第三楽章-隔たれた過去
ペルシモンの背中が遠ざかっていく。
アズールとシアンは、その姿をしばらく見つめていた。
幼い頃は、三人で過ごすことが当たり前だった。
家柄も、身分も、クラスも関係なかった。
それなのに。
「……戻りましょう、アズール」
シアンの声に、アズールはゆっくりと視線を戻した。
「ああ」
二人は踵を返し、グランヴェル魔法学院高等舎の建物へと向かった。
背後では、テッラの生徒たちがペルシモンの周りに集まり始めていた。
*
「おい、ペル! ちょっと待てよ!」
声をかけたのは、同じテッラに所属する少年だった。
ペルシモンは足を止めなかった。
「さっきの二人、知り合いなのか?」
「知り合いっていうか、ずいぶん親しそうだったよな」
「ペルディータ公子とラオメデイア公女だろ? あの二人とどういう関係なんだよ!」
「もしかして、昔からの友達なのか?」
驚き、疑問、好奇心。
口々に飛び交う声には、純粋に事情を知りたいという気持ちがあった。
なにしろ、アズール・カリュケ・ペルディータとシアン・ロザリンド・ラオメデイアは、学院でも知らぬ者のいない存在だ。
その二人が、最下位クラスの生徒に親しげに話しかけた。
しかも、相手は彼らを拒絶したのである。
気にならないはずがなかった。
「なあ、ペル。答えてくれよ」
別の生徒が、遠慮がちに尋ねる。
「……もう関係ないから」
ペルシモンは足を止め、短く答えた。
「え?」
「あいつらとは、もう関係ないから」
それだけだった。
声を荒らげたわけでもない。
相手を睨みつけたわけでもない。
ただ、それ以上は踏み込ませないという意思が、言葉の端々に滲んでいた。
周囲の生徒たちは顔を見合わせた。
もう一度尋ねようと口を開きかけた者もいたが、結局、誰も言葉を続けられなかった。
ペルシモンは再び歩き始める。
黒一色の制服が、他の生徒たちの間に紛れていく。
彼は振り返らなかった。
振り返ることなど、できなかった。
*
一方、アストラの教室では、二人の帰りを待ち構えていたかのように、生徒たちが窓際へ集まっていた。
アズールとシアンが教室へ戻ると、あちこちから声が飛んでくる。
「ペルディータ公子、先ほどの方とはお知り合いなのですか?」
「ラオメデイア公女も、ずいぶん親しげに話していらっしゃいましたね」
「いったい、どのようなご関係なのですか?」
興味津々といった様子の生徒たち。
しかし、その中には、純粋な好奇心とは違う色を浮かべた者もいた。
「ですが、あの方はテッラの生徒でしょう?」
「なぜ、そこまで親しくなさるのですか?」
「公爵家の方々が、わざわざ最下位クラスの生徒に声をかける必要など……」
「幼馴染です」
シアンが、静かに答えた。
ざわめきが一瞬、止まる。
「……幼馴染?」
「ええ。幼い頃からの付き合いですわ」
シアンは淀みなく答えた。
まるで、それ以上説明する必要などないとでもいうように。
アズールもまた、当然のことを述べるように口を開いた。
「俺たちは三人とも、昔からの付き合いだ」
「三人、とおっしゃいますと……?」
「ペルも含めて、ということだ」
アズールの答えに、生徒たちは再び顔を見合わせた。
公爵家の子息と令嬢。
そして、男爵家の子息。
家柄も、立場も、学院での評価も異なる三人が、幼い頃から親しくしていたという。
彼らにとって、それは意外な事実だった。
「そうだったのですね……」
一人の生徒が納得したように頷いた。
だが、別の生徒は、なおも腑に落ちない様子だった。
「しかし、幼馴染であったとしても……今は所属するクラスが違います。しかも、彼はテッラです」
その言葉に、シアンの眉がわずかに動いた。
「それが、何か問題ですの?」
声音は穏やかだった。
けれど、その問いには、相手の言葉をそのまま受け入れるつもりはないという意志が込められていた。
「い、いえ……問題というわけではありません。ただ、アストラとテッラでは、実力にも大きな差があるとされていますから」
「そうだな」
アズールは相手の言葉を遮らず、ひとまず頷いた。
「学院は、そう評価している」
その返答に、生徒は少しだけ安心したような顔をした。
しかし、続く言葉は予想していなかったものだった。
