31 忘れない記憶
山王が初めてその少年に出会ったのは、砂礫国の間諜となってすぐのことだった。山王は気の向くままにいつの頃から生きている。姿なき魔族としての性か、同じ姿でいると飽きてくるのだ。
元々の姿や名前を忘れてしまってから、よりその性分は強くなっていったようにも思う。その強さゆえに魔王軍四天王の一人ということにはなっているが、魔王カラはなにも命令など与えない。そもそも軍などというものも血の気の多い魔族の者が勝手に名称をつけただけで、何処かへ侵攻したことなどない。
カラはふらふらとあちこちを彷徨う山王を、いつも自由に放置した。それに、はるか昔のもうおぼろげになった記憶の中では、魔王カラは魔王ではなかったような気もするのだ。そんな訳で、気の向くままに流浪の旅をしている。
山王が山王としての姿をとることになったのは、砂礫国にやってきた時、異常を感じたためだ。その国の地は不穏な気配に満ちていた。かつて、土地神に祟られた地を訪れたことがあるが、そのような雰囲気だったのだ。
山王は、それから、純粋な興味によって砂礫国に山王の姿となり潜り込んだ。砂礫国は獣人の存在を警戒もしていたため、山王は獣人たちの情報を掴む、間諜となった。魔族の力を使えば、大抵のことは容易い。
ある日、不穏な気配がなんなのか、王城の敷地の奥まった場所を探っていた時だった。山王は王城から少し離れた裏手にある広大な敷地に、結界が張られていることに気づく。なんとか中に忍び込めないか、解析を始める。すると、唐突に声が掛かったのだった。
「その中には入らないほうが良いよ」
黒髪黒目の可愛らしい顔立ち、まだ幼いといえる年頃の少年が山王を見上げて声を掛けていた。質のいい絹のシャツにズボン、仕立てのいい外套を羽織っており、身分が高そうだ。山王は気配なく現れた彼に驚いた。
「なんでや?」
「そこには俺の結界が張ってある。その場所は実験場だった場所なんだよ。勇者を創ろうとしたり、神のごとく力のある、神獣と呼ばれる存在を操ろうとしたりしていた、呪われた場所だ」
山王は、恐ろしい国家機密を暴露する少年に驚く。子どもの妄想というには、結界の中から伝わってくるおぞましい気配がそれを真実だと感じさせる。
「なんでや? なんでそんなこと知っとる?」
「ここは俺がぶっ潰したから」
あっけらかんと少年は言ってのける。
「なんやって?」
「神獣の件は、はるか昔の仕業だったようだけど、勇者を創ろうとした仕業は俺が生きている頃にもやっていたんだ」
「ぶっ潰したって……」
「俺が魔術をぶっ放して、吹っ飛ばしたんだ」
とんでもないことを言う少年をまじまじと山王は見つめた。少年は年齢に見合わない哀しげな笑顔を浮かべて見せる。
「けれど、この地は怨念や祟りで穢れを受けていた。俺では浄化できなくて封印しているんだ」
「なんや……なんで、それを俺に?」
「このままだとこの地はゆっくりと衰退し、人々は病み、国は滅びる。俺はどうにかする方法を探っているけれどいまだ見つけられていない。あなたが、結界を探っていたので、一縷の望みで声を掛けたんだ」
「俺は普通の獣人やで」
少年はその山王の言葉にいたずらっぽく目を輝かせ、にこりと笑った。
「あなたからは不思議な気配がする。結界をあなたが触ったときに、とても強い力を持っているとわかったよ。俺を助けてくれないかな?」
「あかん。俺にはそこまでの力はないわ。ごめんやで。そやけど、こうなったんはこの国の自業自得やろ? お前ほどの力があるんなら、この国を出て、自分の国を興してもやっていけるんちゃう?」
「俺の先祖たちに責任のあることなんだ。俺の家族にも。俺の家族はみんな、もう、だれかを踏みにじることはしないって誓ってくれた。だから、俺はみんなを置いて逃げたりできないんだよ」
少年がそう言って、ふっと小さく息を吐くと手のひらを結界に押しあてた。魔力が供給され、中から漏れ出る瘴気のような気配が薄くなる。
「あなたとここで会ったのもなにかの縁だと思うよね? もし、俺が死んだりして、ここの結界がなくなってしまったら、俺の代わりに結界を張ってくれないかな?」
「ああ!? 無理や。俺にそんな力はあらへんで」
縛られることが嫌で、山王はとっさにそう言った。実際は結界を張ることはできるが、山王は結界が得意ではないので、わずかに時を稼ぐくらいのものだろう。
「……そう。じゃあ、もし強い力を持つ者と出会ったら、助けを求めてくれないかな? 俺もあらゆる手段を探して自力でなんとかすべく頑張るから」
なりふり構わずに、こんなにも怪しい山王に助けを求めてくる幼い少年に少し絆された。山王は戸惑いながら言う。
「わかった。もし、結界がなくなって、お前がどうもでけへん時が来たら、俺の知っとるやつの中で一番強いのに頼んでやるわ。けど、なんかしてくれるかはわからへんで」
山王の脳裏に魔王カラの姿がよぎる。彼は極端に表に出てこず、なにかに干渉することはなかった。だが、山王が助けを求めたら、彼はどんなふうに答えるのか考えると単純に興味がわいた。
「ありがとう!! ほんとうはこの国の者たちでなんとかすべきことなんだ! 十分だよ。俺はずっと選ばれた存在で、特別な物語の主人公だと思っていたんだ。けれど、この地を見て思い知った。俺は大切な国や人たちも守ることもできないほどなんだって……」
「あほ言うな! お前は何歳やねん! 鼻水垂れ流しながら、周りに助けを求めていい年頃やろ!」
少年は、少し複雑な表情を浮かべた。
「俺には前世というか別の世界で生きていた記憶があるんだ。だから、俺が強くて誰かを助けられるのは当然なんだよ」
「ちゃうやろ?」
「うん?」
「今のお前は、お前やろ。色々頑張って、とんでもない壁にぶつかって怯えて、もがいとるただのガキや。あんまり、自分を買い被りすぎんな。子どもは周りを頼ってええ。そんな記憶なんかに縛られる必要はあらへん」
山王はそう言いながら、ふと自分の中でなにかが変わった気がした。このまま、姿を変えて消えて失せて、二度とこの少年に関わらないこともできる。だが、山王はそうしないだろう自分に気づいていた。
「名前は?」
「うん?」
「お前の名前は何ていうんや? 長い付き合いになりそうやからな。俺の名前は山王や」
「……ありがとう。俺の名前は、楽太だよ」




