でお茶会なんてのもいいわね。そう思うだけで楽しくなる。
羽根ペンは止まらず、行きたかった場所、読みたかった本、やってみたかったこと。1つ1つを紙に埋めていく。そしてふと、頭をよぎったことに手が止まり、他よりも少し丁寧な字で【精霊研究】と書いた。
母のことは、ほとんど知らない。顔は絵で見たことはあるけれど、お父様やお兄様には聞けないし、使用人たちも一度困った顔をされてからは聞いてない。私がわかっているのは、魔力量が多かったこと、だけど病弱だったこと、精霊が好きだったこと、研究が好きだったこと。それだけしか知らない。
だから思ったのだ。母と同じ研究をすれば、同じ景色を見れば、少しだけ近づけるかもしれないと。前はそれも許されなかった。研究室に行くことも、籠ることもダメで、婚約者としてちゃんとふるまえと何度言われあだろう。
でも今回は違う。止める人なんていない。誰かの許可なんて必要ない。今度こそやってみよう。
そう決意した瞬間、激しいノックが響いた。
「お嬢様!」
聞きなれた声と同時にリネットが勢いよく扉を開き、珍しく息を切らしていた。
「どうしたの?」
「大変です!」
「何が?」
「旦那様が朝食にお呼びです!」
「…お父様が?」
「はい!」
「朝食に?」
「はい!」
「誰を?」
「お嬢様をです!」
「朝食に?」
「はい!間違いありません!」
セレフィナはあまりのことに固まる。前のことを思い出しても、父と朝食を囲んだことなんてほとんどない。あるとしても、朝食なんて喉を通らなかったけど。まして、父の方から呼ばれるなんて一度もなかった。いったい、どうして急に…
「行かないわけには、いかないわよね?」
「…はい。」
これ以上、リネットを困らせるわけにもいかないしと思いながらセレフィナは立ち上がる。胸の中にあるのは期待ではない。食堂までの道を歩きながら、戸惑いと警戒を胸に、なぜ父は私を呼んだのか。それを考えながら向かうのだった。
食堂の前で足を止め、ノックをする。
「セレフィナです。」
少しだけ緊張しながら声をかければ入ってきなさいと声をかけられ、扉をあける。いつも一人でご飯を食べていた広い食堂。大きな窓からは朝日が差し込んでいる。永井あ食卓の中央には、アステリオ・ルミナス・ローゼンクロイツ。父が座っていた。
片手にはコーヒーカップ。もう片方には書類。いつもの光景。そう思った時だった。
「おはよう、セレフィナ。」
顔をあげた父は笑っていた。それにセレフィナは固まってしまう。
「…え、」
思わず声が漏れてしまった。父が首をかしげている。
「どうした?」
「い、いえ…」
なんでもありません。そういうしかできなかった。
だって、父が笑った。自分に向かって。そんなこと一度もなかった。おはようと言われた記憶もない。同じ食卓を囲んだ記憶だってないのに。どうして急に…
セレフィナは昨日、ルーネリアから言われたことを思い出した。【2人も記憶があるかもしれない】。確かにそれなら説明はつく。でも、だからと言ってこんなに変わるものだろうか。私は興味を持たれなかった娘。処刑された娘。一族に泥を塗った娘。父からすればそういう存在だ。もし本当に記憶があるならむしろ、前より遠ざけるんではないか。追い出されてもおかしくない。それなのに、父は笑っている。優しく語りかけてきた。理解できない。
でも、もう一つ思い出したセレフィナは1つの答えにたどり着いた。【宵の精霊王】と【雪の精霊王】。滅多に祝福をもらえない二柱の祝福を私が持っている。前の帝国が滅んだことも知っているなら、手放したくない存在なのかもしれない。
心の中でそう結論付け納得した。いあや、しようとした。その方が傷つかないから。期待しなくて済むから。
一方、向かい側に座るアステリオは余裕そうにすわるながらも内心では大混乱であった。娘がちゃんと来てくれたこと、座ってくれたこと、ちゃんと食べてくれているところ、すべてが可愛く見て仕方ないのだ。
生きている。こんな奇跡があっていいのだろうか。だが、セレフィナは視線を合わせようとはしない。当たり前だ。そうしたのは自分なのだから。何を話せばいいのかわからずとりあえず朝食に誘ってみたが、緊張させてばかりだ。ただ、朝食を一緒に食べたかっただけなのだが、そんなことで十数年の溝が埋まるわけもない。だが、焦りはしない。これからたくさん時間をかければいいのだから。
「今日の予定は?」
普通の父なら普通の質問。だが、ローゼンクロイツ家にとっては初めての一歩だった。
アステリオにとっては何気ない問い。けれど、セレフィナも肩がわずかに強張った。前の人生で何度も聞いてきた言葉だ。
【今日は何をする予定だ。】
【ルーネリアと茶会を。】
【必要ない。】
【図書館へ。】
【婚約者に相応しくない。】
【精霊研究を。】
【やめておけ、女が研究など。】
いつだって否定の言葉しか返されなかった。だから、予定を聞かれることが怖い。
「今日は…」
セレフィナは視線を落とし、声を小さくしてしまう。
「ルーネリアと買い物を…しようかと…」
自分でも情けなくなるほど、歯切れが悪い。
まただめだといわれるかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。だから、父の顔を見ることができない。
だが、帰ってきたのは予想もしていない言葉だった。
「そうか、楽しんできなさい。」
セレフィナは顔をあげる。
「……え?」
アステリオは不思議そうに首をかしげていた。
「どうした?」
「い、いえ…」
どうしたもこうしたもない。止められなかった。それどころか、楽しんで来いと言われた。あまりに予想外すぎて、混乱してしまう。
そんなセレフィナには気づかずアステリオは話を続ける。
「欲しいものがあれば遠慮せず買いなさい。必要なら新しいドレスでも宝石でも構わない。荷物は屋敷に届けさせるといい。その方が楽だろうからな。」
あまりに当然のことのように言うものだからセレフィナは固まってしまった。
「いいんですか?」
思わず聞き返してしまい、アステリオは首をかしげる。
「なぜダメなんだ?」
むしろそちらがわからない。娘が友人と買い物に行く。欲しいものを買う。当たり前のことだ。そんな顔をしていた。だからこそセレフィナは混乱してしまう。自分にとってそれは当たり前ではなかった。自由に買い物も、欲しいものも、好きなことも、何かを望むことができなかったのだ。だから、少しだけ胸が熱くなる。
「ありがとうございます。」
自然とこぼれた言葉だった。今度はアステリオが目を見開いて固まる。まさかの反応にセレフィナはぎょっとしてしまい、何か失礼なことを言っただろうかと考える。だが、アステリオは何も言わず目を伏せた。そしてどこか寂しそうで、うれしそうな顔で微笑んだ。
「あぁ。」
返ってきたのはそれだけ。たった一言。そこに込められた感情がわからない。だからセレフィナは戸惑う。どうしてそんな顔をするのかわからない。まるで、本当の父親のような顔で気遣うのだろう。わからない。わからにけれど、前より少しだけ、この食卓が苦しくはなくなった。
そんなことを思った自分に戸惑い、セレフィナは視線を紅茶に落としたのだった。
そして、セレフィナは今回のこと本気で不思議がった父は前のことを知らないんだろうと勘違いし、アステリオはセレフィナの態度を見てなにかあったのではと調べることにし、【ある人物】へ聞きに行った際、前の人生でセレフィナが第二皇子にされてきたことを知り、青筋を浮かべることになるのだった。




