5章 裏幕 2 迷イ森
「じゃー私ら言ってくっから〜〜」
「そっちじゃねぇよ馬鹿!」
「ぐえっ」
「はいはい、いってらいってら」
翌日。双子を先頭に元気よく飛び出して行った面々。ライアは相も変わらず別方向に進みかけ、シアンに首を掴まれている。
「ソラ。爺さんのことよろしく頼む」
「おうよ、そっちもな。リザイアの無事を願ってるぜ」
ソラは最後尾に続くリュウガから薬を受け取り、朝日に向かう彼らを見送った。
ちなみに、薬とは昨晩酒を飲みすぎてダウンしているクロウド用の漢方である。
(さて…………オレも行くか)
受け取った薬をクロウドの魔法である|フォレイグン家の使用人《動くマネキン》に預け、羽織を翻す。
明るいとはいえまだ朝も早い。冷たい風がそわそわとソラの心を逆撫でするようだ。
(なんか寒いな…………)
ソラは何より寒さを嫌う。上着を着たいのは山々だが、自身の魔法との相性が悪い。せめてもの抵抗として、肩にかけた羽織をキュッと閉じた。
迷イ森は屋敷の裏手。
屋敷の庭一面に広がる花の匂いと、朝特有の湿った土の匂いが混ざる。
森に近づき、足を踏み入れ、進めば進むほど花の匂いが薄れていく。その代わり、深い草と木材の匂いに包まれる。ソラにとっては嗅ぎなれた、第二の故郷の空気だった。
歩みを進めるうちに、周囲の草木がそわそわと揺れる。黙ってそれを見ていると、やがて何匹もの小さな動物が顔を出してきた。
彼らはヒクヒクと鼻を動かしながらソラの周囲を嗅ぎ回る。やがてそのうちの何匹かが思い出したようにソラの足に前足を乗せた。
『ソラ!! ソラ来た。ソラ来た!』
『大主呼べ! 獣の兄貴が帰ってきた!!』
綿花のようにふわふわの兎。
小さな玉を大事そうに抱える子連れの猿。
虎模様の鼠か狐かよく分からないなにか。
どれもエインスカイの外側からきた迷子の動物達。そして、ソラにとって妹や弟のような存在だった。
「ん、ただいま」
見知った彼らの頭を撫で、ひょこひょこと先を行く小さな命に着いていく。
直に鬱蒼とした樹木の狭間にたどり着いた。切り取られたステージのようにその場所だけ日光に照らされる。小さな川が流れ、小鳥も獣も一緒くたに体を休める休戦地帯。
『…………』
中心にどっしりと構えるのは、ゆらゆらと煙のように揺らぐ毛を持つ黒い狼。小動物に囲まれ目を覚ました彼は、音も立てずにソラの元へと歩み寄ってきた。
『兄上……お久しぶりですね。相変わらず姿の変わらない……』
「おう、久しぶり。そういうお前は随分弱ったな……もう長くないのか」
『まあ、なんとも……』
言葉を濁した黒狼。
ソラもそれ以上深く踏み込むことはしなかった。
かつて、ソラが不老不死になる以前。何百年も昔の話。
親兄妹を失った幼いソラを育てたのは一匹の狼だった。
父親の友人でもあった彼女によって叩き込まれたのは弱肉強食。「食すこととは殺すことである」という鉄の教え。それらは今でもソラの心に染み付いていた。
そして、目の前にいる彼はその第二の母親の子孫。代々この土地を守る森の主である。
「で、だ。積もる話はあるが、先に本題に入らせて貰うぜ」
周りの小動物が心配そうに彼を見つめる中、ソラの目が変わった。数年に一度親戚の子供に会う男の目から、責任を担う仕事人の目へ。
『森の異変についてでしょう?』
「わかってたのか」
『小鴉がある少年に伝えたと言っていました』
「伝わってなかったらしいけどな…………」
『それでもきっと貴方が来るだろうと思ってました。何せ……僕らと同じ異界の生命についてですから』
たどたどしく歩く黒狼。時折ふらつく彼を支えながら話を聞いていると、不意にその足が止まった。
不思議に思い様子を伺う。
じっと前を見つめる黒狼の鼻の先には一人の子供がいた。人間の子供だ。
『彼についてです』
「……迷イ人か!!」
全くもって気が付かなった。
磁石が効かない樹海のように、迷イ森では魔力の感知に異常をきたす。存在ごとあやふやな特異点では、迷イ人の来界さえも察知することができなかったのだろう。
森の中に佇む病院服のような真っ白い服を纏った子供。
呆然と立ち尽くしていたと思ったら唐突に辺りを見回し始めた。
「んえぇ〜」
「なんだ今のヤギみたいな声…………」
「うえ?」
突然発された奇声。
ソラの口から思わずツッコミが零れた。
その声で漸くこちらの存在に気がづいたらしい子供。異様に青白く、華奢で健気といった雰囲気。
彼はその儚い印象とは真逆の無邪気な声でこちらを指さした。
「あ! 人間の動物!!」
「人間の……動物…………?」
初めて聞いた呼称に戸惑うソラ。
