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26(ジョイル視点)
新居に移って数日、ジョイルは街に来ていた。
「やはりデシャン男爵領は良い! 王都ほど活気が無いのは残念だけれど」
目的は、油絵を描くための道具を一式そろえるため。
彼の中で、最初に画廊に持ち込む作品は油絵と決めていたらしい。
「皆、僕の絵を求めるだろうと思うとワクワクする! 初めての油絵なんだから、将来的に価値も跳ね上がるだろうな!」
ジョイルは初めての挑戦に心が躍る。
早速、絵筆やパレットが描かれた看板が掲げられている、街で一番大きい画材店の中へ。
店の中には、下描きに使用する鉛筆や木炭、スケッチブックやクロッキー帳が並べられていた。
視線を移すと、様々な形のパレットや絵筆にペインティングナイフ、数百もの種類のある油絵の具や水彩絵の具、近くには筆洗器が。何に使うかは分からないが、絵を描くために必要なのだろう数十種類の薬品のようなものまで。
そして、壁には様々な大きさのキャンバスや額縁の見本が掛けられていた。
ジョイルは今まで使用人に指示して画材をそろえていたせいか、初めて見る画材を扱う店に気分が高揚する。
早速、勘定場で帳簿を付けている店主らしき初老の男性に声をかける。
「すまない。ここの店主だろうか? 油絵を描きたいので一通りお願いしたい」
「ありがとうございます。もちろん、お手伝いさせていただきます。油絵の道具を一式ということは、未経験の方でしょうか? そうしますと、パレットや絵筆はお求め易いこちらの方が……」
店主の“未経験”という言葉に少しムッとしたが、ジョイルは油絵について未経験。まず何をどうすれば良いのか分からないため、店主が道具をそろえるのを黙って見ていた。
時間は十分ほどだろうか。
店主は素早く、油絵を描くための道具を一式そろえた。
パレットや十種類ほどの絵の具、太さの違う三種類の絵筆、油壷と絵を描く用の油、筆洗器や筆洗用の油。
それらが勘定場に並べられている。
「これだけ揃えば、油絵を始めることができるかと思います」
「あ、ああ……」
店主に道具を揃えてもらったが、ジョイルは何か言いたそうだった。
パレットや絵の具、絵筆は分かるが、その他の道具の使い方が分からなかったのだ。
ジョイルの様子を見て、店主は察する。
「ああ、失礼いたしました! こちらの道具の使い方をご説明いたしますね」
「……お願いする」
ジョイルは店主から道具の使い方を教わることに。親切な性分なのか、一つひとつ懇切丁寧に教えてくれる店主。しかし、ジョイルにとって、その優しさに恥ずかしさを感じていた。
自身が無知だったこともあるが、元とはいえ貴族だった自分が平民に教わるなんて……と。
さらに、絵画の巨匠に匹敵するほどの実力を備えていると思い込んでいたジョイル。
店主からの素人扱いは、彼の矜持を折るのに十分だった。
「説明は以上ですが、質問はございますか?」
「あの、キャンバスについてだけど……」
説明を終えた店主。
そこにジョイルは少し委縮しながら聞く。
道具の使い方を一通り教わったが、キャンバスはまだだ。
ジョイルに促され、店主はキャンバスについて説明し始める。
「キャンバスは布と木枠をご購入いただいて、お客様ご自身で張っていただくことになります。張り終わりましたら、こちらを満遍なく塗り重ねてください。地塗りを手軽にできるよう改良したものになります。本来であれば、ご自身で白亜や石膏の粉を膠液などと混ぜて塗るのですが……」
そう言って、陶器に入った薬品のようなものを取り出す。
蓋を開けてもらえば、中には白いとろみのあるものが入っていた。ジョイルは薬品だと勘違いしていたが、画材の一つらしい。
キャンバスを自分で張ることはできそうにない。
だからこそ、店主は油絵“未経験者”のジョイルに購入を勧めることは無かったのだろう。
恥ずかしく思い、顔を赤くするジョイル。
「壁に掛けているものを売ってもらえない……かな」
「申し訳ありませんが、こちらは見本ですので……。少し行ったところに建具屋がございますから、そちらでお求めになってはいかがでしょう。建具屋でも布と木枠をご購入いただけますし、職人もいらっしゃいますので、ご満足いただける仕上がりになるかと。料金も当店よりお安いと思いますよ」
すでに張られているキャンバスを購入できないか交渉するが、店主に断られてしまった。
建具屋で購入することを勧められるが、もう恥をかきたくない。
「いや……この店にお願いしたい」
「こちらでキャンバスを張るには、材料費の他に手間賃も必要になりますが、よろしいですか?」
「……お願いする。申し訳ない」
弱々しく相手にお願いし、思わず謝罪するジョイル。
店主は相手を安心させるためか、朗らかに笑う。
「いえ、謝らないでください。ご来店いただく方は画塾に通われていたり、高名な画家のお弟子さんが多く、すでにキャンバスの張り方をご存じなのですよ。お客様にキャンバスをご用意する機会は貴重ですし、新鮮なので嬉しいです」
店主の言葉に悪意はなく、相手が未経験者だと思って気を遣っている。
ジョイルの矜持は、粉々に砕け散った。
「ありがとうございました」
店主に見送られ、帰路につくジョイル。
最初の勢いは、どこかへ行ってしまった。
購入した画材が、ずっしりと重い。
出鼻をくじかれて呆然としていたせいだろうか。精算時に画材の値段が他の領地で売られているものより、安いのかどうかすら分からなかった。
もっとも、今まで使用人に指示して画材をそろえていたジョイルに、分かるはずもないのだが。
ジョイルの絵を描く創作意欲は、明らかに削がれていた。




