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04『警句――ステータス偏重主義がもたらすもの』マリウス・フォルトシルト著

 一、序


 私は帝国騎士団長マリウス・フォルトシルトである。

 ありがたいことに近年では私の名を知る者も増えた。

 北方戦線、第二次魔獣侵攻、東部国境紛争など、

 幾つかの戦役で指揮を執ったことが理由であろう。


 しかし、もし読者諸君が私に何らかの価値を見出しているのであれば、

 その大半は私自身のものではない。


 それは一人の老教官から授かった教えによるものである。


 その人物の名は”エドガー・フォン・ヴァルハルト”。


 かつて帝国軍学校にて戦術学を教えていた人物であり、私の恩師である。

 軍人であった者ならば、その名を知らぬ者はいないだろう。

 仮に知らぬとしても、帝国軍人が学んだ

 戦術、兵站、指揮体系のどこかには必ず彼の思想が流れている。


 それほどまでに彼は帝国軍の礎となった人物であった。


 しかし奇妙なことに、若き日のヴァルハルト教官は決して優秀な兵士ではなかったという。

 当時の能力測定試験記録によれば、

 魔力は平凡以下。

 敏捷も平均程度。

 筋力に至っては兵士として不安視されるほど低かった。


 昨今の風潮であれば、おそらく多くの者がその時点で彼を見限ったことだろう。


 だが歴史が示した結果は諸君らの知る通りである。

 彼は英雄となった。

 否、英雄という言葉ですら不十分かもしれない。


 英雄が戦場を変える人物であるならば、

 ヴァルハルト教官は、軍そのものを変えた人物であった。


 私は今でも教官の講義を鮮明に覚えている。

 若き日の私は、自らの測定結果を誇りに思っていた。

 筋力も魔力も高く、騎士として申し分ない評価を得ていたからだ。


 ある日の講義後、私は半ば自慢げに教官へその結果を見せた。

 すると教官は紙を一瞥し、


 「それで?」


 と言った。

 私は意味が分からなかった。


 教官は続けた。


 「その紙は敵を倒してくれるのか?」

 「その紙は負傷した部下を守ってくれるのか?」

 「その紙は補給の遅れを解決してくれるのか?」


 そして最後にこう言った。


 「数値は能力の証明ではない。

 可能性の目安に過ぎん。」


 当時の私は、その言葉を理解できなかった。

 数値が高ければ強い。

 魔力量が多ければ勝てる。

 そう思い込んでいたからだ。


 そして戦場に立つようになり、

 その言葉の意味を嫌というほど知ることになる。


 筋力に優れた兵士が伏兵に倒れる姿を見た。

 高い魔力を誇る魔術師が経験不足ゆえに討たれる姿も見た。

 反対に、測定結果では平凡とされた兵士が冷静な判断によって戦局を救う場面を幾度となく見てきた。


 戦場とは不公平な場所である。

 だが同時に公平な場所でもある。

 そこでは数字は誰も守ってくれない。

 紙に書かれた数字は何の意味ももたらさない。


 最後に頼れるのは経験であり、

 知識であり、

 判断力であり、

 そして覚悟である。


 本稿は、私自身の考えというよりも、

 ヴァルハルト教官が生涯を通して説き続けた教えを、

 後世へ残すために書き記したものである。


 二、本題


 近年、各地の冒険者組合や軍学校において、

 自らの能力を数値化する”ステータス測定”が広く普及している。

 かつてのように能力測定試験を実施することなく、

 瞬時にその個人の能力を可視化することができる便利な手段である。

 一般に用いられる測定器は水晶型の魔道具であり、

 被験者がこれに触れることで微弱な探査魔術が全身を巡り、

 その際に発生する魔力抵抗を解析することで

 筋力、敏捷性、魔力量などを数値として表示するものである。


 この技術そのものは極めて優秀であり、

 短時間で身体能力や魔力容量を把握できる点は高く評価されるべきであろう。


 軍においても、訓練成果の確認や適性判断において大いに役立っていることは否定できない。


 しかしながら、

 近年の若者の中には、

 この数値のみをもって人物の優劣を判断する者が少なくない。


 だがこれは大きな誤りである。

 

