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16(ジョイル視点)
「きゃー! ジョイル様、素敵ー!」
隣にいる艶っぽい女性に褒められ、気分が良くなったジョイルはジョッキに入った酒を煽る。
ベルワーテ侯爵家を追い出される直前、幼い頃から使っていた画材と、ある程度まとまった金銭を持たされていた。
ジョイルが使っていた画材は侯爵家に必要ない。まとまった金銭は、王都内にうろつかれることを危惧した侯爵が、手切れ金のつもりで渡したのだろう。慎ましく暮らせば、平民なら半年は持つ額だ。
王都や他の領地で、ベルワーテ侯爵家の人間だと吹聴されては困ると考えた侯爵。家紋入りの持ち物を取り上げたり、家紋を削り取った上でジョイルを追い出した。
もちろん、領地にいる使用人や私兵には通達済みだ。
傍から見れば、絶望的な状況だろう。
しかし、彼は追い出されたにもかかわらず、爽快感を味わっていた。
貴族社会の抑圧された世界から解放されたせいか、自由奔放に振舞っている。
酒を飲み干し、少し乱暴にジョッキをテーブルに置く。
「それにしても。こんな良い店に、なぜ今まで来なかったんだろう。なぜ言うことを聞いてしまったんだ……」
この酒場に訪れたのは、単にジョイルの気まぐれと気晴らし。父親であったベルワーテ侯爵に対して、反抗するつもりだったというのもある。
実は幼い頃から、ベルワーテ侯爵から王都の裏通りに近づくことを禁止されていたのだ。
侯爵は王都の行政を一部任されており、常々、裏通りにある店を一掃したいと考えていた。難航しているが、それでも徐々に店の数を減らしており、今では十店ほどに。
ベルワーテ侯爵の言うことを聞く必要がなくなったジョイル。
興味本位でふらふらしていたところ、露出の高い服を着た女性に声を掛けられたのだ。よく理解しないまま女性の言うことに頷き、気付けば、この酒場へ。
「そうよー。そしたら、もっと早くジョイル様に会えたのに!」
そう言いながら、ジョイルを煽っていた女性は彼に隣から抱き着く。
「あはは! なんて可愛いんだ! おい、もう一杯、酒をくれ!」
今まで女性とまともに触れ合ったことのないジョイルは、ますます気を良くする。抱き着いてきた女性の肩を抱き、店の従業員に酒のお代わりを要求した。
こんなに素晴らしい店をなぜ父親は潰そうとするのだろうと思いながら、しなだれかかってきた女性を見て悦に入る。
その後もジョイルは記憶が無くなるほど、酒を飲み続けた。
夜通し飲んでいたら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
気付けば日の光が射し込み、朝になったことを告げていた。
ソファの座面部分に仰向けの状態で寝ていたのだろう。安物のソファが悪かったのか、無理な体勢が悪かったのか、少し体を動かすだけで痛みが走り、顔を歪ませるジョイル。
「お客さん困りますよー」
「す、すまない……」
恰幅の良い従業員の男性に文句を言われ、ジョイルは思わず謝罪する。
「あの……じゃあ、失礼する」
「ちょっと、お客さん! 勘定がまだですよ!」
ジョイルが荷物を持って退店しようとすると、従業員の男性が彼を逃がすまいと肩に掴みかかる。
「すべて合わせて、五十万になります」
そう言って、従業員の男性はピラッと伝票を見せる。
そこには飲食代、サービス料などと書かれていた。よく見ると、サービス料が全体のほとんどを占めている。
「な! ご、五十万!? なんだその、でたらめな金額は!!」
ベルワーテ侯爵と共に、視察で何度か平民が利用する食堂や酒場に訪れたことのあるジョイル。普通の酒場では有り得ない高額な料金に驚く。
「女の子たちと、ずいぶん楽しまれていたじゃないですか……もしかして、払えなのか?」
従業員の男性が放った最後だけ威圧感のある声に、ジョイルは震えあがる。
五十万は侯爵家の貴族であれば端金。しかし、今の彼は平民。
ベルワーテ侯爵から渡された金銭で支払うことは可能だが、その内の約半分も失うことになる。
今後のことを考えれば、なるべく温存しておきたい。
ここでジョイルはあることを思いつく。
「そうだ、金銭より良いもので支払おう!」
「はあ? 金銭より良いもの? 金塊でもくれるのか?」
怪訝そうにする従業員の男性をしり目に、ジョイルは自分の荷物からある物を自慢げに披露する。
「これだ! どうだ、素晴らしいだろ!?」
金銭ではなく、自分が描いた絵で支払おうとしたのだ。
披露した絵は、四足歩行だと思われる動物の鉛筆画。
馬のようにも見えるが、犬のようにも見える。見る人によっては、豚と答える可能性も。
正確に形を捉えていないことに原因があるのだろう。陰影の付け方が下手なので、物体の境目があいまいなことも起因しているのかも知れない。
「本当は五十万なんかでは買えないが、今回は特別だ!」
ジョイルは自信満々だったが、従業員の男性は馬鹿にされたと思ったのだろう。
怒りを露にしながら、持っていた伝票をクシャリと握り潰す。
「お前、俺をおちょくってんのか!? そんな落書きに、五十万の価値があるわけねえだろ!!」
「え? え?」
従業員の男性が発した怒号に慌てふためくジョイルは、助けを求めようと周りを見渡す。店内に十人ほどの従業員がいたが、静観しているだけで誰も助けようとはしなかった。
その時、ある女性に目が留まる。
昨晩、ジョイルを接待した女性だ。
「あ、そこの君! どうだ、この絵! 素晴らしいだろ!? 君が気に入ってくれたのなら、五十万で譲ってやっても良い!!」
自分の絵の素晴らしさを連呼し、懸命に訴える。
しかし、無情にも女性は彼を一瞥した後、だるそうに自身の美しく手入れされた爪を見ていた。
「金が無えなら別の方法で支払ってもらうしかねえな! ああ!?」
しびれを切らした従業員の男性は、青筋を立てながらジョイルに近づく。
「ま、待て! 僕はベルワーテ侯爵の息子だ!!」
恐怖のあまり、ジョイルは咄嗟に自身の出自を明かした。




