5章 裏幕 3 風希蛍
「風希…………蛍……ケイ?」
武士のような名乗りを上げた少年――蛍。どこかで聞いたことのある名前に、絶え間なく放たれる斬撃をいなしながら、ソラは己の記憶を遡っていた。
(風希、カザキ……どっかで聞いたことあるんだよな……なんか重要な話だったような…………)
一つ一つ新しい記憶から順に検索を掛け、これではないとページをめくる。パラパラと辞書を眺めるように、写真やフィルムを巻き戻すように。
『葉は弟がいたらしいんだ。いやまー、別居だったらしいけど……。それはいいとして、そいつが半年前くらいに消えちまったんだって』
これはだいたい半年前、葉が来たばかりの頃にライアが言った言葉。網にかかった魚のように頭に残る。ライアの言葉に連動するように、それに続くシアンの声を思い出した。
『風希蛍、弟の名だそうだ。ソラ、お前心当たりないか?』
目の前の少年と合致した名前。
道理で見覚えがあるわけだ。栗色の髪も、深層が緑に光る瞳も、全て葉と同じものだ。
「お前――葉の弟か……!」
「は? なんで護リ人が姉さんの名前を知ってるんだ」
姉の名を出した途端、急に不機嫌になった蛍。
荒れ狂う嵐の如き斬撃は止まったものの、殺意はさらに膨れ上がる。
「……お前たち護リ人のせいか……」
「はあ?」
地を這う蛇よりも低い声。刺々しく、喉元を掻きむしるような色。
蛍が再び刀を握る。
「姉さんが…………記憶に残るあの優しい姉さんが、こんな野蛮な世界にいるわけが無い…………ならば、お前たちに誑かされた。そうだろう――――!!」
居合のように刀が抜かれるが、とても刀身が届く距離では無い。
頭に空いていたバンダナがはらりと落ちる。
一泊置いて、周囲の木々が幹ごと倒れた。その斬撃は嵐などという比喩が可愛いと思えるほどの烈風。臨戦態勢に入っていたソラに負傷はないが、森はそうはいかない。
「ピチチッ」
「えっ……」
逃げ遅れた、否、逃げられなかった動物がいたのだろう。倒れた木の虚に幼い小鳥が血を流していた。
本人も予想外だったのか、蛍の口から動揺が零れる。
ソラの鼓動が強く体を押す。
「……『姉さんがこんなとこにいるわけない』、か。何言ってんだお前。自分の姉貴の選択を自分で踏みにじって……知らねえってのは残酷だ」
葉の戦法が風魔力を凝縮させ撃ち出すことであれば、蛍はその斬撃版。極限まで薄く鋭く引き伸ばされた風による断裂。戦いから遠く離れた異世界出身だと言うのに、数ヶ月もしくは数年でこの強さ。姉弟そろって才能の塊である。
それは結構。
ただし、今のソラにとって、そんなことは最早どうだってよかった。
「本来なら無傷で姉に合わせてやりたいとこだけど、お前はちょっと生態系を壊しすぎだ――――腕の一本くらいは折れても文句言うなよな」
僅かな傷であったとて、巣を失った小さな小鳥には致命傷。
目の前の人間よりも、今消えかかっている命の方がソラにとっては大切なのだ。
頭が不気味なくらい冷たく冴えている。呼吸は短く、視界が狭まる。たった一つの目的に焦点を合わせるように、他はどうでもいいと言うように。
「『ここから先、言葉はいらない』」
ソラの口から短詠唱と遠吠えが響く。
念には念を。森にいる彼らへの最終警告だ。
地に前足を着き、体勢を低く構える。その姿はまるで狼そのもの。
蛍が刀を構えた。
同時に、ソラの足が土を蹴る。次の斬撃が来るよりも早く、その腕をへし折らんとする。ソラの狙いにに容赦は無い。
「――――クソっ!」
獣が蛍の目の前に現れ、硬い爪が蛍の皮膚を突き破る――
「『全てを忘れろ、モビーディック』!!」
少年の腕が落ちる前に、全てが幻のように消えた。




