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氷炎護リ人  作者: 有麻環
幕間
77/95

5章 12 吸血鬼の呪い

 水の音が聞こえる。

 泡が擦れる音。地響きのような対流の音。

 肺から空気が漏れ、体に力が入らない。


(室内だから油断してた………くそ、体が重い。そういえばここ数週間血も飲んでない、か…………)


 レグラと名乗った気弱な使用人によって、大型水槽を破壊された。割れた硝子を超えて溢れだす多量の水によって、リュウガは背後のプールへと押し流されていた。

 もとよりリュウガは、吸血鬼というルーツもあり水が得意ではない。有り体にいえば泳げないのだ。

 加えて、そのルーツ故に定期的に血を摂取しないと体調を崩すという欠陥設計。生きづらいことこの上ない。


「――――!――、――――!!」


 薄れる意識の外側で、くぐもった音が聞こえる。ぼんやりと目を開けば、光り輝く水面の手前に、一人分の影が差していた。


 ☆


 急激に引き上げられるような浮遊感。掠れた意識がそれを理解するよりも先に、一周まわって暴力的なまでの酸素が肺へ流れ込んできた。


「――ぷはっ……生きてるか?!おい!リュウガ!!」

 

「ゲホッ……」


 飲み込んだ大量の水が咳と共に吐き出される。それと同時に、身体はなんとしても空気を取り込もうと呼吸を強制していた。

 助けられたのだろう。生理的涙でぼやけた視界には、庇うように前に立つ金髪の女が映っている。

 世間一般では冷酷無比の裏切り常習犯と言われるライアだが、実際のところ、彼女は仲間と認識した相手をそうそう見捨てる人間では無いのだ。それが例え、喧嘩というのも躊躇われるほど、くだらない口論を繰り返す相手であっても。


「えっ…………あ……どうしよう。二人とも生きてたんじゃ足止めにならないよね……」


 そのライアの向こうには、水に流されない安全地帯に立つレグラ。デッキブラシを握る手の震えが徐々に大きくなっているのが見える。そして、彼の不安を払拭するように、巨大なクリオネがその周りを漂う。


「なーにが足止めだよ、言葉の意味をご存知ない?初手で溺死させようとしてるやつがほざきやがる」

 

「うわぁ……まずいよ…………少しでも時間稼がないと、また役ただずの解雇だよぉ…………」

 

「聞いちゃいね〜」


 ガタガタと震えるレグラを見て、二匹のクリオネが互いに頷き合うような仕草をした。そして、主人を守る番犬の如く一目散にライアへと襲いかかる。

 一匹が水槽のガラスを割ったときと同じく突進するが、それは軽く避けるライア。続く二匹目も手にしていた双剣で真っ二つに切り裂いた――ように見えた。


「チッ……最悪。アイシハイクの時に私もソラにやったけど……自分がやられるとクソ腹立つな〜〜!」

 

「うぅ、腹立つ仕様でごめんなさい……でもこれで時間稼ぎにはなってますよね……?」

 

「お望み通りなってますねぇ〜〜!!」

 

 双剣の軌道は確かにクリオネを貫通した。しかしその体は、切られた場所から元の形へ戻っていく。刃の通った軌跡を埋めるように、何も無かったと言いたげに。

 無意識だろうが煽るレグラに、ライアのフラストレーションが溜まっているのが見て取れる。水の塊で作られたクリオネには炎も通じず、物理技も通じない。明らかに『天焼の魔神』(ライア)を封じるために充てがわれた人材だった。

 

(くそ……早く加勢しねぇと…………後で何言われるか分からない)


 リュウガはヒューヒューと鳴る喉笛を必死に宥めつつ、よろけながらも壁に手を着き立ち上がる。未だに視界に靄がかかり、目眩がする。それは恐らく、溺れたことよりも暫く血を飲んでいないことの方が影響しているのだろう。


(鉄の味が嫌いだからって先延ばしにするんじゃなかったな……)


 後悔したとて後の祭り。今は弱っている場合では無いのだ。一刻も早くリザイアの元へ向かわなければ、本当に取り返しのつかないことになってしまうのだから。

 そう言い聞かせながら前へ一歩を踏み出し、戦況を把握するべく、ライアを見た。

 ちょうど、その時。


「――――ら……!」


 彼女の死角で一匹のクリオネの頭が口のように大きく開き、三対の鋭い触手が牙を向けている。

 リュウガの声が音になるよりも早く、その触手がライアの脇腹にくい込み、肉を噛みちぎった。


「い゙っ…………てぇなクソッたれ!」


 ライア本人は激痛だろうと悲鳴を噛み殺し、犯人である方のクリオネに火球を撃っている。不老不死である歴戦の護リ人にとって、その程度は些事だとも言いたげだ。

 ――が、リュウガにとってはそうでない。


(血…………血だ……手の届く距離に、血が流れている)


 止血することもままならず、戦闘を続けるライア。脇腹からはとめどなく真っ赤な鮮血が流れ落ちている。

 錆びた鉄の臭い。普段であれば最も嫌悪するそれが、なぜだかとても甘美なものに見えて仕方がない。

 漸く落ち着いたはずの心拍が再び暴れ出す。

 唾液が溢れ、喉が張り付くほど乾いている。


(……赤い、血が……こんなに沢山…………目の前に!)

