第五楽章-聲は光を宿す
合同授業が終わった後も、ペルシモンの心は晴れなかった。
テッラクラスの教室。窓際の席に座り、彼は自分の両手を見つめていた。
あのとき放った火魔法は、間違いなく自分の持てる力を注ぎ込んだものだった。
圧倒的な火力。それだけなら、誰にも負けない自信がある。
しかし、狙った場所に当てる精度も、魔法を思いどおりに操る制御能力も、彼には足りなかった。
結果として、魔法は標的を大きく外れ、制御を失った。
そして、アズールとシアンに助けられた。
「……くそっ」
ペルシモンは小さく吐き捨てた。
自分の実力が足りないことはわかっている。
だから、テッラに所属していることにも、納得できる部分はあった。
けれど。
あの火力を見た生徒たちの驚いた顔が、頭から離れなかった。
自分の魔法は、そんなにおかしなものだったのだろうか。
それとも、自分が思っている以上に、何かが足りていないのだろうか。
答えは出ない。
ただ一つ、確かなことがある。
自分は、もっと強くならなければならない。
アズールとシアンに助けられたことは、今も胸に引っかかっている。
感謝していないわけではない。
むしろ、感謝している。
だからこそ、あの二人の前に、今の自分のままで立ちたくなかった。
ペルシモンは両手を握り締めた。
「……次は、失敗しない」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
* * *
同じ頃、アストラクラスの教室では、合同授業での出来事が話題になっていた。
「でも、やっぱり不思議よね。ペルシモンの魔法……」
シアンの言葉に、周囲の生徒たちが頷いた。
「ああ。正直、初日にあいつを見たときは疑ってたんだよな」
「わかる。なんでアズール様とシアン様が、わざわざテッラの生徒に声をかけるんだろうって思ってた」
「俺なんか、正直見下してた。テッラにいるんだから、俺たちより能力が低いんだろうってさ」
そう口にした男子生徒は、気まずそうに頭を掻いた。
「でも、合同授業であいつの魔法を見ただろ? あの火力、すごかったじゃん。制御はできてなかったけど、威力だけなら俺たちだって驚くレベルだった」
「ああ。俺ら、すげえ間違ってたよな」
その言葉に、周囲の生徒たちは静かに頷いた。
彼らは、ペルシモンの実力を正しく知ろうともせず、テッラクラスに所属しているというだけで彼を判断していた。
しかし、合同授業で目の当たりにした魔法は、その先入観を揺さぶるには十分だった。
「でも、なんであれでテッラなんだろうな?」
一人の生徒が疑問を口にする。
「火力だけで決まるわけじゃないんだろ? 制御とか精度も評価されるんだし」
「それはそうだけどさ。だからって、あいつがテッラに入るほど能力が低いとは思えないんだよな」
「俺も。アストラは無理かもしれないけど、ステラかルナくらいには入れそうじゃないか?」
「確かに、火力はアストラに匹敵する。精密さや理論値とかに課題があってテッラなんだろうけど」
「だとしてもステラになら入れるだろ」
生徒たちの間に、考え込むような沈黙が落ちた。
やがて、一人の男子生徒が口を開いた。
「……そもそもさ、俺たちって、本当にアストラにいるほど総合能力が高いのかな?」
「え?」
「いや、だってさ。俺たちにも得意不得意はあるだろ? 魔法の威力が高くても、制御が苦手な奴だっている。精度がいい代わりに、構築速度が遅い奴だっているじゃん」
「それは……確かに」
「だったら、学院はどういう基準でクラスを分けてるんだろうな?」
誰もすぐには答えられなかった。
アストラクラスに所属していること。
それは、彼らにとって疑う余地のない事実だった。
入学時の評価によってアストラに選ばれ、そこで学ぶことを当然のように受け入れてきた。
自分たちがなぜアストラなのか、深く考えたことのある者は少ない。
まして、ほかのクラスの生徒たちが、どのような基準で振り分けられているのかなど、気にしたこともなかった。
「……それに、そもそもなんで特権格差があるんだ?」
別の生徒が口を開いた。
「特権格差?」
「ああ。考えてみろよ。俺たちもルナやステラ、テッラの生徒たちも、同じ魔法師だろ?」
その言葉に、何人かが顔を上げた。
「たしかに。なのに、クラスが違うだけで学院内の待遇まで違うもんな」
「私たちアストラは、授業料も施設の利用料も全部無料だし、施設の利用制限も一切ないでしょう?」
女子生徒の言葉に、周囲が頷いた。
「でも、ルナ以下だと利用できる施設や設備に制限がかかる。使える魔法具にも違いがあるって聞いたことがあるわ」
