彼と私をしばる呪い 前編
この作品を読んで、気分が悪くなる方がいらっしゃったら申し訳ありません。
血が、ごぽりと口からこぼれ出る。
元々あった胸をつぶされるような痛みは少し軽減したものの、代わりにヒリヒリとしたのどの痛みでさっきより息がしづらくなった。
どうせ、ここに来てからずっと苦しみはあった。
今更血を吐いたところで、別段変わりはないだろうと思っていたのに、流石に手足が冷え固まるような感覚には怯えずにはいられないらしい。あからさまにやってくる死の予感に、恐ろしくなる。
「あぁ……」
思わず、吐息交じりの言葉が出る。
その後に続くのが、『どうして私が、こんな目に』なのか、『どうせ分かっていたことだ』なのかわからないけれど。結局のところ、物分かりのいい振りをできていたのは、危機感が足りなかっただけだということだ。もっと、前もって色々出来たのではないかと思うけれど、今更後悔したって遅いことだけは分かっていた。
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私が暮らすこの国は、王制をとっているが、代々穏やかな王が多いおかげで目立った争いもなく過ごしてきた。ただ争いがないことの理由として、宗教色が強くない代わりに魔術が盛んに研究されてきたことがあげられるだろう。
この国は開拓されていない自然が多く、妖精との接触も多いために色々不測の事態も多かった。魔術を操る魔術師は世に大けれど、あれは生まれ持った素質がものをいう部分が大きいので、解明されていない部分も多かった。しかし、わが国ではそれでは困るということになり、研究が国をあげて進められた。その結果として、妖精が人間に与える『祝福や呪い』への対抗できる『魔術払い師』が誕生した。この独自の技術は他国から注目度も高く、魔術払い師としての技術提供や発展への協力を惜しまない。どの国ともなれ合わない代わりに、どの国との敵対もしない。それを条件として、今の穏やかさがあるのだろう。
私はそんな国の王都からほど近い村にある、一般家庭に生まれた。
幸い、王都と近いこともあり、馬車が通れるように道も整理されていた。そのため、王都へ向かうにしろ出るにしろ、何かと旅人が訪れるため比較的豊かだ。
ここの村では、神様に祈りをささげる小屋で神官から、簡単な文字の読み書きや計算を教えてもらうことができた。特別利口ではなかった私だけれど、6歳くらいの頃にわりと大きな魔術を秘めていることがわかり、ある出来事をきっかけに魔術払い師になることにきめた。
この世界には魔術や呪いというものがあるのだけれど、何もこれは意識的に行われるものばかりではない。森羅万象魔術とは切り離せないものだし、妖精が気まぐれに与えてくれる『自然的な祈り』の中には、行く末を変えるほど幸運に恵まれるような強力なものもある。
でも、難しいもので、妖精は人間の事情や感情なんて理解できない。良かれと思ってかけられたものが、『強固な呪い』となる場合もある。何せ、魔術払い師なんて名乗っているからには、私もいろいろ巻き込まれている。中でも、魔術払い師になりたてで嫌に気に入られ。自らも師とあがめる国随一の魔術払い師ですら、「これは、私にも解除できませんね」なんて言わしめた呪いがかかっている身と思えば、恨み言の一つも言いたくなるというものだ。
と、だいぶ脱線したが、妖精が『好意から』かけてくる呪いも勿論あるが、人間が知らず知らずのうちにかけてしまう呪いというものもある。
いくら相手の体を気遣っていようと、執拗に心配し続ければマイナスに働く。
例えば、本人にとって十分な睡眠をとれているのに、身内からしたら心配だったのだろう。
「少しでも長く睡眠をとってほしい」という願いは『呪い』となってしまい、意識はあるのに起き上がれなくなったという人もいる。
おまけにそれは、今となっては私の兄弟子とのなっている人に起きた出来事だ。
あの人の燃費はとてつもなくいいらしく、普通の人間だったら耐えられないような3時間睡眠などで、元気よく動き出すのだ。正直、私の感覚から言えば、ちょっと目をつむっていただけの時間だ。本当に理解できない。
