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夜明けまで、後どれくらいの時間があるだろうか。
一時間程か、それとも二時間くらいか。
朝食後の東京からワープでやってきた砂漠は、まだ闇の中で眠っていた。
「故郷の星へ帰るまえに、どうしても一度、おまえとここへ来たかったんだ」
「わたしもだよ。
一万八千年前、この砂漠の、今と同じ場所にわたしたちはいた」
白い石造りの神殿をレイとローユンは眺めていた。
実体を持たないホログラフの神殿は、夜の砂漠に淡い光を滲ませる。
「正直いって、レイたちが、これほどすぐに帰るとは思わなかった」
「ボクだって思っていなかったぞ。
でも観光に来たわけじゃないからな、しかたがない。
なにしろあの宇宙空母は大きいだろう。
ダイナーが安定しているうちに、急いで帰ったほうがいいんだ」
つまり、ダイナーの安全性には疑問が残っているということだ。
そのことに気付いたが、ローユンはとくに追及しない。
漂い出たレイの後に続いて、神殿の広い石段に足をかける。
ホログラフの石段は踏み締める感触のあるはずもないが、ローユンは一段一段を登っていく。
踊り場の柱にレイが飛びつく。
「キャハハハ。
この柱、階段を転がり落ちたナーディが、頭をぶつけたところだ。おまえ、憶えているか?」
「もちろん、昨日のことのように」
「あいつは昔も今も、変わらない気がする」
「だが、ナーディと貴奈津は似ているようで、まったく違う」
「それは当然だ。
入れ物も育ちも違うから。
一番似ているのは、おっちょこちょいで間が抜けているところだよな」
自分で言った悪口にニャハハと笑い、格天井を持つ神殿の屋根へ飛び上がる。
そこでローユンを手招きした。
黄色っぽい毛皮の異世界猫と黒い衣装のローユンが、闇に浮かび上がる白い神殿の屋根を、塔の周りを、巨大な門の上を空中散歩する。
一巡りして石段に降り立ち、涙声でレイが告げた。
「そろそろ行かなくちゃ」
「そうか」
「ボクは故郷に帰るからいいけど、おまえは一人で大丈夫か?」
「心配するな、レイ。
ここがわたしの故郷の星だ。
それより、貴奈津にお別れを言わなくてよかったのか?」
「いいんだ、あんなヤツ。
電子メールで充分だ」
言葉とは裏腹に、ボロボロと涙が溢れる。
両手で顔を拭って、レイはローユンを見上げた。
「ローユン、お別れにおみやげをくれ」
「なにか欲しいものが?」
「このきれいな飾り布をくれ」
ローユンが頭に巻いている、ふんだんに刺繍の入った黒い絹布を、つんつんとレイが引っ張る。
結び目を解いてはずし、手渡された布をレイは自分の首に巻きつけた。
薄い紗の布だが、巻きつける首がないので覆面をしたようになる。
長く下がった布の端は、レイの身長を超えた。
それでもレイは嬉しそうに泣き笑いして聞いた。
「似あう?」
人間ではないので微妙なところだが、ローユンは笑ってレイの頭を撫でてやる。
「とてもよく似あうよ」
「そうだろう。
ボクはなんでも似あうんだ。
ありがとう、ローユン」
レイはふわりと舞いあがった。
手を広げてクルリと回り、絹布を翻らせる。
「いっぺん、おまえみたいに、これがやってみたかったんだ。
かっこいいだろ?」
「ああ、とても」
「じゃあな、ローユン。
元気でな」
「さようなら、レイ」
上昇していくレイを、軽く手を上げてローユンが見送る。
しかしレイは、途中で上昇を止めた。
けっこう、しぶとい。
「ほんとうに、おまえをここへ置いていっていいのか?
東京まで送っていかなくていいのか?」
「わたしはここにいたい」
「そうか。
だけどおまえ、この後どうするんだ?」
「考えるさ」
時間はいくらでもある。
ローユンは心の中で呟く。
「うん、わかった。
じゃあ、ほんとにバイバーイ」
パタパタと手を振りながら、ローユンを見下ろしたままの姿勢で、レイが星空へ浮かび上がる。
そのまま、どんどん上昇して小さくなり、ある一点でパッとレイの姿は空から消えた。
白い神殿を背に、ローユンはそのまましばらく、レイのいない星空を見上げていた。
やがて地上に目を降ろして、砂の上を歩き出す。
その背後で、神殿のホログラフがかき消えた。
数十メートル行った地点で、砂に立てたレイの置き土産を取り上げる。
砂を丁寧に払って、ローユンはレンズを胸のポケットにしまいこんだ。
それからローユンは砂丘に登った。
周囲にある一番大きい砂丘の頂まで、足もとで崩れる砂を踏み締めて登る。
かなりの時間をかけて辿り着き、頂に座り込む。
あとはただひたすら、砂漠の日の出をローユンは待った。
「この日の朝を迎えるのは二度目。
ということになるのか」
砂漠を覆う闇が、ゆっくりと退いていく。
空気が変わる、世界の色が変わり始める。
無彩色の世界が暗褐色へ、やがて明るいレンガ色に、見渡す限りの世界が染まる。
なだらかな砂丘の影は、三日月形をしていた。
ただ一人、一面の砂の海に浮かぶ。
「この状況は、今のわたしの境遇に似ているな」
朝日に染まってローユンも赤い。
ローユンは今、世界でたった一人の異邦人だった。
この星が故郷には違いない。
この砂漢はなにも変わっていないかのようだ。
それでも、この時代はローユンの世界ではなかった。
しかし、ローユンは満足していた。
一人になって最初の願いが、今かなえられている。
ローユンは美しい砂漠の朝を見たかった。
同じくらい美しい夕日でもよかったが、時差の関係で朝日になった。
だからローユンは決めていた。
朝日を見たら出かけようと。