 

 気が付けばリュウガはフラフラとライアに近づいていた。

 視界はただ一点、ドクドクと流れる血潮に絞られ、それ以外は何も見えない。


「――?リュウガ、お前下がっとけよ。どうせ元より戦闘向きじゃねーんだから…………リュウガ?」


 なにか聞こえた気もするが、気にしている余裕がない。

 リュウガはライアがクリオネから目を離さないのをいいことに、中身が見えそうなほど抉れた腹に手を伸ばした。――と同時に、死肉に群がるハイエナのように、その生々しい傷口へ自身の牙を突き立てた。


 ☆


「――い゙っっったぁ!!お前、なに……何しやがる!!」


 金髪の女がなにか喚き散らしている。

 リュウガは自身の口を真っ赤に彩った血を舌で舐め取り、次の獲物へ目を向ける。

 古来より吸血鬼に噛まれた者は、その唾液を介して血を差し出すように操られると言われている。

 『蛮勇』(ソーン)の眷属としての吸血鬼も同様。事実、腹を抉られようと動きを止めなかったライアが、今は金縛りにあったようにピタリと動きを止めている。


「う……うわ…………何?仲間割れ……?おれのせい……だよね、ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」


 水から避けるように一段高いところに立つ青年。気が弱そうだが生命力は強そうだ。健康的な顔色がリュウガの本能を掻き立てる。


――まだ、血が足りない。


 後ろの女は放っておいても逃げられない。ならば、次はあの男を噛まなければ。

 全身の血が、魔力が、思考が沸騰するように熱くなる。いくら数ヶ月ぶりの吸血とはいえ、ここまでの興奮は珍しい。一瞬、そのような疑問が脳裏をよぎるも、絶え間なく膨れ上がる本能に逆らえない。

 視界がいつになく良好で、酷い耳鳴りがする。全てを見通せるような万能感がリュウガの理性を埋め尽くした。


「わっ…………こっち来た!た、助けてクリオネくん!!」


 二体のクリオネが大口を開けて飛びかかる。

 

 ――血のない魔力生物に用はない。


 リュウガは手にしたナイフでクリオネのある一点を突いた。鼓動のように蠢く赤い臓器、その内部にある一センチ四方の魔力の大元。刃がそれを引き裂けば、体を形成していた水が破裂し、重力に逆らわずにバシャりと音を立てて崩れ落ちた。

 自他共に戦闘向きでは無いと評価する者の動きとは思えない軽やかさ。

 跳ね返る水も一切気にせず、もう一匹も払い除ければ、もう獲物を守る壁はない。


「う…………あ……クリオネくんが消えちゃった…………」


 青年の顔が恐怖に染まる。腰が抜けたか、ガタガタ震える子鹿のような姿。背徳感のような、高揚感のような、形容し難い感情がリュウガの背筋を撫でた。

 意識が朦朧とする。目の前にいるのは間違いようもなくただの人間のはずなのに、どうしても血を蓄える肉袋にしか見えない。

 

 ――最高だ!人間の血を二人分も喰えるのだから!

 

(あぁ……これが嫌だから、オレは自分が嫌いなんだ)


 相反する思考が同時にせめぎ合うが、体は欲に逆らえない。

 拒絶する理性とは裏腹に、怯える青年に自身の牙が突き刺さる――


「はいはいストーップ。それ以上はやめといた方がお前のためだぜダンピール〜。ま、お前がどうなろうとどうでもいいけどさ!」


 ――皮膚を貫く直前に、リュウガの動きが止まった。

 腕も、足も、頭も首も、全身に絡む糸。弦のようにピンと張ったそれらは、鉄線よりも硬い魔力で編まれた蜘蛛の糸。炎のように熱いその先には、不敵に笑うライアがいた。


(なんで……あいつ動けないはずじゃないのか…………)


 リュウガが噛んだことで動きを封じられたはずのライア。流石の彼女も『蛮勇』の眷属(吸血鬼)の力には抗えないと高を括っていた。


「あはは!な〜に?リュウガくんってば、まさか本当に私が動けないとでも思ったわけ?バカにすんじゃねーっての。確かにちょ〜っと動きづらいけど、テメー一人抑えるくらいどうって事ねーんだわ」


 否、ライアは気丈に振舞っているが、よく見れば冷や汗を垂らし、上がった口角も僅かに引きつっている。腹の傷からは未だに血が吹き出している。かなり無理をしてまで、リュウガの暴走を止めてくれたのだろう。


「…………一言多いぜ……炎災め(フレイムギフト)


 二人目の犠牲者を出す前に、消えかけていた理性が戻ってきた。ホッとしたのもつかの間、熱に浮かされ気絶する子供のように、意識が手放されていく。

 完全に五感が途切れる前、最後に聞こえた言葉の意味を考える余裕は欠片もなかった。

 

「……お前は私の血だけは飲むべきじゃなかったんだ」

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