そんなことを、滔々と考えながら作業していたのが悪かったのだろう。
突然後ろで作業をしていた師匠に声をかけられて、肩を震わす。
「カンディアさん、また髪が濃くなったんじゃありませんか?」
「えっ、そんなことないですよ」
わずかにドキリとしながら、否定した。
無意識に髪を撫でてみたが、一つにくくった髪は短すぎて確認しようがない。魔術払い師とはけったいな生き物で、魔術払い師が力を発揮するほど、体に黒い痣のような模様が浮かび上がる。更に自分の許容量を超えると、髪が深い色へと変化する。だから、私たち魔術払い師が素肌を曝せる場所は限られており、いつもは長いローブで肌や髪を隠している。特に私は少々特殊な状況だから、師匠からも無理をしていないか目を光らされている。そこのところ、体と違って髪は隠すのが難しいから、すぐに指摘されてしまう。
例えば、色のついた水にどんどん灰色を足せば、じわじわと染まる様に。
私の髪は元々小麦みたいな明るい色だったはずなのに、今では焦がしたパンケーキ色といった方があっている気がする。瞳は黒いから、ちょっと珍しい髪色は好きだったのに、今では仕事のし過ぎでゴワゴワしてきた。肌だって、ここ数日取り組んでいた急ぎの仕事のせいで、コンディション最悪だ。この年になると、ちょっと不摂生するだけでニキビができる癖に、治すのはめちゃくちゃ時間と労力が必要なのだ。
ましてや、ニキビ痕にならないように気を付けるのなんて、魔術を払う時より慎重にやらなければならない。
ただでさえ顔以外のところは、これまで行ってきた魔術払いのせいで痣がたくさんあるのだ。さらに一般の人から忌避される要素を増やしてどうする。「魔術払い師になった時点で、孫の顔なんて諦めたわ」と、母親に言わしめただけある。それでも、「人を救うことができる素晴らしい仕事なのだから、胸を張っていなさい」といってくれるのだから感謝している。
「あっ、居た居たカンディア!なんか急ぎの電報が届いていたぞ」
兄弟子の言葉に、一瞬眉を顰める。
電報とは、一部の魔術師が使える連絡手段で、自分の魔術を使って相手に内容を伝えることができるのだ。普通であれば手紙などを魔術で飛ばす。けれど急ぎとあれば、魔術を形づくり、まるで対面で人と会話するように自分や動物を魔術で形どることができるというのだから恐れ入る。
そんな高等技術を使って連絡するのなんて、国でも一握りの魔術師だけだ。ましてや、私指名の連絡なんて一人しか浮かばない。
「またですか」
やれやれと思いながら、ゆっくりと師匠に目を向ける。
「師匠。すみませんが、今日はこれで……」
「えぇ、いいですよ。元々そういう約束でカンディアさんには、働いて頂いてますからね」
「わがまま言ってすみません」
「幸い、急ぎの仕事は昨日で終わっていますし、気にしないでください」
「あぁカンディアちゃんの、お馴染みさんから?それなら仕方がないわ。大丈夫よ、あとはこの優しい兄弟子が引き受けてくれるから」
「はぁ?姐さんそれはひどいぜ、今やってる呪いは厄介過ぎて、一人じゃ全然解明できてないんだぜ。一緒に頑張ろうって」
「なぁに?短時間睡眠のあんたと同じように、この私にまでずっと研究しろっていうの。そんなお肌に悪いこと、やってられる訳ないじゃない!」
「えーいくら姐さんが年増だからって、俺たち魔術払いの顔なんてめったに見られないから大丈夫だって」
「ちょっと、あんた聞き捨てならないこと口にしたわね?」
「そうですよぉ。バスカさんは出逢った頃からお綺麗ですし、私から見たらまだまだ若いです」
「もうっ、師匠ったら!うれしいけれど、私が一目惚れしたのは六歳の時だから、ロリコンって言われちゃいますよ」
「いえいえ、他の子どもだと見分けはつかないけれど、バスカさんは昔から光るものがありました」
「やだー、口がうまいんだからっ。そんなにおだてなくても、ちゃんとカンディアちゃんの分も頑張りますから大丈夫ですよ!」
