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異世界宮殿が消え去り、東京は天に蓋をしたような鬱陶しさからは解放されたが、巨大宇宙空母は翌朝もまだ上空に居残っていた。
しかし、こちらは地上に電磁波障害も起こさないから、異世界宮殿より遥かに気立てはいいらしい。
空を見上げて、そう東京都民は思うのだが、わけがわからないという点にかけては、どちらも似たり寄ったりであった。
「なんでもいいから、早くここから消えてくれ」
都民は切実に願ったが、かといって昨日の異世界宮殿のように、直下をほぼ壊滅させるような消えかただけは困る。
素早い避難のおかげで、人的被害が報告されていないのは幸いだが、一日にして副都心が失われた。
これは未曾有の大災害なのだが、それでも東京は半ば以上、都市機能を維持してた。
霞ヶ関官庁街も湾岸道路も無傷で残り、手のつけられない大騒ぎながら、なんとか役割を果たしており、ディズニーランドも新東京国際空港もそれなりに営業している。
支障は山ほどあったが、都民はけっこう生活できていたのだった。
テラスに出て空を見上げ、月葉は朝の空気を深呼吸した。
「天気も気分も爽快だ。
眩しい太陽と白い雲のほかになにもない。
これが空の正しい姿だ」
昨日まで、このテラスから見る空は、半ばまで異世界宮殿に覆われていた。
そして、ここからは宇宙空母の艦影は見えない。
気分が明るいためか、今朝の月葉は極彩色のゆったりとしたアロハシャツを着ている。
部屋を出た月葉は軽快に階段を一階まで下り、イーライの部屋の前に立った。
控えめなノックをしてしばし待ち、応答がないので勝手にドアノブを回す。
ノブを掴んだ月葉の手に、傷はほとんど残っていない。
月葉の細胞より二十倍優れた人工細胞と、月葉の皮膚より以下同文の人工皮膚のおかげだった。
「イーライ?」
細く開けたドアの隙間から覗くと、カーテンがいっぱいに開かれた室内は明るく、日差
しの差し込むベッドにイーライの姿はなかった。
「やっと目が覚めたかな。
だけどどこへ行ったんだ」
中へ入り、主のいない室内を検分する。
ベッドはきちんと整えられてあり、たったいま起きたという雰囲気ではない。
「死んだように眠っていたくせに」
昨日、宇宙空母に帰還した月葉たちを待っていたのは、異世界猫たちの戦勝祝賀会、いわゆるドンチャン騒ぎだった。
幾星霜にも渡った戦いを、しみじみと振り返ることも、ましてや涙することもなく、異世界猫たちは大宴会場になだれ込んだ。
地球人たちも大切な主賓として祝勝会に招かれた。
というより、むりやり引きずっていかれ、オモチャにされまくった、というほうが正解であろう。
「ようするに、異世界猫はお祭り騒ぎが好きなだけなんだ。
とても付き合ってはいられない」
月葉の悲鳴に他の三人も賛成して、一人残念そうなレイといっしょに、いつ果てるともしれない宴会を逃げ出した。
ようやく家に帰り着き、ぐったりと月葉は居間のソファーにもたれこんだ。
顔をくしゃくしゃにした眞鳥に、何度となく月葉と貴奈津は抱きしめられたが、二人とも宴会疲れのあまり「まあね」とか「そんなとこ」とか、ろくな返事をしなかった記憶がある。
今思えば悪いことをした。
あんなに心配して待っていてくれたのに。
そして、月葉たちがようやく人心地ついたころ、イーライが突然、
「眠くてたまらない。
先に休ませてもらうよ」
といって席を立った。
倒れそうなほどの睡魔に抗ってシャワーを浴び、宇宙空母内で一度着替えた服をもう一度パジャマに着替えて、それからベッドに倒れ込んだのが、イーライの最後の根性である。
まだ日のある時間だったが、それきりイーライは眠り続けた。
心配した月葉が何度か覗いてみたが、呼びかけてもなんの反応も示さなかった。
「カンフルのせいだ、気にするな」
とレイは言った。
レイの説明では、カンフルを打つと一時的に元気になるが、後で数倍の疲れが出るのだという。
「だけど、本当にそれだけかな」
ベッドの前で腕組みをして月葉が呟く。
そこへ窓の外から挨拶がかかった。
「おはよう、月葉」
庭からテラスヘの石段を、イーライが登ってきていた。
明るい茶系の髪が、朝日を受けて金髪のように見えた。
