7話
緊張しっぱなしの朝食を終え、セレフィナは自室へ戻り、慌ただしく支度を整えていた。鏡の前で最後の確認をしてから問題がないことを確認する。
「お嬢様、とてもお似合いです!」
「ありがとう。」
リネットにいわれて自然と笑みが零れる。親友との買い物。それだけで胸が弾む。屋敷をでると、すでにルーネリアは待っているのをみて、思わず駆け出した。
「ルーネリア!」
「そんなに急がなくても逃げないわよ。」
くすりと笑いながら頭をなでてくる。その手が心地いい。
「ごめんなさい。」
「別に怒ってないわ。」
ルーネリアは楽しそうに笑う。そして、それよりといいながら後ろの方に視線を向けた。
「彼もついてくるの?」
指の刺された方向を見れば、銀髪の青年が立っていた。ローゼンクロイツ家護衛騎士【レオルド・ネージュ】だ。
「なんで、」
思わず聞いてしまったが、レオルドは相変わらずの無口無表情で微動だにしない。前から変わらないけど、そばを離れたことはそういえばなかったなと思い出す。
「私はお嬢様の護衛ですので。」
実に事務的だった。
最後まで私のそばを離れなかったレオルド。誰も信じてくれなかった時も、話しかけてくれなかった時も、彼だけは変わらなかった。処刑の日も、最後に見た騎士は彼だった。そして最後に指示をしたのは、私の部屋にある私物の処分だった。そのあとはどうなったのかはわからない。だから、最後に面倒なことを頼んでしまったと、申し訳ない気持ちがある。
「レオルド」
「はい」
「ごめんなさい。」
口からこぼれた言葉にレオルドは目を瞬く。
「何がでしょうか。」
「えっと、」
さすがに前の人生で、なんて言えるわけがない。と戸惑うセレフィナを見ながらレオルドのほうが先に口を開いた。
「お嬢様の傍におります。」
セレフィナの息が止まる。隣ではルーネリアも目を細めた。その言葉はあまりにも前の彼らしい言葉だったから。ルーネリアはセレフィナの前へ出てレオルドを見つめる。
「レオルド」
「はい」
「何か覚えていたりしない?」
「何をでしょうか。」
「例えば、妙な夢とか。」
レオルドは少し考えた後に首をふる。
「とくには。」
即答だった。少なくとも記憶はないらしい。ルーネリアもそれ以上は追及しない。
「ただ、」
そう言葉を続けたレオルドは、セレフィナを見つめる。その目が前の時と同じ、優し目をしていたものだからセレフィナの瞳が揺れる。
「お嬢様のことは、私が必ず守らなければと、強く思うのです。」
「…はい、この話は終わり!」
突然ルーネリアが手を叩きながらそう宣言し、セレフィナの手を掴み歩き始める。
「さぁ!今日は買い物!沢山買うわよ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
「待たない!」
楽しそうな笑い声が響き、レオルドは静かにその後ろをついていく。春の日差しに照らされながら、友と笑うセレフィナをみて、レオルドは自分でもわからないほどに歓喜していた。
久しぶりの買い物は楽しかった。前の人生では見ることすら許されなかった店。ショーウィンドウに並ぶドレス。職人が作った繊細なアクセサリー。歴史ある骨董品。美しい絵画。どれも当たり前のものだろうが、セレフィナにとっては目新しくて、輝いて見えた。
「見てセレフィナ、この刺繡すごいわよ。」
「本当ね。」
自然と笑顔になる。こんな風に何も気にせず歩けるなんてできなかった。
「次はここ!」
ルーネリアが腕をひいて連れていかれた先には、可愛い看板。王都でも有名なスイーツ店だった。店内へ足を踏み入れた瞬間、甘い香りが広がる。
「わぁ…」
思わず声が漏れた。ガラスケースの中には、宝石のようなケーキ。色鮮やかなマカロン。季節の果物を使ったタルト。小さな芸術品のようなお菓子たちにセレフィナの瞳が輝く。
「綺麗…」
「でしょう?ここには絶対連れてきたかったの。」
得意げにそう言うルーネリアは胸を張っていた。セレフィナは夢中になってケースの中をのぞく。まるで子供のようだ。そんな姿にルーネリアもレオルドも微笑ましそうな顔で眺めていた。
その時だった。カランとドアベルば鳴る何気ない音。
「こんな所で会うなんて偶然ですね。」
その聞こえてきた声に今までの明るい表情は消え、身体を強張らせるセレフィナ。心臓が跳ね、血の気が引く。何度も聞いた、忘れたくても忘れられない声。ゆっくりっと振り返ると、第二皇子セドリックがいた。護衛騎士を引き連れ当然のような顔でそこに立っている。
セレフィナを見つめる冷たい視線に喉が詰まり、記憶が蘇る。その視線から逃げたいのに動けない。そんなセレフィナの前に一歩、誰かが前に出た。レオルドだ。自然な動作でまるで盾のようにセドリックとの間に立ってくれた。
「これは殿下、奇遇ですわね。」
静かな声。でも、警戒は隠していない声でルーネリアが笑顔で立つ。しかし、その笑みは目まで届いていない。前の人生ではなかった誰かの背中。今はそれがある。
「セレフィナ嬢。」
セドリックは優しげに微笑む。それは、理想的な皇子の笑み。けれど、セレフィナは知っている。その笑顔の裏側を。セドリックもまた目の前の令嬢から目が離せなかった。彼の笑みに隠された本当の意味を。今のセレフィナに、何を思っているのかを。
