第五話 本当の未来(2)
今日は学校が終わったらお友達と出かけるから。
有紗にそう言えば、嬉しそうににこにこと暗くなる前には帰るのよと言ってくれた。
なぜあなたが私の外出で喜ぶのかと不満気な顔をしてやったものの、有紗がそれに気づく様子はなかった。
「ええと、次の角を曲がって一本裏道に入ったところで……」
大通りは賑わっているが、一本裏道に入れば途端に人通りは減り落ち着いた雰囲気になる。
目的の店は赤茶色の壁をした、洋風の建物だった。
軒先にはランプが吊り下げられ、窓の向こうはレースカーテンで覆われている。
店内の灯りが薄らと見えるということは、営業中であると思っていいのだろう。
瀟洒な出で立ちに少々気圧されそうになるも、意をけしてドアを開けようとする。
その時だった。
「――――――いいか九朗。よく聞け」
二人の男性が会話をしながらこちらへ歩いてくる。
その名前に、千里は覚えがあった。
そして、声も……夢で聞いたものより、ずっと威勢の良い声だが。
「貴様、いい加減に浪費癖をやめたまえ。よく分からん外国文学を取り寄せるために今回も俺に奢らせて、恥ずかしくないのか」
「ないね。さっきのは花札で負けた方が奢るっていう勝負だったじゃないか。たかってるわけじゃない。大体君は弱すぎて相手にならないよ」
「今日のはまぐれだ。それに、俺の腕前はともかく近頃本を買いすぎだと思うぞ。床が抜けたらどうする」
「そしたら一階に引っ越すだけだね」
軽口を叩き合いながら、青年二人は近づいてくる。
ずいぶんと親密そうな様子だった。
今朝の夢のおかげでどうにも気まずくて、千里は思わずこの場を離れようとする。
が、既に遅かったようだ。
「あれっ、お嬢さんじゃないか!」
店の前で右往左往していた千里に気づいた九朗が、こちらへ駆け寄ってくる。
「……こんにちは」
九朗の隣にいたのは、夢で見たのとは少し外見は違うが、間違いなく佐倉京矢その人だった。
「知り合いか?」
なんと答えるべきか千里が悩むより先に、九朗がさらりと話す。
「そう。色々あって知り合ったんだけど、倶楽部に興味があるみたいで、一度見に来ないかと誘ったんだ。僕と同じような趣味の人だよ」
「なに?」
当たり障りない回答なのに、途端に京矢は眉間に皺を寄せて九朗に詰め寄る。
「九朗、馬鹿を言え。どうやって騙したんだ。いいとこのお嬢さんがお前と同じ趣味なわけが無いだろう」
「待て待て、誤解だ。嘘じゃないって。僕が女遊びなんかするわけないって君も知ってるだろうに。女学生だってオカルトに興じることぐらいあるだろ」
「……それは、確かにそうだが……」
京矢は疑っているようだ。
見るからに世間知らずそうな千里と九朗の接点がどこにあるのかと疑っているのが、思い切り顔に出ている。
ただ、九朗との出会いは偶然のもので、未来予知のことなどはまだ京矢には伝えられない。
千里は思い切って九朗に乗っかって、怪談好きの学生になりきることにした。
「初めまして、朝霧千里と申します。園村さん……九朗さんとは同じ趣味を持つお仲間ですの。九朗さんのお友達ですか?」
あえて親しい間柄だと主張するかのように、名前で呼んでみせる。
失礼だったかもしれないが、京矢はようやく納得してくれたようで、笑顔を見せてくれた。
「佐倉京矢という。なに、九朗とはただの隣人だ。君も今日はここの倶楽部で語り合いを?」
「ええ、もちろんです。身近にはあまり幽霊や超能力といったお話を好むお友達がいないものですから、倶楽部に誘っていただけてから、とても楽しみにしていたんですの」
千里は落ち着いてにこりと優雅に微笑むものの、内心は大焦りだった。
(べ、別人じゃないの!?)
どういうわけか、未来で出会うはずの佐倉京矢とは全く違うのた。
未来の京矢は優しい男だったが、もっと温度の低い作り笑いで、予め決められていたかのような完璧な表情しか見せない。
こうやって眉間に皺を寄せ九朗を問い詰めたり、軽口を叩き合う様子なんて想像すらできなかった。
口調も全く違う。硬くはあるが生き生きとしていて、声音も豊かに感情を表している。
「ふむ、そうか……。しかし、朝霧という名はどこかで聞いたことが……」
何か引っかかるようで京矢は考えている。
千里の知らないところで、朝霧家と佐倉家に接点があったとでも言うのだろうか。
この時点で京矢が朝霧家について知っているとは思えないが――――――しかし、未来で京矢とはどうやって出会ったのだったか?
千里は考える。
あの出会いは偶然のように見えて、作られたものだったのではないかと。
未来の京矢は、千里を利用して何かを成そうとしていた。
千里に利用価値など果たしてあるのかと問いたくなるが、一つだけ思い当たるものがあった。
未来予知だ。
夢で見た世界でも千里は未来予知に目覚めていたのだとしたら、京矢がそれを利用しようとして千里に近づいたとすれば違和感は無い。
「あの、佐倉さんは……っ!」
突然、千里の脇腹に鈍痛が走った。
思わず息を飲んだ。
何かが触れた訳でもなく、怪我などしていない。
だが、夢で味わったものと同じ痛みが確かに感じられたのだ。
「千里さん?」
幻覚のような痛みに、千里の唇が震える。
突然態度がおかしくなった千里に、九朗も京矢も首を傾げていた。
「なんでもありません。すみません……っ、今日は失礼させていただきます」
千里は笑みを作ると、くるりと振り返って踵を返す。
気付いてしまったのだ。
幻の痛みを感じるほどに、間違いなく、自分は佐倉京矢という男を恐れていると。
(怖い……どうしようもなく、この人が怖い……!)
怖いものなど無いと言い張れる気の強さだけが取り柄の千里が、姉の為ならどんなことだってしてみせると決意したはずの千里が、目の前の純朴な青年ひとりに怯えている。
その事実がどうにも耐え難く、許せなかった。




