6章 2 『真実』の残光
六番棟の廊下を軽快に鳴らすライア。紙袋を片手に入院用の階を進み、とある部屋の戸を叩いた。
「はいはいハローおつかれさーん! 元気してっか?――リザイア」
個人用のそこは現在経過観察中のリザイアが使用している部屋。天使と無理やり融合してしまった、などという前例の無さ故に、暫くはこの場で世話になるそうだ。
「ご機嫌よう、ライア。ちょうどいい所に来てくださいましたわね」
「こんにちは〜」
「何? サヴもいるじゃん……何の話してたの?」
リザイアの横には来客用の椅子に座るサヴ。ふにゃりと笑った彼女は二つ目の椅子を用意し、ライアに座るよう促した。
ライアはお見舞い用の果物をサイドチェストに置き、リザイアの「ちょうどいい」という言葉に疑問を呈した。
彼女はサヴと僅かに頷き合い、本題に入った。
「単刀直入に言いますわ。神の死体で遊ぶ悪魔――という言葉に聞き覚えはありまして?」
「あ?…………悪魔?」
突如示された謎の言葉に思考を巡らせるライア。
なぞかけのようだが、リザイアもサヴも揶揄っているような雰囲気は見られない。むしろ教師に分からない問題を聞く生徒のように純粋な目でこちらを見つめている。
(悪魔……ね。一番最初に思い浮かべるのは『真実』の神の眷属だが、多分そのものってよりは比喩か異名か…………神の死体っつーと神牙か?)
連想ゲームのように言葉を繋いでいくと、ふと記憶の端に眠っていたある噂を思い出した。それは十数年前から流れ出したある少女に関する話。
ライアは「あ〜」と手を叩き、こちらを見つめる子供達の顔を見た。
「あれか! 『夢幻の悪魔』だ」
「『夢幻の悪魔』?」
「恐らくだけどな。聞いた事ないか? 『誰も見たことがないのに皆が声だけは知っている。夢から夢へと渡る名前の無い夢魔』ってやつ」
「あ、その話は聞いたことある。王都でも結構流行ってるよ」
諜報を得意とするサヴも、やはり聞いたことがあったようだ。
「確か……人の夢に現れては役に立つのか立たないのか分からないセリフを残し消えていく。姿を見た者もいるらしいけど、その特徴は人によって千差万別、少女である以外一致しない……ってやつだよね?」
同意を求めるようなサヴの視線に、ライアは小さく頷いた。そしてもそもそと聞いた話を復唱しているリザイアへ問いかけた。
「大方、夢で声だけ聞こえたんだろ?」
「そう、そうですわ! 私、あの方の声援のお陰で天使の融合を遅らせることができましたの……だから直接お礼をしたくて…………その方は一体どこのどなたかご存知ないかしら」
パッと顔を上げたリザイア。
しかし先のサヴの言葉通り、『夢幻の悪魔』に関する話は外見やその出自にまつわる話もあるが、基本的に確証はない。夢幻の曖昧な噂だけが飛び交っている謎多き人物である。
期待に溢れた彼女には申し訳ないが、ライアは両手を上げキッパリとそれを否定した。
「ないな。さっきも言ったろ? 名前の無い――って。名前も顔も知られてないんだよ。悪魔とか名乗ってる辺り、多分恐らく? 『真実』の神牙使いじゃねーかと思うんだけどな〜〜」
神牙――かつてエインスカイに君臨した神、その死体を武器へと作り替えたもの。使用者を選び、独特な性質と膨大な出力を持つ、所謂レア武器だ。
しかし強大な力には代償が伴うもの。三番隊隊長のトラリアがその一つを使用するが、彼女はそのせいで片腕を無くしている。
あの時はシアンの機転により腕を切り落としたことで難を逃れたが、一歩遅ければ命を落としていた。それほど危険な代物でもある。
さらに言えば『真実』の眷属は死人の魂を集める悪魔とされる。わざわざそれを名乗り、かつ人の夢などという曖昧なものに入り込む技量を持つのであれば――というライアの予想である。
「残念だけどそれ以外はノーヒント」
「そうですの……いえ、異名が知れただけでもありがたいですわ」
しゅんと肩を落としたリザイア。
「『真実』……確か本人もその言葉を口にしていましたわね」
彼女は記憶を掘り返すように眉間を揉む。曰く、リザイアを助けたという暫定『夢幻の悪魔』は夢の中でこう言ったのたそうだ――
『貴女は貴女だって事実は世界にとっての『真実』なのだと、わたしが保証してあげる』
――と。
☆
分からない話をこれ以上考えていても仕方がない。
ライアは持ってきた果物をナイフで切り分け、リザイアとサヴに差し出した。医務室特有の薬品の匂いが果物の甘い香りに塗り替えられていく。
「ま、なんか分かったら教えてやるよ。それで? 容態はどうよ、ダンピール……リュウガもまだいるんだろ?」
「えぇ、私はもうなんとも。偶にくしゃみすると羽とか天輪とか出てきますけれど……」
「え、なにそれおもしろ。びっくり人間かよ」
ムッと膨れ面をするリザイアに「冗談だよ」と笑って返すライア。コロコロと変わる表情は、彼女が本当になんともないのだという証拠だ。
一方、隣で一心不乱にリザイアの長い髪を三つ編みしているサヴ。なんの反応も見せない辺り、既に彼女は知っている話だったのだろう。職人のような手つきで延々と丁寧に編み込まれていく。