庭を散歩してきたらしい。
「長いこと寝ていたけど、やっと起きたか。
年を取ると疲れやすくっていやだよねえ」
「お年寄りの睡眠時間は一般に短いものだよ。
よく眠るのは若い証拠」
「カンフルのせいだとレイが言っていたよ」
「ああ、そうだったの。
それできみは……」
「なに?」
「わたしを心配して、様子を見に来てくれたというわけだね」
ベッド脇の柱に片手をついて、イーライは嬉しそうに笑った。
「全然違う。
朝食は時間通りだから。
それを伝えに来ただけだ」
「もっとましな嘘を用意しておきなさい、月葉」
「永遠に眠ってろ」
言い捨てて月葉は部屋を出ていった。
同じ頃、ローユンは眞鳥の書斎に呼ばれていた。
呼びつけられたわけではもちろんなく、眞鳥がローユンの腕を引いて、なぜかこそこそと書斎につれこんだのである。
「栗最中のいいのがあるが、どうかね?」
机に向かい合わせにかけて、日本茶をすすめながら眞鳥が尋ねる。
ローユンは礼を言って断ったが、これは当然で、朝食前から最中を食べるやつはめったにいない。
「それより、なにかわたしに話があるのでは?」
「そう、それそれ。
昨日の今日で慌ただしくてすまないが、なにしろ商売は先手必勝」
だいぶ前から、眞鳥には秘めていた計画があった。
「なるほど」
真面目な顔でうなずくが、じつのところ、ローユンには眞鳥の言わんとするところはまるで見当がつかない。
適当に相槌を打っているだけだ。
ところが、ローユンを見ていると、相手にはとてもそうは思えない。
かなりの部分まで理解してくれているに違いない、という錯覚をおこす。
眞鳥もそうだった。
いきなり前置き抜きで本題に入ってしまう。
「というわけで、眞鳥グループの次期会長はきみだ」
「話が見えてこないのだが」
「おかしいな」
眞鳥は首を捻ったが、掻い摘まみすぎたかもしれないと思いなおす。
「順を追って説明したほうがいいかね?」
「できればそう願いたい」
「ま、お茶でも。
農林大臣賞受賞の狭山茶だが」
「ありがとう」
「さて……と」
どこから話そう。
太い眉をしかめて少し考え、眞鳥はポンと手を打った。
「そうだ。
ローユンくん、きみ、昔はなにをやっていたのかね。
文官だったことは知っているが、具体的には?.」
「今の日本でいえば、行政官僚のようなものではないかな」
「ということは、商売と共通する才能を持っているわけだ。
行政は国家的商売なのだから」
「そういうものだろうか」
「この道三十五年のわたしが言うのだから間違いない」
説得力があるのかないのか、よくわからない。
「では、あなたの経験に敬意を表して、そういうことにしよう」
「うむ、ありがたい。
そこで、きみのその才能を生かして、今後は多国籍企業眞鳥グループの次期会長として働いてみる気はないかね?」
「厚意はたいへんありがたいが、今はまだなにも考えていない」
「だから早い者勝ちなのだよ。
ゆっくり考えてくれて構わんが、一番先にきみをスカウトしたのはわたしだということを、くれぐれも忘れないように」
今までは黙っていたが、眞鳥は以前からローユンの人間性に惚れ込んでおり、ローユンをどうしても後継者に迎えたかった。
ようやく見つけた人材を、他にさらわれてはたまらないという気持ちが、珍しく眞鳥に押し付けがましい科白を口にさせた。
「しかし、あなたには貴奈津と月葉という正式な子どもがいるはずだが」
「大企業の会長などという煩雑な仕事が、貴奈津に務まると思うかね」
肯定するかわりにローユンは小さく笑った。
誰もが納得するように、貴奈津はまるでデスクワーク向けの人材ではないのだ。
「かといって、月葉にはまるで商売っ気がない」
深々と眞鳥は溜め息を吐いた。
本人にまったくやる気がないことをのぞけば、能力的に見て月葉は、企業のトップになれば、並外れた手腕を発揮することは間違いない。
しかしあの性格だから、さぞかし敵も作るだろう。
その点ローユンなら知的で忍耐力もあるうえに、なにより性格がいい。
大企業のトップとしての得がたい資質をローユンは備えていた。
滅多にない逸材だと眞鳥は確信していたのである。
「うんと言ってくれ、ローユンくん。
これ、このとおり」
手を合わせて拝み倒す眞鳥に、ローユンは苦笑してついに答えなかった。




