5章 裏幕 4 人狼の怒り
第三者の声が聞こえた。瞬きの間に辺り一面が真っ白い濃霧に覆われる。
「下がれ蛍。お前の適う相手じゃない」
「…………先生」
霧の術者と蛍の声が聞こえるが、反響するように出処が掴めない。しかし、覚えのある声、匂いが一つ増えたことでソラの警戒心は跳ね上がる。
あの短詠唱を使う相手は、ソラと言えど油断ならない。否、油断など欠片も許されない。それほどの相手だった。
徐々に霧が薄れ、輪郭が露わになる。今まで蛍が立っていた場所には、霧と同じくらい真っ白い髪の青年。
「お前……この前の鳥人間…………今日は鳥じゃないのか」
青年もソラを認識したらしい。
以前、教会へ行く道中でシアンを襲った脅威。世間では最強を噂されるソラと並ぶかそれ以上の実力者。
シアンとライアにとって実の兄、セイヤ=ディアスタシア。
「サラ! そいつ連れて下がれ。ここはオレが止める」
仲間のピンチに駆けつけるヒーローのような頼もしい姿。それが、敵でなければどれほど歓声を上げたことか。
セイヤはいつの間にか後方で流血する腕を抑えていた蛍と、その隣にいた女に声をかける。
「サラ…………?」
ソラはその女の名前に気を取られた。
木々の影に見える自身と同じ、褐色がかった肌と金髪の女。蛍と同じか、少し小さいか。
サラ=ドラッド。
忘れるわけもない、数百年も前に命を失ったはずのソラの姉。それが今、幼い記憶ままの姿でそこにいた。
「姉貴――!」
衝動的に声を張り上げ、走り出す。が、それを許すセイヤではない。
剣がソラの前に立ちはだかり、防衛の意志を見せる。
「…………まるで獣だな」
言葉にならない感情が唸り声として現れ、セイヤがそれを嘲笑う。
信じられるわけがない。姉は、サラは自分達と異なり不老不死にはなっていないはず。なぜなら……そうなる前に息絶えているのだから。
記憶の中、目を閉じたまま動かない姉の姿。忘れっぽい、否、意図的に過去の記憶を忘れているソラであっても、この記憶だけは忘れられなかった。
幼い自分が叫ぶようだ。何をしている早く追えと、背中を押される。だが、そこで感情に流されるほど今のソラは無策でも無謀でもなかった。
ここでセイヤを突破しなければ姉どころか蛍も見失うだろう。既に二人は視認できるかどうかの距離にいる。
(戦況を見誤るな、ソラ=ドラッド。二兎追うものは一兎も得ず。狩りの基本だろう……!)
ソラは自身を落ち着かせるように体勢を整え、深く息を吸った。
(蛍、姉貴、セイヤ兄。一番強いのはセイヤ兄で間違いないな……なら、他二人と話をするにはこいつを倒すのが一番か…………)
何せ最も厄介な相手。しかも自身と同じ不老不死。――で、あれば。半殺しで捉えてから話を聞くのがいちばん良い。間違えて殺したとて、決して死なないのだから。
ソラの狙いがセイヤに移る。獣化していた腕を人の形に戻し、虚空から槍を取り出した。本気の相手には、変身魔法ではなく槍を使うのがソラのスタイル。蛍に対しては、あれでまだ手加減していた方なのだ。
セイヤもその殺意に気が付いたのか、剣を構える。
「ソラって言ったか……どうしてお前がここにいるんだよ。お前、ヴァツルナ大陸は出禁なんじゃなかったか?」
「ひとついいことを教えてやるよセイヤ=ディアスタシア。ここは迷イ森。一度足を踏み入れば気が付けば世界規模で迷子になるダンジョンに近い。世界中複数に存在し、それらの物理的距離に意味はない。何せ空間が歪んでるからな」
間合いを測る両者。悠長に会話をし始めるが、互いに一瞬の隙も逃すつもりはない。