自身も人間は動物の一種類であると認識しているが、それにしたってこの呼び方はないだろう。隣で聞いていた黒狼かため息を着くようにフンと鼻息を漏らしていた。
「黄色い人間! あのね、ぼくすぐに帰らないとなの。どしたらいい?」
トテトテと駆け寄る少年。よく見れば裸足である。
ソラは目線を合わせるようにしゃがみ、彼の頭に手を置いた。嫌がりもせずにあるがままを受け入れるその頭は、小動物のように収まりがいい。
「大丈夫、ちゃんと返してやるから」
聞きたいことは沢山あるが、本人がそう望むのであればすぐにでも帰してやるのが一番だろう。
何も無い空間に手を伸ばし、少年に近い魔力の糸を手繰り寄せる。
本来であれば今後の迷イ人対策の為にも、元の世界で何時どこにいたか、何をしていたか、この世界に来た時の健康状況などを聞く必要がある。
しかしこの少年、おそらくは聞いたとて答えられまい。異世界転移したことすら理解していないだろう。幼いのも理由の一つだが、なんというか、ソラは自身と同類に思えた。要は言語化能力が低い。
そうこうしているうちに、ソラの手は少年の世界の扉を掴んだ。物理的なドアノブではなく、魔力の切れ目のような取っ掛り。
そして、慎重に人一人が通れるほどの穴を開けると、ただの森の一点に、裏も表もない他世界との道が出来上がっていた。
「わっ! ぼくの家!!」
無機質な人工物が並び、薬品の匂いがする空間。少年の家と呼ぶにはあまりに異質だったが、無事間違いなく彼の世界と繋がったようだ。
目を輝かせた少年が一目散に穴の向こうへ駆け出した。
彼が世界の境目を跨いだことを確認し、ソラは開いた世界を閉ざすように手を握る。
「ばいばーい! 黄色い人間!」
徐々に周りの景色に飲み込まれていく異世界の姿。その向こうで小さな手が一生懸命こちらに手を振っている。
微笑ましい少年にソラは頬が緩むのを感じた。
そして、世界が元に戻る直前、少年は最後に「あ」と言葉を付け足した。
「あとね。人間の動物他にもいたよ」
「人間の動物って言い方やめろ…………待て、今なんつった――――遅かったか……」
落とされた爆弾のような言葉の真意を尋ねる前に、少年は元の世界へ消えていった。
「人間の動物」。その言葉を察するに他にも人がいたということだろう。このバルフィレム保有の保護地区とも呼べる迷イ森に、ソラと少年以外の人間が。
「なあ、あいつの他にも人間って来てるのか?」
『少なくとも僕はまだ知らないですね、情報が滞っているのかもしれません』
隣に仕えていた黒狼に尋ねるも、彼もまた寝耳に水と言った様子。周囲に顔を出していた小動物達からも『知ってる?』『知らない』と声が聞こえた。
「仕方ねえ、ちょっと探してみるか……」
と、森のさらに奥を進もうとした時、虫の知らせというのだろうか、ソラの本能が叫んだ。
――今すぐ伏せろ
と。
「全員伏せろ!!」
動物用に調律する余裕もなく吠える。
慌てふためく野生動物達が動きだすその瞬間――
「『一刀、この世の終わりを目にした者よ』」
短い、研ぎ澄まされたような詠唱が響いた。
その声の主を特定する間もなく、切り裂くような突風が襲う。否、切り裂くようなでではなく、それは正しく斬撃だった。
音を立てて崩れる木々。
枝葉が落ち、鳥が羽ばたく。
幸い植物以外に怪我は無く。小さな命たちは一目散にその場から離れて行った。
斬撃の中心。
刀を手にした先の少年よりも一回り大きい少年。目算15歳くらいだろうか。栗色の髪。深い緑にも見える眼光。心做しか、どこかで見た事のある風貌だった。
「なんだ、お前。一応この森は私有地なんだがな……」
まずは対話を図ろうとソラの声が掛かる。
怒りは抑えてはいるつもりだが、その声は僅かに低い。
対する少年の声は、明確に積怒を孕むように深く熱を含んでいた。
「空間を歪ませ、世界に穴を開ける不届き者――――護リ人で間違いないな」
それは質問の形をした断定。
視線で人が殺せるのではないかと言うほどに鋭い目つき。
明らかな殺意が空気に混ざる。
「人間のくせに話が通じねえ。動物達の方がよっぽど物分りいいみたいだ」
「護リ人……世界を滅ぼす大罪人。この世界のために消えてもらう」
噛み合わない返答。
ソラは早々に対話を諦め、自身の四肢に魔力を流す。
「…………やってみろ、小僧。森を壊した罪、そう易々と贖えると思うなよ」
褐色の腕が形を変え、ソラの異名『人狼』に相応しい姿へと再構成される。
両者互いに臨戦状態。
爪を立てるソラ。
刀の柄を握る少年。
静かな決闘の火蓋を切ったのは、少年の宣誓だった。
「――風希蛍、いざ参る」




