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レイは貴奈津のベッドでグースカ寝ていた。
その枕元に座って、貴奈津がにこにことレイを眺める。
「明るい日差し、爽やかな空気、もう最高に幸せ」
鈍い黄色の毛皮を持った異世界猫が、可愛くて可愛くてたまらない。
「よかった。
みんな無事に帰ってこられて」
これからはもう、決して離ればなれになることはない。
誰かを失う心配もしなくていい。
二度と悲しいことなど起こらない。
異世界猫の論理に巻き込まれて、あまりに最終決戦が慌ただしかったので、異世界宮殿戦が終結したという感慨は、今一つ深く胸に染み込んでこない。
おそらく時間を経るとともに、かえって記憶を深くすることになるのだろう。
「かんぱーい」
先程冷蔵庫から取り出してきた、リンゴジュースのパックを高く掲げる。
ストローで一口飲むと、レイの耳がピクリと動いた。
次に鼻をひくつかせて、目は閉じたまま起き上がる。
音と匂いに反応したらしい。
「リンゴジュースだ」
不明瞭に呟き、もぞもぞと貴奈津のひざに這い寄ってくる。
まだ半分眠っているのだろう、目は開かなかったが正確にストローの位置を探し当て、パクリと咥えた。
貴奈津が唖然としているうちに、チュウと音をさせ、一息にパックの半量を吸いあげ
る。
「ニャャハッ、この味はゴールデンデリシャス系だな。
目が覚めたぞ」
「こ、この猫は、わたしのジュースを……」
「そんなことより、お腹がすいたな。
朝ごはんはなにかな」
言われて貴奈津も空腹感を憶える。
健康な一七歳はお腹がすくのだ。
「そういえば、もう朝食の時間じゃないの。
急がないと遅れちゃう」
時計を見て、慌ててベッドから飛びおりる。
レイの身支度を手伝ってやり、ついでにレイを抱きかかえて、バタバタと貴奈津は部屋を出ていった。
眞鳥家の家族用食堂では、比較的静かに朝の食事が進行していた。
レイがいつもの如く、
「目玉焼きは、やっぱり両面焼きに限るよな」とか「サーモンマリネはオリーブを乗っけて食べるとおいしいんだ」
などとやかましいが、ほかの五人の口数は少ない。
家族と友人とで、揃って平和な朝を迎えられる喜び。
しかもテーブルには食欲をそそる充分な料理があるとなれば自然、満ちたりた気分にもなろうというものだ。
右手に月葉とイーライ、左手にはレイを挟んで貴奈津とローユン。
グリーンアスパラと生ハムのサラダをつつきながら、眞鳥は順に五人を眺めた。
異世界猫は別にしても、眞鳥にはみんなが自分の子供のように思える。
それだけの年齢差があった。
「これが自分の家族だったらなあ」
そう思わずにはいられない。
貴奈津は元気いっぱいで気立てもいい。
月葉は問題行動が多いものの、そこがまた可愛い。
異世界猫はおかしな性格だが、一人くらい、こんなのがいてもいいだろう。
イーライはなんとなく、なんとなーく苦手だが、若さのわりに世の中の仕組みを熟知しており、頼りになることは間違いない。
そしてローユンは。
「なんとかして、彼を後継者に迎えられないものかなあ」
思いながら、ついローユンに目をとめてしまう。
視線を感じて、ローユンがクロワッサンを片手に振り向いた。
「わたしになにか?」
「いや、シチューをもう一皿どうかね」
「食べる食べる」
両手で皿を持ち、レイが椅子の上に立ち上がる。
その皿を貴奈津が取り上げた。
「お行儀悪いわよ、レイ。
よそってあげるから、座っていなさい」
「うん」
椅子を引き、貴奈津がローユンとイーライの間にあるシチュー鍋に向かった。
蓋を取り、皿になみなみとシチューを盛る。
ムール貝、ホタテ貝、エビなどに彩り野菜を加えた海の幸シチューだ。
「他におかわりする人は?」
お玉を持ったまま貴奈津が尋ねると、イーライがシチュー皿を差し出した。
「わたしももらうよ」
「どのくらい?
半分くらい?.」
「いや、普通盛りで。
今朝はいくらでも入るという感じだから」
「そうかもね。
イーライは晩ごはんを食べないで寝ちゃったからね」
そういう理由ではなかったのだが、このときは誰も気付かなかった。
食事が終わりに近付いたころ、いち早く食べ終えたレイがナプキンを畳んで、椅子から浮かびあがった。
貴奈津の椅子の背に飛び乗り、後ろから貴奈津の髪をさわさわする。
「んもー、落ち着かない猫ねー」
ちょっと振り返るが、貴奈津は放っておくことにした。
レイの仕草が、なんだか可愛らしかったからである。
いっとき貴奈津にまとわりつくと、レイはまた飛び上がり、眞鳥、月葉、イーライと、次々に触ってまわった。
最後にローユンの側へ行き、耳になにごとか囁いた。
肯き、ローユンが椅子をずらして立ち上がる。
「あら、どこかへお出かけ?」
デザートの苺を摘まみ、貴奈津が聞いた。
「おまえには教えてやらないよーん」
「あんたに聞いてないわ、わたしはローユンに聞いたのよ」
レイを一睨みして目を移すと、ローユンは笑って、だが小さく首を振った。
レイとなにか密約があるらしい。
それはわかったが、なにか変だと貴奈津は思った。
レイはいつもと変わらないのに、ローユンの態度がどことなく違う。
微笑んで、ローユンはじっと貴奈津を見つめていた。
こんなことは珍しい。
「どうしたの?」
「いや……」
なにか言おうとして飲みこみ、かわりにローユンは素早く貴奈津のかたわらに来て、テーブルにあった貴奈津の手を取り上げた。
「行ってくる」
そう言ってローユンは、貴奈津の手に唇をよせた。
軽くキスして身をひるがえす。
静まり返った食堂を、レイとローユンは出ていった。
きょとんとしていた貴奈津が、不意に照れ笑いを始めた。
「やっだー、ローユンったら。
彼って時々変わった挨拶するわよね。
びっくりしちゃうじゃなーい」
ねっ、と月葉に同意を求める。
しかし月葉は硬直していた。
「……違うだろう」
椅子を鳴らして眞鳥が立ち上がった。
何事かと振り返る貴奈津のところへつかつかと歩みより、眞鳥はいきなり貴奈津の頭を思いっきり撫で回した。
「でかした。
でかしたぞ、貴奈津」
「ななな、なによ、お父さん。
わけわかんないわよ」
「そうか、この手があったか」
棚からぼた餅、ぬれ手に粟とはこのことであろう。
思いがけない幸運を、眞鳥は天に感謝した。
ローユンを貴奈津の婿にするという、奥の手があるではないか。
ああ、貴奈津が女の子でよかった。
眞鳥が一人、うん、うん、と肯く。
「この手って、どの手よ?」
頭を抱える月葉の向かいで、貴奈津はしきりに首を捻っていた。




