5章 9 冬と鉄
人間というのは、生活の際かなりの割合を視覚に頼って生きている。盲目の人は別として、見えないものを目を開けたまま知覚するというのは土台無理がある話なのだ。もしできる人がいるのであれば、それは達人的何か。もしくは本能的に野生で過ごしたような者たちだろう。
「あのメイドぉぉぉ!今度はどこに消えやがった!」
残念ながら、その括りにシアンは含まれない。いくら700年を生きようと、いくら『凍結の魔人』と畏怖されようと、彼女は常に目を開いて戦ってきた。否、視覚を完全に閉ざしてしまえば、他の感覚を研ぎ澄ませて姿なき声とも戦えるだろう。
しかしそれではダメなのだ。
「ほい、ここでトランペット・独奏」
目を閉じ、耳に集中すれば確かに多少は音や風の流れが聞こえやすくなる。普通の相手ならシアンとて十分に対応できる。ただし今それを行えば、暴力的な迄の音が襲いかかる。
「サックス入って・二重奏どうぞ。次の打楽器組入り気をつけて」
二方向からの音の塊が鼓膜を超えて脳髄を揺らす。間髪入れず、骨まで響く打楽器の重低音。圧倒的音圧に立っているだけで苦痛である。
耳を塞げば剣が持てず、魔法にシフトしようとすると音によって波長が崩される。術者本人を叩こうにも、彼女は姿を消して場所がわからない。
葉やアミナも同様。涙目で耳を塞ぐのが精一杯のようだ。
為す術がないとはこの事である。
「たかがメイドに一対三ですよぉ、みっともない。もっと頑張ってください」
「何が一対三だ、三体多だろうが!後ろに控えてる楽団を数に入れろ!!なんだそれ!」
「それとは失礼な。ラサリア様に仕込まれたカルヴィテリア式召喚魔法(私オリジナル改造)の爆音楽団ですよぉ」
トーンと名乗ったメイドが虚像のようにぼんやりと姿を表す。その彼女の背後には楽器を持った人形が数十人。トーンを指揮者に見立て、何層にも重なる旋律を奏でている。否、奏でると言うよりは音で殴るの方が正しい。
「そこ!リタルダンド大事に、音の切り方やんわりと!」
闘牛さながらにハイテンポな演奏は、いつの間にか牧歌の如く滑らかな終わりへ向かっていた。再び姿消したトーンの指示に従うように、攻撃性ではなく芸術性を優先した締め。情熱的な一幕に区切りが着いたらしい。
「この隙に……舞台乱入、失礼するであります!」
「援護射撃も失礼します!」
曲が終われば多少なりとも身動きが取れる。次の曲に入る一瞬の隙を逃すシアン達ではない。アミナが飛び込み、葉が後方から風魔法を凝集した弾を打つ。
二人が人形の楽団へ向かう中、シアンは一人床に手を付き静止した。
「あれ、貴女は向かってこないんですね。あの人には一番血気盛んって聞いてたんですけどぉ」
「悪いがそれは時と場合によるんでな。そこまで馬鹿じゃねえんだよ。それよりいいのか?大事な演者がやられちまうぜ指揮者様」
床から極度に薄い冷気を流す。微細な氷の粒子で部屋全体を覆うイメージ。姿が見えずとも氷をつければ多少は視認できる、との想定だ。たとえ上手くいかずとも喧しすぎる人形たちの動きを鈍らせることくらいはできるだろう。
最も、彼らは今アミナの操る巨大な鉄の拳によって見るも無惨なことになっているが。
「私言いましたよね、あれは召喚魔法の一つですよぉ。ピンチヒッターは沢山います。それにぃ、まだ一曲目ですよ。コンサート終幕には早いでしょ?」
しかしトーンの声は揺らがない。自身の楽団が壊されているというのに彼女は一切の動揺も悲嘆もなく、ただただ淡々と声だけを落とした。
「うわっ、アミナ下がって!」
葉の叫びにハッと正面を向くと、ニンマリ笑うトーンの姿と別の場所に浮かび上がる二つ目の人形集団。第二幕はここかららしい。
「なるほど、カルヴィテリア式召喚魔法……要はストックが阿呆ほど多いってことかよ」
「その通りですぅ。リザイア様然り、ディリシア様然り。この家の魔法はセレブでリッチに贅沢ですからねぇ。数で押すのがお好きな様で」
「そりゃあ公爵家だからなぁ。マジのセレブだろう……よっ!」
目の前で笑うトーンを蹴り上げる。彼女はくすくすと笑いながら再び姿を霞に変えた。
「次の曲は決まってなかったんですけど、あなたのお陰で決まりましたぁ。アイスダンスは専門じゃないけれど、冬の曲なら持っているので」
「チッ…………逆手に取られたか。葉、アミナ!今すぐこっちに戻れ!」
新たな楽団が弦を構える。視認はできないが、トーンが指揮を振り上げたのだろう。