「ここは皇族も御用達でね。ちょうど君に会いに行こうと思っていたんだ。」
セドリックがケースへ視線をやりながら穏やかな声で話す姿を周囲の令嬢たちは頬を染めながら見ていた。
「土産にしようと思っていたんだ。」
その笑みにセレフィナだけは、冷や汗をかきながら見ていた。優しい言葉。気遣うような視線。だが、その全ては檻を美しく飾るためのものだった。
「それは残念ですわね、殿下。」
にっこりと完璧な淑女の笑みを浮かべるルーネリア。その笑みがどれほど怒っているものなのかセレフィナにはわかっている。かなり、ご立腹だ。
「セレフィナは今から私とお茶を楽しむ予定ですの。」
「ほう。」
「せっかくのお土産も被ってしまいましたわね。」
空気が少し張りつめセドリックの口元がわずかに引きつった。しかし、笑みは崩れない。
「ならば、ルーネリア嬢が譲ってくれないだろうか。」
今度はルーネリアのほうが口元をわずかに引きつらせる。
「私は婚約者候補であるセレフィナ嬢と親睦を深めたいだけなのだから。親友である貴方方はいつでもできることだろう?」
こいつは、何をいっているんだ。婚約者になったところでそんなこと許してもくれないくせに。その前に、なんで私が貴方の婚約者候補になっているのだ。そんな話は今回きていない。候補にすらなってないはずなのに。
でも、ルーネリアは公爵令嬢。相手は皇子だ。さすがに皇子に譲れと言われてしまえば真正面から断ることは難しい。立場を悪くしてしまうかもしれない。
「ルーネリア、私は大丈――」
「それは困りますよ。」
店の奥から声が響いた。静かでよく通る聞き覚えのある声。全員の視線がそこに向くと、水銀色の髪を後ろで束ねた青年が立っていた。
ローゼンクロイツ大公家嫡男【ルシアン・サフィロス・ローゼンクロイツ】だ。
「に、公子様、」
兄と言いかけてやめたセレフィナにルシアンの瞳がわずかに揺れる。ほんの一瞬、誰にも気づかれないほどの変化。兄と呼んでくれなくなったのは、前の人生のせいであり、ほかの誰でもない自分なのだ。何も言わないルシアンはただそっと手を伸ばした頭を優しくなでる。昔、まだ小さいころのように。
穏やかに微笑んでいたルシアンはセドリックへ振り返る。
「妹はこれから皇太子殿下とのお茶会がありまして、セドリック殿下とのお茶会は残念ながらできそうにありません。」
その言葉に全員が固まり、セレフィナとルーネリアも意味が分からないという顔で固まる。そこで言葉をこぼしたのはセドリックだった。
「兄上と?」
「えぇ。」
ルシアンは満面の笑みを浮かべ、実にさわやかに、穏やかに話す。
「皇太子殿下もそれはそれは楽しみにしておられましたので、お待たせするわけにはまいりません。」
「だが、ルーネリア嬢は自分との茶会だと、」
「今回のことは極秘でしたので、ルーネリア嬢には内密にと伝えておりました。まさかこんなところでセドリック殿下に会おうとは誰も思いませんから。」
「…少し時間をもらうだけだ。」
「ですがセドリック殿下もご存じでしょう?他社との約束を破らせる行為は、貴族の模範として皇族がするには好ましくない、と。」
周囲が静まり、店員たちも息を飲む。反論できない完全な正論だ。そこに無礼な言葉はなく、礼儀正しい。ただ逃げ道だけをつぶしている。こちらを見てきたセドリックから顔を隠すように、ルーネリアは思わず扇で口元を隠した。レオルドは少し顔を反らしている。どちらも笑うのを耐えているのだ。
前の人生では見たことのない、守るように立つ兄の姿にセレフィナは戸惑う。
セドリックは何も言えなかった。帝国の次期皇帝であり、自分よりも立場が上の苦手とする兄。
「そういうことですので。」
ルシアンはセレフィナの肩に手をおき、自然な動作で、しかし有無を言わせない力強さでおす。
「これで失礼いたします。」
ルーネリアも知らないことではあったが、ここは話を合わせておこうとセレフィナの横に並ぶ。少し足を進めたところでルシアンは止まると、
「あぁ、それと。」
青い瞳がまっすぐにセドリックを見た。先ほどと同じやわらかい笑顔。だが、今だけは違った。
「本日の件は、父上に報告させていただきます。私も我が妹が第二皇子殿下の婚約者候補になっているなど知りませんでしたから。」
店内は空気が固まり沈黙する。セドリックの口元がひきつり、思い出すのはローゼンクロイツ大公。昨日、セレフィナの悪口を聞かれてしまった相手。その相手に今回は執拗に接触し、婚約者候補などと口走った。
「……そうか。」
笑顔を保つのが精いっぱいだなセドリックにルシアンはただ微笑む。完璧な社交辞令だが、二人も目は笑っていなかった。
セレフィナは扉が閉まる直前、ちらりと後ろを振り向くとまだセドリックは立ったまま、何を考えているのかわからない顔でこちらを見ており、嫌な笑みを浮かべるその視線に背筋が冷える。
次の瞬間、ルシアンがさり気なく立ち位置を変えた。セレフィナの視界からセドリックを隠すように。ルシアンを見るが何食わぬ顔をしており、そんな兄を見つめながらセレフィナは疑問に思いながらも、奥へと足を進めた。