セイヤはヴァツルナ大陸の迷イ森から、ソラはミズガルディア大陸の迷イ森から。入った場所が海を越えて異なれど、何故か同じ森の中を彷徨うのが迷いの森たる所以である。
そして、森全体の所有権はミズガルディアの一国、バルフィレムにある。出禁だろうがなんだろうが、ソラは何の規定も反してはいないのだ。
「はっ、何が護リ人だ。知ってるぞ。お前がヴァツルナ大陸で犯した罪を」
対話が可能になったと察したのか、セイヤが追い詰めるようにソラの過去を語らんとする。
「ある研究所を丸ごと吹き飛ばしたんだって? もちろん死者は数え切れない。そんなんでよく『世界を護る』なんてホラが吹けるな」
一言一句違わぬ事実である。
言い返してみろとでも言うように、セイヤのこちらを見る目が鋭く光る。
「…………なにか勘違いしてないか?」
が、それで揺らぐほどソラの思考は脆弱ではない。
「…………勘違い?」
「『世界を護る』ことと『人間を殺す』ことは相反しないんだ」
何を言っているか分からないと言った顔のセイヤ。その顔はよく双子にもされている。目の前の男は記憶が無いにも関わらず、作る表情は兄妹そっくりだ。
そんな彼に構うことなく、ソラの声は一切ブレることなく淡々と事実を告げる。
「オレは非情な研究をされてる動物たちを護っただけだ。そのためにそこの人間が邪魔だった。
――――一度たりとも『人間を護る』とは言ってねえんだよ!」
言葉と共に槍を突き出す。先手を打ったのはソラ。
セイヤも虚をつかれたようだが、ギリギリのところを剣で防ぐ。
「イカれてんのか……」
ジリジリと二人の刃が火花を散らす。筋力は同等。ただし、相手はあの体力バカの兄。持久戦は避けたほうがいいと見た。
「失敬な。命の価値は皆平等。動物だろうが、人間だろうが、その価値は変わらない。至って普通の感性だろうが!」
「それをイカれてるって言うんだよ!!」
相手も同じ思考だったのか、ほぼ同時に弾き合う。
距離を取った後、ソラは直ぐさまセイヤに斬り掛かる。
しかしセイヤのカウンター精度は凄まじい。シアンから聞いていた通りの精密なタイミング。例え槍であろうと一切関係なく、その剣は突きすらも弾き返す。
連撃の中、幾度も打ち返されるうちに、一度ソラの体勢が崩れた。セイヤがそれを逃すはずもない。
まるで針穴に糸を通すような突きが狙い撃たれる。――が、ソラの槍はくるりと体を沿うように回り、柄の部分で刃を逸らした。
「クソ……長柄はこれだからやりにくい」
悪態をつくセイヤ。耐えるために踏み込んだ足が、ぬかるんだ土を飛び散らせる。
「余裕そうだな、セイヤ兄ッ!」
泥に足を取られそうになるセイヤに蹴りを食らわせるも、いつの間にか出したのかもう片方の手に握られた刀によって防がれる。シアンの言っていた二本目の武器『北辰』とやらだろう。
槍は剣を、足は刀を抑えるというなかなか愉快な体勢。下手に動けないが、それは相手も同じこと。
(むしろ地の利はこっちにある……!)
地理的な意味ではなく、環境的な意味でこの森はソラにとっての追い風となった。
地に着いたほうの足に魔力が流れる。信号レベルの僅かな電流。それは徐々に強くなり、水分を含む泥を超えてセイヤを襲う。
「――――ッ……電気系の魔法か……!」
再びセイヤの姿が霧になって消えた。
(どこに消えた……? 匂いはする、近くに入るはずなんだが…………)
辺りを見舞わせど姿も形も認識できない。であれば、同じ平面にいない可能性が高いだろう。
モグラのように地中にいるとは考えにくい。
(ってこたあ、上か!)