「いつも助かります。頼りになる弟子がたくさん居て、私は幸せ者ですねぇ」
「年齢不詳だとは思っていたけれど、バスカ姐さんが子どもの頃から魔術払い師だった師匠は、一体何歳なんだ……」
色々とカオスと化した研究室を抜け、待たせているだろう人の元まで走る。
正直、姉弟子であるバスカさんが師匠一筋なのは有名な話なので、今更考えても仕方がないと思う。年齢不詳の師匠は中性的な顔立ちで、その長い黒髪はいつまでもツヤツヤのふさふさだ。子どもの頃に、バスカさんが「王子様みたいで素敵」と言ってから伸ばしているという髪は腰まであり、いつも綺麗にまとめられている。
対してバスカさんは赤茶色の髪色で、肩あたりで切りそろえられた髪は、いつも可愛くアレンジされている。研究室にほぼこもりっきりの日でも、「好きな人には、きれいな姿を見せたいから」なんて理由で頑張っているそうだ。
バスカさんの片思いは年季が入っていて、子どもの頃から整った顔立ちの師匠にふさわしくなるのだと、ボディメンテナンスも欠かさなかったそうだ。おかげで、女性的な肉体は同性から見ても羨ましいものだし、顔も小顔で可愛らしい。師匠と並ぶとピッタリだと思うし、お互い憎からず思っていると思うのだけれど、二人にはお互いにしか分からない事情があるようで、ずっとあんな風に無自覚に甘い雰囲気を振りまいている。
まぁ、師匠は魔術払いにやってきたお客様に対する、けん制の意味もあるかもしれないけれど。わざとイチャついているにしても、甘すぎてこちらは充てられてしまう。時々、お茶出しをしたバスカさんに見とれる依頼者のまえで、わざとバスカさんの付いてもない髪のゴミをとってみたりするし。この前なんかは、10歳児にすら牽制しているのを見た。あれは依頼が成功し喜びから抱き着こうとしただけなのだが、バスカさんの腰を引き寄せて接触を防いでいた。
大人げないと、バスカさんをのぞいたみんなで白い眼を向けたのだけれど、彼女は師匠が過保護だからそんな行動をとっているのだと、信じてその真意に気づきすらしない。
「本当に、人それぞれ色々あるのね……」
人の恋路に口を出すような野暮な人間はうちにはいないので、他の兄弟弟子たちとはそっと見守ることにしている。そんなことより早く城へ向かわなくてはと、自分の相棒である杖を握り速度を上げる。中庭に差し掛かったところで、不意に呼ばれて足を止めた。
「―――カンディア」
チリンと、高い音がしてから、密集した空気が解放された。
プラチナブロンドの髪が揺れ、ろくに梳いてもいないのに静かに元へ戻っていく。嗚呼、まったくこの男は。世の女性がうらやむようなサラサラとした髪を、そんな無造作に伸ばしていても似合うだなんて何てことだ。師匠ほど長いわけではないが、肩に触れる程度の髪は艶めいているのがよくわかる。
「大魔術師ともあろう御方が、また不法侵入ですか?」
「ごめんね、カンディア」
わずかに震える手を見て、またこの方は無茶をしたのだと溜息をつく。
「いつも城に出向いてもらってばかりだから、たまにはこちらから伺わなくてはと思ってね」
カンディアの職場も見てみたかったし、と落とされた言葉は、あきらかに本音と建前だろうと分かるものだった。何度か師匠の研究施設に来てみたいといわれたのに、拒否していたから強硬手段にでたのだろう。
「以前、カンディアの師匠には了承をもらっているよ」
「師匠はまた、そういう重要なことを……」
「今日はちょっと、失敗してね」
魔術師の緑色のローブをめくった腕には、見るからに嫌な気配が満ちていて眉を寄せる。
きっと余裕がないのに、やせ我慢していたのだろう。光の反射で気づかなかったけれど、よくよく見ればその額には汗をかいて、綺麗なプラチナはわずかに灰色に変化していた。
「ちょっ、ちょっとまって。今すぐ払うから!」
ほっとしたように目をつぶった顔に見惚れつつ、いつもの魔術払いを開始する。