「それ、おかしくない?」
彼女は眉を寄せた。
「だって、私たちだって、最初から何もかもできたわけじゃないでしょう? 苦手なことだってあるし、これから学ばなきゃいけないことだってたくさんある。それなのに、アストラにいるというだけで、こんなに優遇されている」
「……言われてみれば、そうだな」
「クラス分けは、能力に応じて適切な難易度の授業を受けさせるためのものじゃないのか?」
男子生徒が腕を組んだ。
「それなら、授業の内容が違うのはわかる。だけど、施設の利用や費用まで差をつける必要があるのか?」
「そもそも、クラスが違うことと、待遇を変えることは別の話だよな」
シアンは静かに頷いた。
「ええ。私もそう思うわ」
彼女は集まった生徒たちを見渡した。
「クラス分けそのものが悪いとは限らないわ。学ぶ内容や難易度を、それぞれの能力に合わせることには意味があるもの。でも、それがどうして、ここまで大きな待遇の差につながるのかしら?」
誰も答えられなかった。
彼らはアストラクラスの生徒だ。
学院の制度によって優遇されている側にいる。
だからこそ、これまで不自由を感じることもなく、制度の問題点に気づかずにいられたのかもしれない。
しかし、今は違った。
ペルシモンの魔法を目の当たりにしたことで、彼らは初めて、自分たちが当たり前だと思っていたものを見つめ直していた。
そのときだった。
「……なるほどな」
教室の入口から、落ち着いた声が響いた。
生徒たちが一斉に振り返る。
そこには、銀色の髪を揺らし、白と金のマントをまとったアズールが立っていた。
「アズール!」
シアンが彼に声をかける。
アズールは彼女に軽く頷き、それから集まっていたクラスメイトたちを見渡した。
「俺がいない間に、ずいぶん興味深い話をしていたようだな」
「聞いてたのか?」
「ああ。少しな」
アズールは教室の中へ歩みを進めた。
「お前たちの疑問は、もっともだと思う」
その言葉に、生徒たちの表情が変わった。
「ペルシモンの能力とクラス分けの関係。クラスによって異なる学院内の待遇。そして、そもそも何を基準に生徒を評価しているのか」
アズールは一つずつ、彼らが口にした疑問を挙げた。
「どれも、確かめる価値がある」
「……アズール様は、学院の制度に問題があると思っているのですか?」
一人の女子生徒が尋ねた。
アズールは、すぐには答えなかった。
「問題があると断定するには、まだ情報が足りない。クラス分けには、魔法の威力だけでなく、精度や正確性、制御能力なども関わっている。ペルシモンの火力が優れていたからといって、それだけで現在の評価が誤っているとは言い切れない」
生徒たちは黙って耳を傾けた。
「だが、それと学院内の待遇格差が妥当であるかどうかは、別の問題だ」
アズールの瑠璃色の瞳が、教室を見渡す。
「能力に応じて学ぶ内容を変えることと、クラスによって利用できる施設や受けられる待遇に差をつけること。それらが本当に必要な措置なのか、俺たちはまだ確かめていない」
彼は一度、言葉を切った。
「ならば、調べるべきだろう」
静かな声だった。
しかし、その言葉には確かな意志があった。
「俺は、この学院の制度を根本から調べ直したいと思っている」
教室の空気が変わった。
「そのために、お前たちの力を貸してほしい」
生徒たちは互いに顔を見合わせた。
誰かが声を上げるのを待つような、短い沈黙。
やがて、一人の男子生徒が口を開いた。
「……俺は、賛成だ」
彼はまっすぐにアズールを見た。
「俺たちは、アストラにいるからって、何もかも正しいと思い込んでいたのかもしれない。ほかのクラスの奴らがどういう環境で学んでいるのか、まともに考えたこともなかった」
「私も協力したいわ」
女子生徒が続いた。
「自分たちが優遇されている理由も、その待遇が本当に必要なのかも、知らないままではいけないと思う」
「俺もだ」
「俺も協力する」
一人、また一人と声が上がる。
それは、アズールに命じられたからではなかった。
彼ら自身が疑問を抱き、自分たちの意思で答えを知りたいと考えたからだった。
アズールは、その様子を静かに見つめていた。
隣に立つシアンも、穏やかな笑みを浮かべている。
「ありがとう」
アズールは言った。
「ただし、焦って結論を出すつもりはない。記録を調べ、実際に学院で学ぶ生徒たちの声を聞き、何が正しくて何が問題なのかを確かめる。そのうえで、変えるべきものがあるのなら変える」
彼の言葉に、クラスメイトたちは頷いた。
「まずは、疑問を持つことから始めよう」