リザイアは特にそれを止めることもなく、隣の部屋とを遮る壁を心配そうに見つめた。
「リュウガは、起きてはいるそうですが……まだ万全とは言えないみたいですわ」
「そっ……か。ま、今の時点で生きてんなら大丈夫だな」
ライアもつられて壁の向こうを眺める。橙色の双眸がふっと細められた。
その様子を見たサヴがコテンと首を傾げる。
「ライア、何かあったの? 珍しいよね、リュウガさんのこと気にかけるなんて」
彼女の言いたいことは分かる。ライアとリュウガの犬猿っぷりは周囲の人間であれば誰でも知っている話。傍から見ればまだ良識のあるリュウガならばともかく、よりにもよってライアが案ずるとは思わなかったのだろう。
しかしライアは深刻な雰囲気をパッと消し、いつも通りに口角を上げた。
「んにゃ、何も? ただまあ? あいつの体調不良の原因に心当たりがないでもないからちょっとな」
「それ、アミナ達に言った方がいいんじゃ……」
「必要ねーよ。多分リフレットならもうわかってるし」
「ならいいか」とでも言いたげに果物をリザイアの口へ突っ込むサヴ。リザイアはまだ頬張っているのだからやめてあげて欲しい。
「で? リザはこの後どうすんの? 家に帰る……訳でもないんだろ?」
ライアはサヴの手にある行き場を失った果物を一欠片貰いながら、丁度全てを飲み込んだらしいリザイアに尋ねた。
「しばらくは騎士団所属の預かりになるみたいですわ。屋敷もあんなことになってますし……」
今やカルヴィテリア屋敷は内部は人が住める状態でない。そもそも、あれだけの事件の舞台となったのだ、少なくとも数週間は国の調査が入ることだろう。
ライアはあの王女マリーシャのことだから、リザイアも連帯責任――とはならないだろうと踏んでいた。
騎士団という言葉にサヴが目に見えて不機嫌になった。
「軍じゃないんだよね……残念」
「貴族だからなぁ〜、入団試験無しで国の人間にするには騎士団が一番早いんだろ」
一般人でも年に一回の試験さえ合格すれば所属できる軍と異なり、騎士は貴族や現・旧騎士とのコネや血筋が必要になる。
どちらが強いかと言われれば前者だが、どちらがより忠実かと言われれば後者である。軍は良くも悪くも奇人変人が多いので。
そして彼らは組織全体を通して、互いに不仲であった。どれだけ世代が変われど、この関係だけは設立時から変わらないらしい。
「――っと、そろそろ帰るかな」
話が途切れたことで、ふと時計を見るライア。既にかなりの時間を会話に費やしていたことに気がついた。
今日は元々、護リ人として仕事の話がある――と、トラリアに呼ばれてここに来たのだった。もっとも、ライアは例のごとくシアンと逸れ、運良くここに流れ着いたのだが。どちらにせよ見舞いには来ようと思っていたので結果オーライ。
「あ、そうだ。サヴ、もう聞いてるかもだけど一応伝えとく。この前のバクについてだけどな……」
部屋の戸に手をかける直前、ライアは急に振り返り菫色の髪を持つ少女を見た。彼女はほんの一瞬、悟られない程度に呼吸を止め、僅かに肩がはねた。
ライアはあえて気にせず言葉を続ける。
「『死体解剖の結果、あいつは遅かれ早かれ自爆する事になってた』――ってよ。爆薬でも仕込まれてたんだろ。だから、ジオーネを殺した悪霊はサヴの仕事のせいじゃあないんだせ」
リザイアの父、ジオーネの死因。それは天使と悪霊という神話上最悪の組み合わせをその身に宿そうとした強欲さにある。その時の悪霊が、元はサヴが殺した敵――バクのものだったのだ。
今度は明らかに目が泳いだサヴ。その頬をリザイアが両手で挟み、無理やり目を合わせようと奮闘している。
「サヴ……もしかして、ずっとそれを気にしてましたの?」
「うっ、うん……リザのお父様を殺したのは元を辿れば私のせいだったんじゃないか……とか、考えてた…………」
「そ…………そんなことありません――わっ!」
「いったい!!」
意地でも目を合わせようとしないサヴに、リザイア渾身の頭突きが決まる。
額を抑え、目を白黒させるサヴに、ベッドを乗り出したリザイアが詰め寄った。
「あれは、お父様本人が欲に溺れた故の代償と、それを助けたお姉様が原因ですもの……貴女が私に罪悪感を抱く必要はありませんのよ」
「でも……」
リザイア本人の真剣な眼差しを持ってしても罪悪感が拭いきれないらしいサヴ。まだまだ多感な年頃の少女にライアはため息混じりのフォローを入れた。
「あのなー、リザの言う通りだぜ? 実際、サヴがいなければ蓮夜とシャナが死んでただろ。自分のせいでと落ち込むべき場面じゃない」
「あぅ、ごめんなんか…………あはは、ちょっとだけ気持ち軽くなった……かな」
「もぅ……サヴったら、もう一人で抱え込まないでくださいまし」
有り得たかもしれない仲間の死を示唆されて、漸く踏ん切りが着いたらしい。ライアには少しだけサヴの頬が緩んだように見えた。
ぎゅうぎゅうとハグをするリザイアにされるがままのサヴ。
痛ましい事件の当事者たちによる微笑ましい光景が、窓から差し込む陽光によって照らされていた。




