第八話 憧れの人(2)
同日、夕刻。『セイレーンの館』にて。
橙色のランプに照らされた店内で、九朗はカウンターに突っ伏しながら喚いていた。
「遠野さんの言う通りにしたら、なんだか良くない勘違いをされた気がするんだけど」
館の主が趣味で設置したバーカウンターで、学生諸君に提供されるのは酒ではない。
美味しい手料理と、お悩み相談だ。
「今日はずいぶん荒れてるねぇ」
「おかげさまで」
ハヤシライスを二皿、九朗と隣に座った京矢の前に置いたのは、この館の主である遠野である。
じっくりと煮込まれたコク深いソースの香りが食欲をそそる一品だ。
喚いている九朗を横目に、京矢は早速スプーンを手に食べ始めている。
「九朗くんは見目が良いからね。それもあって誤解されたんじゃないかな」
「褒めてるのか貶してるのか分からないんだけど!」
「ははっ、怒ってる怒ってる。じゃ、次は服装も変えてみようよ。制服じゃなくて、もっと今どきな服装でさ」
「ねぇ、それって僕を軽薄な男に見えるようにするつもりじゃないかな!?」
優美な顔立ちをした遠野だが、九朗をからかうのが好きで、よくこうして彼なりの可愛がりをしていた。
九朗も九朗で弄ばれるのが分かっていながらも、何かと遠野を頼ってしまう。
なぜなら彼は九朗にとって(外見と博識さだけは)将来こうなりたいという理想像だからだ。
「さっきから貴様はどうしたんだ。昼間のあの女子は一体なんだと言う」
「恋煩いってやつだよ。あ、京矢くんおかわりならまだたくさんあるからね」
「玉ねぎ多めで」
京矢は空になった皿を即座に差し出した。
ちまちまと食べ進めている九朗などお構い無しだ。
「肉じゃないのかよ」
「バターでよく炒められてるから甘みがあって美味いんだ」
「さすが。よく分かってるね」
顔に似合わず健啖家な京矢のことも遠野は気に入っていて、新メニューの試作などにも京矢を呼んだりしている。
九朗は嬉しそうに舌鼓を打つ京矢から視線を逸らすと、店内の至る所に飾られた怪しい品の数々に目を向ける。
大きな天然石に壁には星座盤、華やかなディスクオルゴールの横には、宇宙から来たという怪異の絵画が異彩を放っている。
美しい品々が並んでいるように見えて実に混沌としている店内は、九朗の悩ましい心まで忘れさせてくれそうで、いつにも増して居心地が良かった。
「今夜はここに泊まるから。そんで、朝まで遠野さんと作戦会議する」
「おやおや、僕と青さんの夫婦の時間を奪おうと。ならば仕方ない。真面目に答えてあげようか」
コホン、とわざとらしく遠野は咳払いをした。
青さん、というのは彼の妻のことだ。
「まずね、デート先に僕らの家を選ぶのはナンセンスだよ、九朗くん。お洒落な喫茶店でプディングでも奢ってあげなさい。路面電車で遠出するでも良いだろう。そうそう、ついでに最近できた映画館にでも行きたまえ」
「遠野さんは青さんといつもそうやってデートしてるんだ?」
「僕らのデートを知りたいって? 君にはまだ早いよ、僕と青さんのディープな世界は」
「なんだそれ」
最後の一言はともかく、遠野の提案は至極真っ当な意見だった。
「デートかぁ……千里さん、来てくれるかなぁ」
素直にデートに誘っても、喜んで来てくれるような子ではない。
むしろ、そうではないからこそ、ここまで九朗の心を掻き乱しているのだ。
「そうだ!」
思い付いたのは京矢の顔を見てからだ。
「京矢、君も一緒に来るんだ」
「はぁ?」
「千里さんには仲良しのお姉さんがいるから、彼女も誘って四人で出かけるんだよ」
「正気か?」
「千里さんと日程を決めてくるから予定空けといてくれ!」
「貴様は本当に……」
京矢は唖然としつつも断ることはしなかった。
二歳ばかり年上の友人は、堅物に見えて意外と付き合いが良いのだ。
そうと決まれば手帳を取り出し、あれこれと九朗は考え出す。
いつもの調子をすっかり取り戻した様子に、肩を竦めつつも京矢もそれに付き合っていた。
カウンターの向こうでその様子を眺めつつ、遠野はくすくす笑う。
「……一目見て守りたいと思った、ねぇ。でもその心って、ホントかなぁ?」
遠野はカウンターの隅にある水晶玉に視線をやる。
覗き込んだところで、彼の妻のように不思議なものが見えることは無かった。