アズールは窓の向こうへ目を向けた。
その先には、ルナ、ステラ、そしてテッラの生徒たちが学ぶ校舎がある。
彼らの声は、まだここまでは届いていない。
けれど、少なくともこの教室では、何かが変わり始めていた。
* * *
翌日。
グランヴェル魔法学院、ルナ棟。
「……なあ、今の話、聞いたか?」
「聞いた聞いた! 本当なのか?」
「本当だって! さっき廊下で見た奴がいるんだよ!」
「何を?」
「学院首席の帝王が、ルナ棟にいるんだって!」
「はああああっ!?」
廊下に響き渡った声に、周囲の生徒たちが一斉に振り返った。
学院首席。
アストラクラスの頂点に立ち、グランヴェルの帝王とまで呼ばれる男。
アズール・カリュケ・ペルディータ。
彼が、なぜルナ棟にいるのか。
その疑問が生徒たちの間を駆け巡る。
そして当の本人はというと――。
「ふむ。こちらがルナクラスの教室か」
廊下を悠然と歩いていた。
周囲から向けられる視線も、ひそひそと交わされる噂話も、まるで気にしていない。
すれ違う生徒たちが慌てて道を空けると、アズールは軽く会釈を返しながら進んでいく。
その姿は、まるで学院の見回りにでも来たかのようだった。
もっとも、彼が姿を現しただけで、ルナ棟はちょっとした騒ぎになっていたのだが。
「な、なあ……本当にアズール様なのか?」
「銀髪に瑠璃色の瞳、あの制服……間違いないだろ!」
「なんでルナ棟に!?」
「知らねえよ! 俺たちが聞きたいわ!」
そんな騒ぎは、当然ながらルナクラスの教室にも届いていた。
「タイリアン! 大変だ!」
友人の一人が、教室の扉を勢いよく開けた。
「なんだよ、騒々しいな」
「それどころじゃない! 学院首席の帝王がルナ棟にいる!」
「……は?」
タイリアンは手にしていた教材を机に置いた。
「誰が?」
「アズール様だよ! ペルディータ公子が、今、廊下を歩いてるんだ!」
「なんで!?」
「だから知らねえって!」
タイリアンは椅子から勢いよく立ち上がった。
まさか。
いや、あのアズールなら、何をしても不思議ではない気がする。
しかし、だからといって、何の前触れもなくルナ棟に現れるものだろうか。
「ちょ、ちょっと待て。なんでアズールがルナ棟に来てるんだよ!」
タイリアンは慌てて教室を飛び出した。
そして、廊下に出た、その瞬間。
「タイリアン」
聞き慣れた声がした。
顔を上げる。
そこには、噂の中心人物がいた。
銀色の髪を揺らし、涼しい顔で立っているアズール。
その姿を見たタイリアンは、思わず足を止めた。
「……アズール?」
「慌てるなんて、ルナクラス首席の自覚がないぞ」
アズールは苦笑した。
「なっ……!」
タイリアンは言葉に詰まった。
「いやいやいや! お前が突然ルナ棟に来たら、誰だって驚くだろ!? しかも、なんの連絡もなしに!」
「そうか? 廊下を歩いているだけだが」
「それが問題なんだよ!」
思わず声を張り上げたタイリアンに、周囲の生徒たちがくすくすと笑った。
アズールは肩をすくめる。
「騒ぎにするつもりはなかったんだがな」
「だったら、せめて事前に言え!」
「それでは意味がないだろう?」
「何の意味だよ!?」
タイリアンは額を押さえた。
相変わらずだ。
アズールは、自分がどれだけ目立つ存在なのかを、わかっているのかいないのか。
いや、たぶん、わかっていて気にしていないのだろう。
「……で?」
タイリアンは、ようやく呼吸を整えた。
「わざわざルナ棟まで来たんだ。何か用があるんだろ?」
「ああ」
アズールは、ようやく本題に入った。
「お前に聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「学院の制度についてだ」
タイリアンの表情が変わった。
アズールは、周囲の生徒たちに聞こえない程度に声を落とした。
「この学院のクラス分けや、クラスによる待遇の違いについて、疑問を持ったことはないか?」
「……ある」
タイリアンは即答した。
「合同授業でペルシモンの魔法を見てから、ずっと気になってたんだ。あいつの火力なら、制御や精度に課題があっても、ステラかルナには入れるんじゃないかって。それに、そもそも何を基準にクラスを分けているのかも、よくわからない」
「俺も同じ疑問を抱いている」
アズールは頷いた。
「だから、調べたいと思っている」
「調べるって……まさか」
「学院の制度を根本から見直す必要があると考えている」
タイリアンは目を見開いた。
アズールは、冗談を言っている様子ではなかった。
