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20(ジョイル視点)
王都からデシャン男爵領へ行くために、乗合馬車に乗っているジョイル。
乗客は五人。
彼以外に年配の男性と女性が一人ずつ、そして母親とその子供だ。子供は男児で、見たところ七、八歳ほど。
ベルワーテ侯爵から渡された金銭を温存するため、ジョイルは仕方なく乗合馬車を選択。
家専用の馬車に乗るのが当たり前だった彼にとって、全くの他人と乗り合わせることなど考えられなかった。
「はあ……痛いな……」
ジョイルは自分の臀部をさすりながら、愚痴をこぼす。
王都からデシャン男爵領までの道のりは長い。
しかも、今まで自分が乗っていた貴族用のものではなく、平民が利用する乗合馬車。当然、家専用のものほど乗り心地は考慮されておらず、木の板に直接座っているので臀部や背の部分が痛い。その上、大きく揺れるので乗り物酔いもしてきた。
少しマシになるようにと、ジョイルは自分が着ていた上着を脱ぎ、座面に敷く。
何となく手持無沙汰で、目の前にいる母子の会話に耳を傾ける。
「ねえ、お母さん。お父さん元気そうだったね。また会いに行こうよ!」
「そうね!」
会話から察するに、この母子は王都まで出稼ぎに出ている父親に会いに行き、帰路に就くところらしい。
平民は難儀だと思いながら、ジョイル自身も同じであるにもかかわらず心の中で見下す。
彼の視線に気付いたのか、目が合った子供が話しかけてきた。
「こんにちは。お兄ちゃん、どこまで行くの?」
「こ、こら!」
知らない男性に話しかける子供に、母親は慌てて窘める。
ジョイルは、躾のなっていない子供だと思いながらも不機嫌そうに答えた。
「……デシャン男爵領だよ」
「そうなんだ!」
しかし、子供は気にしないのか無邪気に相槌を打つ。そして、ジョイルの持ち物をジロジロと見ていた。
「お兄ちゃんは絵を描くの? お兄ちゃんの絵、見てみたいなあ」
「やめなさい! すみません……」
子供なりに、ジョイルの持ち物の一つであるスケッチブックを見て推察したのだろう。中を見せて欲しいと、純粋な笑顔で強請る。
相手が不機嫌そうにしていることを察していた母親は、子供の粗相を叱り、謝罪しだした。
しかし、自身の絵を見たいと言われ、ジョイルは不機嫌だったのが一転、機嫌が良くなる。
「ああ! 見せてあげよう!」
意気揚々とスケッチブックを広げ、子供に自身の絵を見せる。
すると、その子の表情は、まるで魔法を目にしているかのように輝きだす。
「わあ! とても上手だね!」
「そ、そうね……」
子供は無邪気に絵を褒める。そのことに気を良くし、ジョイルはスケッチブックのページをペラペラとめくっていく。
自身の描いた作品を見せることに夢中で、母親の顔が引きつっていることに気付きもしない。
子供は感性が豊かだと、聞いたことのあるジョイル。
褒められたことにより、自分はやはり画家の才能があると自信をつけた。
それと同時に、酒場での嫌な記憶が払しょくされる。
しかし、ジョイルがスケッチブックのページをめくっていると、子供は残酷なことを言いだす。
「これって、お兄ちゃんが僕くらいの時に描いた絵でしょ? 僕も描けるかな?」
子供ゆえに純粋に思ったことを口にしてしまった。
ジョイルは、無垢な子供の言葉に憤りを感じる。子供のような絵と言われたことと同じだからだ。
「こら、そんなこと言ってはダメでしょう!! も、申し訳ありません!!」
スケッチブックの状態は痛みや傷が少ないことから、最近のものだと分かる。
そのことに気付いていた母親は、すぐに子どもを強く叱り、謝罪する。
だが、そんなことでジョイルの怒りは収まらない。
「ふざけたことを言うな! お前ていどが、こんな素晴らしい絵を描けるわけないだろう! おい、お前、どういう躾をしてるんだ!!」
彼は子供に怒りをぶつけ、母親に対しても教育の悪さを吐き捨てるように言う。
すると、子供は悲しげな表情をし、目から大粒の涙をボロボロとこぼした。
「う、うえ、うえええん! ごめっなさい……!」
「本当に……申し訳ありません……申し訳ありません……」
自分より大きい人に声を荒げられ、子供は泣きながら謝罪する。
母親は子供を抱きしめ、息子の失態に対して、ひたすら詫びていた。
年配の乗客は自身に累が及ぶことを恐れてか、知らない振りをしている。
すると、馬車が速度を落とし、やがて止まった。
「おい、兄ちゃん。悪いけど、ここで降りてくれないか?」
年配だが、それなりに腕っぷしのありそうな御者が、ジョイルに馬車から降りるよう促した。
いきなりのことに驚くジョイル。彼は御者に食って掛かる。
「はあ!? なに言っているんだよ! デシャン男爵領まで、どれだけあると思っているんだ!!」
馬車でも数日かかる距離。徒歩で行くとなると、どれほどの時間が掛かるか。
だが、それでも御者は断固として貫く。
「知るか。俺はアンタを乗せてるのが嫌なんだよ。空気が悪くなるし、馬たちもアンタの罵声で怯えてんだ。金はいらねえからさ。この先、歩いて行けば夜までには次の町につくから、宿にでも泊まりな。明日また別の乗合馬車に乗れば良い」
御者は無賃で良いと伝え、別の乗合馬車を利用することを提案した。
ジョイルの本心は、一日でも早くデシャン男爵領まで行きたいと願っている。しかし、王都の裏通りにある酒場で大金を失っているので、少しでも多くの金銭を手元に残しておきたい。
ここまでの路銀が不要なのであれば……。
そう結論を出したジョイルは荷物をまとめ、しぶしぶ乗合馬車を降りる。
御者はジョイルが降りたことを確認。
「じゃあな」
彼に一言声をかけた後、すぐに馬車を走らせた。
乗合馬車が徐々に遠ざかっていくのを見つめるジョイル。
「なんで、僕がこんな扱いを受けないといけないんだ……」
ジョイルは愚痴をこぼしながら、とぼとぼと乗合馬車が走っていった方向へと歩いて行った。