案の定。
上空高く、宙に立つセイヤ。その手には先程まで使っていた剣と刀ではなく、深海のように深い青色をした別の剣が握られている。三本目の武器だ。
「こんなとこで出すもんじゃないんだがな…………でも仕方ない、相手が悪い……そうだろ? 『終戦』」
なにか呟いているが、地上にいるソラにはよく聞こえない。しかし、深海のような剣の異質さは十分にわかる。
色の通り、海そのものを凝縮させたかのような高密度の魔力。神の骸から作られた武具、神牙に匹敵する代物か、正しくその神牙だろう。
そんなものが地上に放たれれば生態系どころか森そのものが消滅する。彼にそこまでの非情さがあるとは思えないが、決着を急かす理由が増えた。
「『|為す術なく消え行くものに敬意を込めて《イエック・オ・イニエルオ》
|これを最後の弔いとしよう《アムィ・オーギアス・イグオス》』」
セイヤの術、それも既に失われて久しい第二言語による古代詠唱が響く。剣の魔力が膨れ上がり、巨大な自然災害を前にしたような、全身の毛が逆立つような畏怖の念を抱いた。
「『|焔の血、天を斬る羽、岩より出づる雷よ』」
ソラも同様に、自身の本気とも呼べる詠唱を口にする。
ここ数十年、一度も使うことのなかった魔法。相棒であり、自身そのもの。異界の神を宿した武器――神器、タケミカヅチの本領を。
槍をセイヤに向け、投擲の構えを取る。バチバチと火花を散らすそれは、まるで雷そのもののように不安定な形。
セイヤが言っていた、ヴァツルナ大陸での事件。地表に大穴を開けた一撃がこれである。
「とんでもないなお前。そんなもの使ったらお前の好きなこの森ごと消し飛ぶぜ」
「だろうな。だからアンタがわざわざ上に行ってくれて安心してる」
煽るセイヤに淡々と告げるソラ。
しかし、彼の言うことももっともだ。セイヤがどんな技を放つにしろ、これだけの技が衝突すれば被害は計り知れない。
――故に、相手よりも早く撃ち、できるだけ上空で爆発させる。
思考と共に腕を振る。
ほぼ同時に、セイヤも剣を振り下ろした。
銃弾のように撃ち放たれた雷槍が空へ駆ける。光の尾を描く様子はまるで流星か天を目指すロケットか。
ソラの槍は上に向けた分、威力が下がっている。位置関係的に優位なのはセイヤだろう。
セイヤの剣閃から海を割くような衝撃が生まれる。真正面から雷とぶつかり、爆撃のような暴風が周囲を襲う。
反動で腕が痺れているソラは地上で天を見上げていた。太陽よりも眩く、花火よりも苛烈な光が視界を覆う。
「チッ――――」
轟音の中、微かに舌打ちが聞こえた気がした。
その瞬間、セイヤがいたであろう場所から破裂するように白煙が吹き出す。突然壁を失った槍がすり抜けるように終着点のない軌道を描く。
「逃げたか……」
それは煙と言うよりも、恐らくセイヤの霧だろう。
ソラの愚痴のようなぼやきに、空を隠すような白霧から木霊のような声が響いた。
「逃げたんじゃない。オレの仕事はアイツらを逃がすこと。悪いがそれは既に達成してるんだよ」
「戦略的撤退? それを逃げたって言うんだろ」
焦りと不服を含んだようなセイヤの声。記憶を無くしても、負けず嫌いは変わらないのだろう。納得はできないので言い返すソラだが、僅かな面影に少しだけ頬が緩んだ。
霧が晴れた頃には、既にセイヤは消えていた。
即断即決が幸を成したか、あれだけの技のぶつかり合いでも森は変わらず静かに生きていた。
「これは……帰ったらすぐにでも報告だな…………」
風希蛍、|セイヤ=ディアスタシア《双子の兄》、そしてサラ=ドラッド。思わぬ因果に頭がパンクしそうだった。
安堵か疲労か、ソラは一部分だけ切り開かれた木々の中に倒れ伏す。
「考えるのは……好きじゃねえってのに……」
先の激戦が嘘のような穏やかな風が髪を揺らし、緩やかな微睡みが押し寄せた。




