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「ベルワーテ侯爵からご報告をいただいてな。外出先で、二人を見た者が流したのだろう。こちらでも調査したら、優秀な息子に嫉妬したベルワーテ侯爵も噛んでいる、という噂もあるらしい」
「私、誓って、そのようなことをしておりません! ベルワーテ侯爵もそのような方ではありませんわ!!」
コレットは前のめりになって反論した。
社交界で真偽不明の低俗な噂が流れるのは、よくあること。他者の悪評や陰口を好む者は一定数、存在する。
まさか、自分がその渦中の人物になるとは夢にも思わなかった。
ポワミエ伯爵は額から手を離す。自身を落ち着かせるためだろう、ゆっくりと椅子に深く腰掛け直す。
「分かっている……。ベルワーテ侯爵に確認したところ、こちらと同じ認識だった。ひどく困惑されていたがな」
そして、唸るような声を上げた後、言葉を続ける。
「婚約破棄の理由が原因だと、私は考えている。ジョイルが画家になることを夢見ていただなんて、誰も想像できないだろうからな」
婚約破棄の理由は“ベルワーテ侯爵の跡継ぎであるジョイルが無責任だから”となっている。
突き詰めれば“ジョイルが画家になることを希望していた”、“婚約者に貴族の仕事をすべて押し付けるつもりだった”こと。
貴族が画家になることは稀。
後継者になれなかった者が目指す場合もあるが、爵位を持たないので平民になる。爵位を与えられたとしても、貴族の責務を果たしながら画家の仕事をすることは不可能だ。
多くの者は、貴族の身分を維持しながら趣味として嗜んでいる。
だからこそ、普通の感覚を持った貴族に婚約破棄の理由を説明しても、信じることは難しいだろう。
誤った情報が広まるのは当然だ。
ジョイルから画家になることを夢見ていると、打ち明けられた時のことを思い出す。
当時、彼から聞かされたときは戸惑った。ジョイルは後継ぎとして領主教育を受けていたし、コレットも侯爵夫人として支えるつもりだったのだから。
彼女を始め、ポワミエ伯爵やジョイルの両親であるベルワーテ侯爵夫妻も耳を疑ったほどだ。
この時、ふと、あることがコレットの脳裏をよぎる。
「もしかして、ロデール様がベルワーテ侯爵領に滞在することと、何か関係があるのでしょうか? 手紙でそのようなことが書かれていたので……」
ロデールのことだ。自身の実家であるベルワーテ侯爵家の名誉を回復するために、奔走していることが考えられる。
そう思うと、文字もいつもより乱れていることにも合点がいく。
彼女からの問いに、ポワミエ伯爵は難しそうな顔をする。
「いや――ああ……そうかもしれない」
なんとも歯切れの悪い返答をした。
「実は最近、ベルワーテ侯爵夫人がお倒れになったらしい。領地にお戻りになって療養なさるそうだ」
ポワミエ伯爵から伝えられたことに、コレットは絶句した。
彼はさらに言葉を続ける。
「おそらく、ジョイルの件で心労が祟ったのだろう。後継ぎが画家になることを希望した上、他家と揉め事を起こして平民になり、社交界では事実無根の低俗な噂を流されたのだからな」
軽く溜息を吐くポワミエ伯爵。
次に、ロデールの現状について話し始める。
「ベルワーテ侯爵からの手紙では、ロラ卿は護衛を担当している王子殿下の計らいで休暇をいただき、帰省しているらしい。侯爵夫人を看護するためだろう。ロラ卿がコレットにどのような手紙を出したのか詳細は不明だが、それが関係している可能性はある」
コレットは何も知らず、今まで、のうのうと過ごしていたことに恥ずかしくなる。自分のことしか考えていなかったことに腹が立つ。
ベルワーテ侯爵家が大変だった時に、手紙でロデールに愚痴や悩みを聞いてもらっていたのだ。
申し訳なさから、思わず唇を噛む。
だが、その前に――
「申し訳ありません……もっと社交界に気を配っていれば、このような事態は……」
コレットはポワミエ伯爵に謝罪する。
もっと社交界に気を配っていれば、このような事態を防ぐことができたのではないか。少なくとも、ベルワーテ侯爵夫人が倒れるような事態は、回避できたかもしれない。
仕事のことばかりで、社交界のことを疎かにしてしまった。
ベルワーテ侯爵夫人が侯爵家の女主人であるように、一時的とはいえ、コレットはポワミエ伯爵家の女主人。
心のどこかで、侯爵夫人が対処してくれると楽観的に考えていた。自身もジョイルの行いを責められない。
謝罪したコレットに、ポワミエ伯爵は優しく否定する。
「コレットは、よくやってくれている。高級品種の梨の流通や女主人の仕事までしてくれて、ずいぶん助かっているのだ。私の方こそ、頼りきりにしてしまって申し訳ない」
ポワミエ伯爵は安心させるように、柔らかい笑みを浮かべる。
「話を聞いて疲れただろう。今日はゆっくり休みなさい」
「ありがとう……ございます……」
コレットは父親の厚意に甘えることにして、部屋から退出した。
社交界で事実無根の低俗な噂が流れていること。
心労によりベルワーテ侯爵夫人が倒れ、領地に戻って療養すること。
ロデールは侯爵夫人の看護をするために、ベルワーテ侯爵領に滞在するのだろうということ。
先ほど伝えられたことに、頭が混乱している。
コレットは廊下を歩きながら、軽く頭を押さえた。
しかし、この後、彼女にさらなる困難が待ち受けていた。