なにがなんだかわからないという顔のまま、素直にこちらへ駆け寄ってくる二人。シアンはその背を思い切り叩いた。
「いっった!」
「な……何するでありますか…………?」
まるで千尋の谷に落とされた子獅子のような顔。説明無しに叩いたのは悪かったと思うが、その顔は心にくるのでやめてほしい。これでも理由があっての事だ。
シアンが説明をする間もなく次の曲が始まった。
「茶髪の貴女、葉さんでしたっけ?あなたなら知っているはずですよぉ。今からお聞かせするのはそちらの世界でも有名な四つの季節を題した名曲。『冬』の寒さに抗うように、せいぜい走り回ってくださいねぇ」
☆。.:*
「『土は土を支え、心を交わす杯を持つ』――シャナ一旦下がってて」
資材が転がる荒廃した部屋。ライアのいる水辺の部屋とも、シアンがいる継ぎ接ぎの部屋とも違う無骨な空間。鉄板や薪など、なにかに使えるが今使うべきではない物たちの眠る場所。
蓮夜は遥か遠い世界を跨いだ故郷に残る友の力を再び借りて、番傘を片手に紫黒の羽を羽ばたかせていた。
「おいおい、これが噂の鴉天狗かよ!カッケェな!ギルドーさんが欲しがるわけだぜ!」
「その名前を出さないで欲しいっス。鳥肌立っちゃう」
「鳥だろ?烏なんだから」
研究者にも使用人にも似合わない黒い地毛の見えた銀髪。バチバチに開けられた数多のピアスからは軽薄さと不誠実さが表れている。最も、その品の低俗さを象徴するのは容姿ではなく、夜の路肩に掃き溜まり狂騒状態を賑やかと勘違いするような馬鹿笑いであった。
「烏と天狗は違うものっス!!」
「テングって何?鴉天狗なんだから烏だろ」
「あぁーもう違うって言ってるのに!!このわからず屋!」
必死に弁明するも、糠に釘うち、暖簾に腕押し。己の中でこうと決まったら世界の全てが間違いだと言い張る男――バク。蓮夜が最も嫌う、対話のできない人種である。
「なんでこう俺の相手っていつも話が通じないんスか……」
「お?もしかしてロカのこと言ってんの?あのガキ、ほんとヤバいよな!」
「ヤバいって言葉を使わずに言ってみ?」
「え?…………あぁーー、スゴい?」
「語彙力の無さが顕著すぎるっス〜〜〜〜!」
以前蓮夜が戦った研究組織フィブルの子供、ロカ。彼、もしくは彼女もまた異世界人を悪だと決めつけ、全く話が通じなかった。しかしあの子は今目の前にいるチャラ男よりも語彙力があったと記憶している。
敵とはいえ自分より年上の男の情けない学力に、同情からか頭が痛くなってきた。
(って、こんな事して時間無駄にしてられないんだった…………リザも勿論だけど、シャナを早く安静にさせなきゃ!)
背後でぐったりと横になるシャナを一瞥し、心を切り替える。
ジオーネとの会談後、蓮夜とシャナはシアン達と分断されてこの部屋に出た。視界が開けるその瞬間に、既に攻撃体制に入っていたバクの蹴りがシャナの横腹に直撃していたのだ。苦しげに唸る彼女を一先ず安全な壁際に運んで、今に至る。
「何考え事してんだ?今はおれが相手してンだろ!?」
「自分に構って貰えなくなったらすぐこれだ。そういうの、社会に生きる人としてすごく良くないっスよ」
「うわっ、ロカの口癖使いやがった……」
バクの頭上を旋回する蓮夜。そして、それを狙うバク。彼の魔力から作られた釘や鉄筋がネイルガンのように次々と撃ち放たれる。ジッとしていると鋭利な鉄が羽や足を壁に打ち付けるだろう。
「つっかさー!いつまでグルグル回ってんだよ、近づいて来いって!……それとも、テングってのはそんなにビビりなヤツなのか?」
「…………は?」
聞き捨てならない言葉に蓮夜の動きが止まる。偶然か、バクの連射も一旦弾切れのようだ。
自分のものとは思えないほど地の底のような低い声が漏れ、蓮夜の手に握られた番傘がギシッと悲鳴をあげる。
「だってそうっしょ?いつまで経っても人様の頭上をグルグルグルグル。避けることしかしないくせに、口だけは達者なんて、ビビりじゃねぇなら何だっての。え?」
「あぁ……あぁそうっスねぇ!おっしゃる通りで困っちまうっス。――――その言葉今すぐ撤回してもらう」
「ハハ!やってみろよチキン野郎」
蓮夜の目が赤く光り、三本の傘を一手に構える。
バクの銀が鈍く反射し、無数の鉄が生み出される。
窓のない部屋に狂風の気配が立ち込め、散らばった廃材が怯えるようにガタガタと震えた。




