5話
馬車の中は静寂だった。車輪の音だけが一定のリズムを刻んでいる。窓の外には穏やかな街並み。行きかう人々。笑い声。子供たちのはしゃぐ声。そして、ルーネリアの前でそれを微笑ましそうに眺めるセレフィナ。どこにでもある平和な光景だとルーネリアの口元が緩む。
「そういえば」
セレフィナがぽつりとつぶやき、ルーネリアは視線を向ける。
「何かしら。」
「私が、処刑された後の話を聞いてなかったわ。」
ルーネリアの肩がわずかにこわばる。しばらく返事はできなかった。ルーネリアは窓の外へ視線を向ける。明るい陽差し。平和な街並み。笑う人々。今の光景はルーネリアにとって眩しいものだった。これをセレフィナに言ってもいいのかわからない。でも、知る権利はある。
「ヴァルディア帝国は」
静かな声で、少し震えた声で、一度唇をかみしめてからルーネリアは口を開いた。
「滅んだわ。」
その時だけ、音がすべて消えたかのような感覚にセレフィナは理解できなかった。いや、したくなかった。
「…ヴァルディア帝国が?」
「えぇ」
この国が、
「貴方が死んでから、数年後のことよ。」
セレフィナは呆然と窓の外を見る。老人が談笑している。商人が客を呼び込んでいる。子供が母親の手をとって走っている。
そんな国が、滅ぶ?
「どうして…」
セレフィナの掠れた声にルーネリアは拳を握る。
「最初は小さな異変だった。精霊達の力が弱まり始めたの。姿を見ることも減り、祝福や加護が薄れ、結界が綻び…空白の魔物が現れた」
セレフィナの顔色が変わる。
空白の魔物。それは、伝承の中にしか存在しないはずの厄災。精霊を持たない。属性を持たない。存在そのものが歪んだ怪物。
「そんなものが、」
「現れたわ。」
話すルーネリアの声は重く、表情も苦しそうだった。
「それだけじゃないわ。喰霊獣も現れた」
「精霊たちを、食べられたの?」
セレフィナの問いにルーネリアはただ静かにうなずきに、セレフィナの息が止まる。
精霊が食べられる。そんなのきいたことがない。
「森は枯れ、川は濁り、瘴気が広がった。そして、精霊石は黒晶病の侵され、黒く腐り落ちた。」
精霊石を失った帝国はもはや血を失った人間と同じ。死を待つだけだ。
「そして、無の精霊王が暴れ始めた。」
馬車の空気が重く沈む。セレフィナは何も言えなかった。あまりに話が大きすぎた。信じられない。信じたくないのに、ルーネリアの顔がそれが事実だと語っている。
「なんで、」
「貴方を陥れた第二皇子と子爵令嬢よ」
セレフィナは言葉を失った。私を陥れ、処刑台に送ったあの二人が、帝国を滅ぼした?そしてふと、セレフィナは思ったことを口にした。
「…私の、せい?」
ルーネリアの瞳が見開かれる。
「私が処刑されたから、私が精霊王の祝福を受けていたから、帝国は、滅んだの?」
もしそうなら、何万、何十万もの命と未来が自分一人のせいで失われたことになる。
唇を強くかむセレフィナ。だが、
「違う!それだけは絶対に違うわ!」
「ルーネリア、」
ルーネリアは身を乗り出し、セレフィナの両手を包み込む。
「確かに、精霊王が怒ったのは事実。でも、それは断じて、貴方のせいなんかじゃない。だって、貴方は何も悪いことなんてしていない。悪いのはあなたを陥れた連中。そして、貴方を救えなかった私たち。決して、貴方じゃない。」
セレフィナは何も言えなかった。ただ、胸の奥にずっと刺さったままの棘が少しだけ抜けた気がした。前の人生では、誰もそんなことを言ってくれなかった。誰もがお前が悪いと、悪女だと、最後までそういわれ続けた。だから今の言葉は、涙が出そうになるほど嬉しかった。
2人は同時に窓の外を見る。夕暮れの街並み。市場から聞こえてくるにぎやかな声。笑いあう家族。駆け回る子供たち。平和な光景。前回の世界では失われたもの。セレフィナは静かに息を吐いた。そして、まっすぐと前を見る。