「タイリアン。ルナクラスに、制度や特権に疑問を持っている生徒はいるか?」
「……いると思う。少なくとも、俺の周りには何人かいる」
「ならば、本人の意思を確かめたうえで、生徒会室に連れてきてほしい」
アズールは、真剣な眼差しで告げた。
「ただし、このことは誰にも言うな。改革の計画も、協力者を探していることも、まだ秘密だ」
「……わかった」
タイリアンの顔から、先ほどまでの慌てた様子が消えた。
「確かなことがわからないうちに話を広めるつもりはない。協力しようとする生徒たちを、余計な圧力にさらすわけにもいかないからな」
「そういうことか」
タイリアンは頷いた。
「わかった。心当たりのある奴に、慎重に声をかけてみる」
「頼んだぞ」
アズールは満足そうに頷いた。
タイリアンは一度、周囲を見回した。
廊下には、まだこちらを気にしている生徒たちが何人もいる。
「……ところで、アズール」
「なんだ?」
「次からは、せめて事前に連絡してくれ」
「検討しておこう」
「絶対しないやつの返事だろ、それ!」
再び廊下に笑い声が広がった。
アズールは、ただ小さく笑うだけだった。
* * *
その日の放課後、生徒会室にはアズールとシアンの姿があった。
机の上には、学院のクラス分けに関する資料が並べられている。
入学時の評価記録。
各学年のクラス編成。
夏季休暇明けと年度末に行われるクラス再編の記録。
評価に関する規定。
二人は、それらを一つずつ確認していった。
「……記録そのものには、特に不審な点はないわね」
シアンが書類から顔を上げた。
「ああ。記載漏れもなければ、明らかな規定違反も見当たらない」
アズールも、手元の資料を見つめたまま答えた。
記録は整然としていた。
評価の結果も、クラスの再編も、必要な手続きを踏んで記録されている。
少なくとも、書類の上では何の問題もない。
「評価基準そのものに、問題があるのかしら?」
「可能性はある。だが、まだ断定できない」
アズールは資料を閉じた。
「そもそも、評価基準が適切に運用されていたとしても、クラスによって待遇に差をつけることまで正当化できるとは限らない」
「そうね。授業の難易度を変えることと、施設の利用や費用に差をつけることは、分けて考える必要があるわ」
「ああ」
アズールは椅子の背に身を預けた。
学院は、世界中から優秀な魔法師を集める場所として知られている。
能力に応じた教育を行い、生徒たちを成長させること。それがクラス分けの目的であるはずだった。
ならば、現在の制度は、その目的を本当に果たしているのだろうか。
記録が整っていることは、制度が正しいことの証明にはならない。
同時に、疑問があるというだけで、制度が誤っていると決めつけることもできない。
だからこそ、調べなければならない。
資料だけでは見えてこないものがあるのなら、実際にそこで学んでいる生徒たちの声を聞く必要がある。
「アズール」
シアンが静かに呼びかけた。
「あなたがやろうとしていることは、簡単ではないと思うわ」
「わかっている」
「それでも、進むのね?」
「ああ」
アズールは迷いなく答えた。
「この学院で学ぶ者が、クラスの違いだけで不当に扱われているのだとしたら、見過ごすわけにはいかない」
彼は机の上の資料に目を落とした。
「そして、もし制度に問題がないというのなら、それも確かめたうえで判断すればいい」
シアンは、ふっと微笑んだ。
「ええ。私も協力するわ」
二人は再び資料へと向き直った。
まだ、わからないことばかりだった。
制度のどこに問題があるのか。
なぜ、クラスによって待遇に差が設けられているのか。
そして、その仕組みを変えるためには何が必要なのか。
答えは、まだ見つかっていない。
けれど、二人だけではなかった。
アストラクラスでは、生徒たちが自分たちの特権に疑問を抱き始めていた。
ルナクラスでは、タイリアンが新たな協力者を探そうとしている。
テッラクラスでは、ペルシモンが自らの弱点と向き合い、力を磨こうとしていた。
それぞれが違う場所にいて、違う立場にいて、違う思いを抱いている。
それでも、彼らは少しずつ、自分たちの目で世界を見つめ始めていた。
誰かが決めたことだからと、疑いもなく受け入れるのではなく。
自分たちの頭で考え、疑問を抱き、聲を上げる。
その小さな聲は、まだ学院全体を揺るがすほど大きくはない。
けれど、確かに響き始めていた。
無数の星が、夜空に一つずつ灯るように。
やがてそれらの光が集まるとき、世界はきっと、今とは違う姿を見せるだろう。
そのための一歩が、今、踏み出されたのだった。




