勘違いする男
帰宅したナカジマの部屋は、底冷えするように暗かった。
点け放しの玄関灯だけが、主の帰還をぼんやりと迎える。ドアを閉める金属音が、無機質な空間に小さく反響した。
靴を脱ぎ捨て、鍵を棚に放り出す。そのまま吸い寄せられるようにソファへ沈み込んだ。
自然とポケットからスマホを取り出し、暗闇の中で画面を点す。
メッセージアプリの最上段には、「ユキ」の名前。
トーク画面を開く。
『何してんの』
その下に刻まれた「既読」の二文字。
それきり、画面は動くことはなかった。
ナカジマはわずかに眉を寄せ、スマホをテーブルに置いた。背もたれに体を預け、数秒。
こらえきれずに再び端末を手に取る。
変わらない。既読。返信なし。
ナカジマの口端から、乾いた笑いが漏れた。
「……は? 駆け引きのつもりかよ」
独り言が、静かな天井に消える。
女がよく使う手だ。あえて既読をつけて放置し、男の焦りを誘う。そんな手垢のついたテクニックを弄するタイプも珍しくない。
だが、脳裏をよぎるのはあのカフェの光景だ。
メニューをめくる手つきの危うさ、林檎のように色づいた頬。
「……いや」
ナカジマは首を傾げる。あの無防備な様子を見る限り、そんな計算高い女には見えなかった。むしろ、何も考えていない空っぽな可愛らしさがあったはずだ。
再び、既読スルーの画面を睨む。
「……機嫌悪いアピールか?」
誰に問うでもなく呟く。返る言葉はない。
苛立ちが、舌打ちとなって零れた。
「……なんでだよ」
あの距離感、あの赤らんだ顔。脈がないはずがない。
胸の奥が、ざらつく。
逃げるようにアプリを閉じ、SNSのタイムラインを無機質にスクロールした。
流れていくライブ動画やカフェの写真。その中で、指が止まる。
ユキのアイコンに、更新を知らせるリングが灯っていた。
タップすると、投稿はたったの一行。
『マジでどうしたらいいかわかんない』
ナカジマは数秒、その文字を凝視した。
それから、溜め込んでいた毒を吐き出すように、ふっと息を抜く。
「あー……なるほどね」
ソファに深く背中を預ける。
さっきの既読スルー。そして、直後のこの投稿。
ナカジマの中で、綺麗にパズルのピースが嵌った。
「そういうことか」
スマホを指先で軽く弄ぶ。
『マジでどうしたらいいかわかんない』
もう一度読み返し、口元がゆっくりと、傲慢な弧を描いた。
「……俺のことだろ」
胸の奥を騒がせていたざらつきが、嘘のように消えていく。
既読のまま放置された屈辱は、優越感へと書き換えられた。
(悩んでるなら、話は別だ)
「はは、可愛いとこあるじゃん」
天井を見上げる彼の瞳には、もう苛立ちの影はない。
自分の存在に振り回され、独り頭を抱えている女。その姿を想像するのは、最高のスパイスだった。
ナカジマは余裕たっぷりにソファへ体を沈める。
画面の中で、ユキの思い詰めたタイムラインが虚しく光っている。
「……そりゃ、悩むよな」
それが自分への想いだと、微塵も疑わないまま。