「なら」
ルーネリアが顔を向けると、前の世界では考えられないほど自信に溢れ、生気の宿る目をしてセレフィナは微笑んだ。前世で得た強さと今世で得た希望を胸に。
「その未来を回避して、皆で笑う未来にしないとね。」
その言葉は決意だった。逃げるためではない。復讐のためでもない。守るため。一度は自分を見捨てた国を、この国に住む人たちの未来を、もう二度と失わないために。その瞳には、未来へ歩き出す者の光が宿り始めていた。
ローゼンクロイツ大公家の馬車が屋敷に到着し、御者が扉を開けると、夕暮れの柔らかな光が差し込んだ。
「じゃあまた明日。」
「えぇまた明日。」
笑うルーネリアにそう返すために言葉を口にしてから、セレフィナは少しだけ死を止めた。
また明日…前の人生では当たり前だった言葉。けれど、処刑台の上で失ったものであった。自然と笑みがこぼれる。
ルーネリアはそんなセレフィナを見ると満足そうに頷き、自身の馬車へと乗り込んだ。
見えなくなるまで見送ってから、セレフィナは屋敷へ入っていった。
「おかえりなさいませ、お嬢様。」
使用人たちが頭下げる。
「ただいま。」
いつも通り答えながら廊下を歩く。その後ろを続いてリネッタは馬車から降りた後のセレフィナがどこか違うことに気づいていた。
「お嬢様。」
「何かしら。」
「何か、いいことでもありましたか?」
「いいこと?」
セレフィナが足を止めて振り返ると首をかしげているリネットと視線があう。
そんなリネットもうまくは説明できない。
笑顔だったから?―――違う。
機嫌が良さそうだったから?―――違う。
ただ、何かが変わった気がしたのだ。
「そうね。」
セレフィナは少し考えこんだ後にふっと微笑んだ。まるで幼いころのように。
「少し、自分を変えようと思ったの。」
「…お嬢様が?」
リネットは目を見開きながら思わず口からこぼれてしまった。それにセレフィナは苦笑する。
「そんなに意外かしら。」
「い、いえ、」
否定しようとして言葉に詰まる。本音を言えばとても意外だったからだ。だが、それはリネット自身もわからない。昔から知っている主人のはずなのに、その言葉はどこか、”お嬢様らしくない”と感じたんのだ。
リネットの中に前の記憶はない。
処刑台も、滅んだ帝国も、今この世界がやり直しの世界であることも。
でも、今目の前のセレフィナを見つめるリネットは胸の奥が暖かくなるような気がした。まるで、長い間閉じ込められていた鳥がようやく空へ飛び立とうとしているような、そんな感覚だ。
「私、変だったかしら。」
セレフィナが冗談めかしにそういえばリネットは慌てて首を横に振る。
「いいえ!」
声を出してから思ったよりも大きくて自分の口を押え、顔を赤くするリネットに、セレフィナがくすりと笑った。それがなぜかすごく、うれしいと思ったのだ。
「ごめんなさいね。」
「いえ!」
リネットは胸に手を当てながら、
「今のお嬢様の方が、その、息がしやすそうです。」
言葉を選びながらそういったリネットにセレフィナは目を見開いた。リネットが言った事がストンと胸に入り、心に残る。前の人生では、お父様やお兄様、屋敷の人、周りの人のために、大公家に相応しくあろうとしていた。誰でもいいから、認めてほしくて、気づけばずっと息を止めていたのかもしれない。
窓の外は夕日が沈みかけていた。セレフィナはその光を見つめながら、静かに微笑む。
「そうね。」
今度は誰かのためじゃなくて、自分のために生きてみようかな。第二皇子からの婚約の申し込みをされてから我慢していたことはいっぱいあった。今のこの人生は、私が最後まで誇れる自分であるために、生きてみよう。