 そもそもステータス測定器が計測しているのは、

 あくまでも探査魔術に対する反応値に過ぎない。


 筋力値が高い者は、重い武器や防具で武装する重装歩兵に向いている。

 魔力値が高い者は、強力な魔術を操り、戦局を変える魔術師に向いている。

 敏捷値が高い者は、風のように速く走れるため軽歩兵や伝令に向いている。


 だが、それ以上でもそれ以下でもない。


 数値は能力の一側面を示しているに過ぎず、

 その人物の価値そのものを表しているわけではないのである。


 殊に戦場においては、その傾向が顕著である。


 仮に筋力百の兵士と筋力五十の兵士がいたとしよう。

 数値だけを見れば前者が優れているように思える。


 だが実際には、

 後者が地形を利用し、

 敵の癖を見抜き、

 体力配分を考慮して戦えば、

 前者を討ち取ることは十二分に可能である。


 剣が相手を斬るのは筋肉ではなく技術であり、

 勝敗を決するのは腕力ではなく判断力だからである。


 私自身、数値だけでは説明できない勝利も敗北も数多く見てきた。


 若い頃の私は、自らの高い測定結果を誇っていた。

 だが戦場で私を救ったのは筋力値でも魔力値でもなかった。

 敵軍の動きを読む経験であり、 

 冷静さを失わぬ判断力であり、

 何より教官から叩き込まれた思考法であった。


 歴史を紐解けば、その事実はより明白となる。


 私の恩師エドガー・フォン・ヴァルハルトもまた、その一人であった。


 彼は低い評価を受けながらも努力を重ね、

 戦場を学び、人を学び、やがて帝国軍の根幹を築く人物となった。


 彼らは、自分自身の中に秘められた強さを信じ、

 己の信念や価値観を大切にすることで真の強さを手に入れていたのである。


 我々がステータス測定器に振り回され、

 その数字に支配されることは、彼らの理想とは程遠い。


 残念ながら今日では、

 測定結果が低かったことを理由に剣を捨てる若者さえ見受けられる。


 しかし考えてみてほしい。


 測定器が示しているのは現在の状態であり、未来の可能性ではない。

 それはいかなる魔道具も努力を計測することはできないからである。

 

 経験を計測することはできない。

 覚悟を計測することもできない。


 ヴァルハルト教官はよく言っていた。


 ”数字は便利だ。だからこそ危険なのだ”と。


 人は数字を見れば理解した気になる。

 分析した気になる。

 評価した気になる。

 精査した気になる。

 

 しかし数字は人間そのものではない。


 数字とは便利な指標である。


 しかしそれだけで人間の全てを判断するのは愚行である。


 教官の言葉を借りるならば、


 『賢者はステータスを参考にはしても、決して信仰しない』のである。


 確かに数値を知ることは有益である。

 だが数値に従属した瞬間、その者は己の可能性・視野を自ら狭めることになる。


 ステータスとは地図であって道そのものではない。

 地図は旅人を助ける。

 だが地図を眺めるだけでは一歩も前へ進めない。


 道を歩くのは己自身である。

 地図を眺めるだけの者は、決して目的地へ辿り着くことはないのだ。


 三、結び


 本稿を閉じるにあたり、私は再び恩師の言葉を思い出す。

 ある学生が、自らの低い測定結果を嘆き、


 「私は才能がありません」


 と口にしたことがあった。

 すると教官は笑いながらこう答えた。


 「結構だ。ならば才能がある者より努力すればよい。」


 その学生は後に優秀な士官となった。

 私もまた、人生の節目ごとにその言葉に救われてきた。

 もし本書が誰かの手に渡り、

 己の数値を理由に未来を諦めようとしている者の心を少しでも軽くできるならば、

 著者としてこれ以上の喜びはない。


 諸君を決定するのはステータスではない。


 諸君自身である。


 本稿を、

 帝国軍学校――戦術学教官にして我が恩師、

 故エドガー・フォン・ヴァルハルトに捧ぐ。

一旦ここまでです。

気が向いたときに書いて放出するスタイルなので悪しからず

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