「だが、ペルシモンの火力は十分に優れている。少なくとも、俺はそう思っている」
教室が静まり返った。
「ペルディータ公子が、そうおっしゃるのですか?」
「事実を述べているだけだ」
アズールは淡々と答えた。
「もちろん、火力だけで魔法使いの能力が決まるわけではない。他の精度や能力も評価に含まれる。それは理解している」
アズールは、窓の外へと視線を向けた。
先ほどまでペルシモンがいた場所には、もう誰の姿もない。
「だが、あいつがテッラにいることには、疑問が残る」
シアンも、小さく頷いた。
「わたくしも同じですわ。彼には優れたところがあります。それを知っているからこそ、なぜあのクラスにいるのか、不思議に思うのです」
「しかし、学院の評価には、さまざまな基準があるはずです」
別の生徒が口を挟んだ。
「個々の能力だけでなく、総合的な評価によってクラスが決まるのでしょう?」
「そのとおりだ」
アズールは否定しなかった。
「だからこそ、知りたいんだ。何を基準に、どのように評価しているのか」
彼の声には、怒りも、感情的な非難もなかった。
ただ、疑問があった。
自分がまだ知らない学院の仕組み。
その仕組みによって、幼馴染が最下位クラスに振り分けられているという事実。
それを、彼は簡単に受け入れることができなかった。
「アズール……」
シアンが、そっと彼の名を呼んだ。
彼女もまた、同じことを考えていた。
ペルシモンには、確かに得意なことと不得意なことがある。
火力は優れていても、それ以外の能力では、アストラやステラの生徒に及ばない部分があるのかもしれない。
けれど、それだけで、彼のすべてが決まるのだろうか。
そして、彼の家柄が評価に影響しているのだとしたら。
学院の評価は、本当に公平なのだろうか。
二人には、まだ答えが分からなかった。
「……それにしても」
シアンが、ふと表情を曇らせた。
「ペルは、どうしてわたくしたちをあんなふうに拒絶したのでしょう」
その問いに、アズールは答えなかった。
彼にも、分からなかったからだ。
幼い頃から一緒に過ごしてきた。
家柄も身分も違うことなど、三人とも承知していたはずだった。
それなのに、今日のペルシモンは、まるで二人との間に越えられない壁があるかのように振る舞った。
――俺に話しかけるな。お前らの品位が落ちる。
あの言葉が、アズールの脳裏に蘇る。
「……あいつがそう思っているのなら、なおさら話をしなければならないな」
アズールは、静かに呟いた。
シアンは彼の横顔を見つめ、やがて小さく頷いた。
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」
その会話を聞いていたクラスメイトたちは、二人の顔を交互に見た。
彼らにとって、テッラの生徒は、アストラとは異なる世界に属する者たちだった。
しかし、目の前にいる二人は、その境界を当然のものとして受け入れてはいなかった。
*
その頃、テッラの教室へ戻ったペルシモンは、一人、窓際の席に座っていた。
窓の向こうには、グランヴェル魔法学院の白亜の校舎が見える。
その一角には、アストラの教室があるはずだった。
ペルシモンは、そちらを見なかった。
見てしまえば、思い出してしまうから。
幼い頃の三人の時間を。
何も考えずに笑い合えた、あの日々を。
今では、もう戻れないと思っている時間を。
彼は目を伏せた。
アズールとシアンは、何も変わっていない。
きっと、これからも変わらないのだろう。
変わってしまったのは、自分のほうだ。
彼らと自分の間には、越えられない差がある。
彼らは公爵家の人間で、自分は男爵家の人間だ。
彼らはアストラにいて、自分はテッラにいる。
そんな自分が、いつまでも二人の隣にいていいはずがない。
もし、自分と親しくしていることが知られれば、二人の評判に傷がつくかもしれない。
それだけは、避けなければならなかった。
だから、もう関わらない。
そう決めたのだから。
ペルシモンは、窓の外から目をそらした。
白い校舎と、黒い制服。
同じ学院にいながら、彼らの世界は、あまりにも遠かった。
そして、その隔たりがどれほど深いものなのかを、まだ誰も知らなかった。




