第七話 憧れの人(1)
帰宅するとなにやら家が騒がしく、慌ただしい様子の有紗が出迎えてくれた。
「千里ちゃん、おかえりなさい。お友達とは楽しかった?」
「ただいま……って、どうしたのよ」
有紗も帰ってきたばかりなのか忙しそうで、布巾を持ったままだった。
おまけに前掛けも身につけているあたり、また今日も家事をさせられていたのだろう。
「それが、お父様のお知り合いの方々がいらしているのよ。急だったから準備ができていなくて、手が足りないの。さっきもお買い物に行ってきたばかりで……」
「はぁ? それで姉さんがわざわざ買い物に走らされてるわけ?」
千里が苛立ったのにも気づかない様子で、有紗は話を続けようとする。
「麻弥さんも人手が足りないって困ってたのよ。私に出来ることがあるのならお手伝いしなくちゃ」
麻弥は朝霧家に仕える女中だ。有紗の心優しさに目をつけ、困っているふりをして自分の仕事を押し付けてばかりいるずる賢い性格をしている。
「いつもそう言って良いように扱われてるのはどこの誰かしら?」
「千里ちゃんったら、そうじゃないのよ。私が好きでやっていることだもの」
「人が足りないのだって、母さんが難癖つけて何人も辞めさせたせいじゃない! 姉さんのせいじゃないのに、いい子面してこき使われてるだけだってらいい加減気づいたらどうなの」
花嫁修業と言えば聞こえはいいが、まるで使用人同然に扱うのは度が過ぎている。
母の機嫌次第ですぐ女中が解雇されるのも、それを知っていながら気にかけない当主も、誰も悪くないと有紗は言うつもりなのだろうか。
母に取り入って有紗に意地悪く当たる女中にさえ愛想をふりまいて、有紗がやる必要のない仕事まで押し付けられても嫌味のひとつもこぼさない。
裏で自分がどんなひどい言われ様をされているのか、今すぐここで洗いざらい吐いてやりたい気分だった。
「まあ千里ちゃん、そんなことを言ってはダメよ。喜久子さんもそんなつもりじゃなかったのよ。ただちょっと折り合いが悪かっただけで……」
「それで? 自分が日陰に押しやられてるのも折り合いが悪いだけだって? おめでたいこと言わないでちょうだい」
「困った時は助け合うものよ。これまでだってずっとそうしてきたわ」
「姉さんがしてるのは助け合いじゃなくて自己犠牲よ。馬鹿馬鹿しい、あんなの自分が悪いんだから困らせておけばいいじゃない」
第一、人手が足りないと言う割には千里には手伝いを強要しない時点でおかしいことに気づけるはずだ。
誰も彼も、わがままで自己主張の強い千里に関わって面倒事を起こすのなんてごめんだと言わんばかり。
有紗への嫌がらせの仕返しのつもりで、千里自身が料理へ文句を言ったり洗濯のやり直しを強要していることも理由だが、千里と有紗では態度が違いすぎる。
だが千里がため息をついた、その時だ。
「おや、君たちが姉妹喧嘩なんて珍しいね」
背後から近づいてきた青年は、当主の尚政の知人である早瀬亨だった。
「早瀬さん! もういらしていたとは、すみません……!」
「いいんだよ。急に押しかけたのは私たちだから、気にしないで」
柔和な笑みに落ち着いた物腰、上品だが格式高さは感じさせずどこか親しみやすさを感じさせる。
まだ年若いが博識で話術に長けていることから、尚政も目をかけているらしく、何度も朝霧家に招かれていた。
「は、早瀬さん。ごきげんよう」
千里はサッと前髪を直しつつ挨拶をするも、頬の熱さは誤魔化せない。
「今日はずいぶんご機嫌斜めみたいだね。千里ちゃんにしては珍しい。何か悩みでも?」
「別に……そんなことは……」
何を隠そう、この青年、早瀬亨は千里の憧れの人だからだ。
彼の前ではいつものやかましく動く口もすっかり大人しくなってしまい、もじもじと幼子のように恥ずかしがってしまう。
賢くて優しくて、おまけに容姿も淡麗ときた。
その上千里や有紗に気さくに話しかけて可愛がってくれる。
言わば、千里にとって亨は、素敵な年上のお兄さん、という存在なのだ。
「ふふ、どうしたのかな?」
「あらあら、まあまあ」
恥ずかしがる千里を見て、有紗も顔をほころばせている。
「ね、時間があるのなら少し話し相手になってくれないかな」
「え、でも……」
「尚政さんも小野寺さんも選挙の話に熱中していて退屈してたんだ。私と遊んでくれないかい?」
「早瀬さんが、そう仰るのなら……」
千里が悩みを抱えていると思い、わざとそう言ってくれたのだろう。
「後でお茶とお菓子をお持ちしますね」
「ありがとう。有紗ちゃんも少し休んでいったらどうだい?」
「ええ、落ち着いたらそうさせてもらいます」
有紗は、千里の邪魔はしないとばかりに足早に去っていく。
縁側に移動して座布団を運び、二人並んで座る。
千里が朝霧家に来た頃から、亨は何かと千里と有紗を気にかけてくれ、昔からよくこうして二人でお喋りをしていた。
きっと今日は千里の悩みを聞くまで終わるつもりは無いのだろう。
だが、素直に未来予知の話はできない。
千里は少し迷ってから、世間話の体で切り出すことにした。
「早瀬さんは……もし、未来が分かったとしたらどうしますか?」
「未来?」
唐突な言葉に、亨は首を傾げる。
それから、少しの間考えていた。
「うーん、どうだろうなぁ。もし未来が分かっても、私はあまり気にしないかもしれない」
「気にしない?」
亨は頷く。
「人生なんて先のことが分からないから楽しいのに、種明かしをされてしまったら興ざめしてしまうだろう? だから、もし未来が分かったとしても何もしないよ。私は私の思うように生きるだけ、かな」
「なるほど……」
未来を変えようと躍起になっている千里とは違う意見だった。
これが大人の余裕なのだろうか、などと考えていれば。
「ふふ、学校で世界滅亡の予言が流行っているのかい?」
「ちっ、ちが……えと、その……」
まさか未来を見たなんて言えるはずがなく、誤魔化そうとするも、亨は千里が流行りのオカルト話を怖がっていると勘違いしたらしい。
「怖がらなくても大丈夫だよ。もし世界が滅亡しても、その時は私が最後まで千里ちゃんを守ってあげる」
いつもなら喜ぶはずであろう言葉だが、千里は素直に頷けなかった。
(なんで今、よりによって九朗さんのことを……)
守る、と彼も言ってくれた。
九朗と亨に対するこの感情の違いは、一体何なのだろうか。
千里にはまだ、よく分からなかった。