この男は私の幼馴染で、6歳の頃に村に居ついた悪い妖精に気に入られ、危うく乗っ取られそうになったことがある。本当はすぐにでも魔術払い師にお願いすればよかったのだけれど、その頃はまだここまで一般的ではなく高額だった。三人家族が余裕でひと月過ごせる料金なんて、用意できるわけもない。そのため、周りの大人は畑違いの神官と神に祈りをささげるのみで、そろそろ彼の命が危ないというところで私が無理やり妖精と無茶な賭けを行ったことで、難を逃れることができたのだ。
それ以来、彼は魔術を使うたびに、こうして体に残った呪いが暴れないように魔術を払う必要ができた。これをしなければ、きっと彼はゆくゆくは例の妖精に体を乗っ取られてしまうことだろう。今はなんとか、私が妖精と行った『賭け』のおかげで助かっているけれど、油断はできない。私が妖精と行った賭けは、一生戦っていくべきものとして、呪いのように体に刻まれている。
彼ははじめ、現状を打開するため、魔術払い師になろうとした。
けれど、あまりに大き過ぎる魔力はもったいないといわれ、半分強制的に魔術師として国につかえる立場になった。その際にもひと騒動あったのだけれど、私たちのようにマイナーな魔術払い師になんてならなくて本当に良かったと思う。私だって、自分にかかった呪いを解く研究を続けるという目標がなければ、ここまで頑張れなかったことだろう。
「さっ、もう目を開けていいよ」
「……いつも有難う」
「いいえ」
じわじわと熱をもつ腕の痛みを、杖を握ることで何とかごまかす。
魔術払いをするときには杖を使うのだけれど、これは処置するたびに猛烈に疲れるから、倒れないようにしているのではないかと、疑いたくなるほど疲れる。正直、師匠レベルになれば、呼吸をするようにできることなのかもしれない。けれど、間違いがあってはいけないし、人の命にかかわることだ。ましてや、自分にしかできないとなれば、頑張るしかないではないかと踵を返す。
「ごめん、もう仕事があるから、戻らなきゃ」
彼の前では倒れたくはなくて、何とか重い足を進める。
木々のざわめきよりも、自分の鼓動の方がうるさく聞こえる。嗚呼、早く仮眠室のベッドに倒れこみたい。重い足は泥を蹴るかのようで、なかなか進まずイライラした。
「カンディア……もう、こんなことは止めにしないか?」
頭の理解が追い付かず、ゆっくりと振り返る。
それまでまともに合わせられなかった彼の目は、まるで痛みをこらえているかのようだ。
「どういう、ことかしら?」
「魔術師も魔術払い師もやめて、どこか田舎で暮らそう?」
「自分たちの使命や、仕事を捨てて?無責任に困っている人たちを捨ててどこへ行こうと?」
あんまりな言葉に、怒りがこみあげてくる。
彼は、今となっては国の要となりつつある。そんな存在が突然抜ければ事だし、私だって自分の仕事に誇りを持っている。依頼者にとっては、数いる魔術払い師なんてローブをかぶれば見分けがつかないかもしれないけれど、他にはできないことだと思って取り組んでいる。
「それなら、俺の意志はどうなるんだ!子どもの時から、ずっと俺はお前をっ」
「あなたの意志一つを犠牲にしただけで救えるというなら、私は喜んで差し出すわ」
貴方に嫌われただけでその命を救えるというのなら、安いものだと笑って見せる。
人の命より大切な希望なんて私は知らないし、ましてや彼の命がかかわるというのなら、どんなものでも犠牲にしたくなる。
そう、それこそ私と彼の意志ですら。
「犠牲が多いほど、尊いものなのよ」
そして、救える可能性が増える。
「嫌ってくれてもいいのよ?」
―――それでも、貴方が生きていてくれるなら。
生きていなければ、憎めないし嫌えない。こんな所で、いなくなられては困るのだ。自分の体に刻まれた醜い痣だって、誇りに変えてやる。死への恐怖だって、笑ってやり過ごしてやる。綺麗ごとなんて言う気はないし、生憎、徳となるような高尚な精神持ち合わせていない。これは、いわば一種の自己満足だ。どんなに遠回りになったって、間接的に彼を救えるのなら、易いものではないかと痺れる腕に力を籠める。
私がここで諦めれば、どこかで誰かが苦しむ。
少なくとも、目の前の彼は、確実に悪い妖精の間の手に落ちるだろう。危険な賭けだ。負けるわけにはいかない。