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31(ジョイル視点)
「なぜ……一枚も売れないんだ……」
デシャン男爵領の格式ある画廊が軒を連ねる大通り。
ジョイルはそこでスケッチ画を数枚ほど広げ、露店を開いていた。
芸術に造詣の深い者が集まっているのだから、飛ぶように売れるはずだと。
しかし、彼の目論見は外れ、目の前を素通りされている。
「こんなはずじゃ……」
新居に着いて、まず家具、雑貨、消耗品、食材などを買い、家賃を支払った。その頃には、手持ちが一枚の紙幣と数枚の小銭だけ。
心許なくなったジョイルは今まで描いてきたスケッチ画を売り、生活費に充てようと考えたのだ。
最初は一枚三十万の値段を付けていた。だが、街ゆく人は、ちらりと見るだけで立ち止まる気配すら無い。
平民でも気軽に買えるよう徐々に値段を下げ、現在は一枚五万。
ジョイルからすれば破格の値段設定だ。
「腹が減ったなあ……」
かれこれ、三時間ほど経っただろうか。
多くの人は昼の仕事が一段落し、休憩時間に紅茶や軽食を楽しみ始める頃だ。
ふと、ジョイルが目の前を見ると、道を挟んだところに貴族が宿泊する為のホテルがあった。
一階はカフェテラスになっており、身なりの良い男性や女性が軽食を取っている。男性は白いものを齧り付いていることからサンドウィッチだろうか、女性はケーキらしきものを口にしている。
サンドウィッチ、スープ、サラダ、ガレット、カナッペ、キッシュ、チーズの盛り合わせ、オリーブの酢漬け……それら全て、ベルワーテ侯爵家にいたころは当たり前のように軽食として口にしていた。
料理が気に入らなければ作り直しを命じたし、余れば使用人に下げ渡すことも多かった。
その頃から一転、ここ数日はろくに食事を取れておらず、ひもじい思いをしている。今なら、どんなに苦手で、不味くて、余りものでも、喜んで頬張るだろう。
ベルワーテ侯爵家を追い出されてから日が浅いというのに、当時を思い起こすと何もかもが懐かしい。
「僕だって……一枚だけでも売って、豪勢な食事をしてやる!」
ジョイルは密かに決意を固めた。
その時、小柄で気弱そうな老婆が彼の目の前を横切った。
ジョイルはあの老婆ならと言わんばかりに、スケッチ画を持って婦人に詰め寄る。
「そこのお婆さん、僕の絵を買って! 一枚だけで良いから!」
稚拙なスケッチ画を老婆に見せる。
そこには街灯や石ころ、レンガが四つほどがバラバラに描かれているだけで、余白がかなり広い。
脳内で想像しながら描いているのか、どれも平面的だ。レンガにいたっては、少しひびの入った四角が四つ描かれているだけ。
「まあ、一枚だけなら……」
スケッチ画なら値段は安いだろうと思ったのか、一枚だけを条件に購入する意思を示す。
ようやく掴んだ客にジョイルは破顔した。
「ほ、本当!? じゃあ、五万!!」
彼が手を出しながら値段を言うと、老婆は驚きながら後退る。
「ご、ごめんなさい、五万なんて無理だわ!!」
老婆はたじろぎ、買うことを取り消す。まさか、露店で売っている落書きのようなスケッチ画が、五万という高額なものだとは思わなかったのだろう。
しかし、ジョイルにとっては、ようやく掴んだ客。納得できない彼は恫喝するように迫る。
「はあ!? 買うっていたんだから、買えよ!!」
スケッチ画を買うことを迫られ、困惑している老婆。
二人の押し問答に徐々に野次馬が集まり、人だかりができ始めた。
すると、どこからか老婆に助けが入る。
「何をしているんだ! ご婦人が困っていらっしゃるんだから止めなさい!」
現れたのは正義感のある青年の男性だ。素早く老婆の前に立つと、彼はジョイルに引くよう要求する。
だが、どうにか絵を売りたいジョイルは引く気がないようだ。
「うるさい! 邪魔するな! こっちは生活がかかっているんだ!!」
空腹で、なりふり構っていられないのだろう。食事をするために、一心不乱に金銭を得ようとしている。
そんなジョイルに、青年の男性は毅然とした態度で対峙する。
「困っている人を見過ごせない。あまりにも酷いと、街を巡回している兵士を呼ぶぞ!」
その言葉にジョイルは反応した。
ここは田舎の男爵領だが貴族が多く滞在しているせいか、兵士が治安維持のために街を巡回している。
兵士に捕まれば、自分が描いた絵を大通りにある画廊で飾ってもらえないのではないか。
自身の輝かしい未来が閉ざされるのではないか。
「分かったよ! 引けば良いんだろ!?」
ジョイルは吐き捨てるように言い、乱暴に荷物をまとめる。野次馬たちが、ざわざわしていたが、彼の心境はそれどころでは無い。
荷物をまとめ終えた後、通報される前にその場から立ち去った。
当初、数ヶ所で絵を売ろうと考えていたが、その気が失せてしまった。
「こんなはずじゃ……」
そう呟きながら、一枚もスケッチ画が売れぬままジョイルは帰路に就く。




