5章 8 三者三様
「流石の逸材ですね。大天使を召喚した際、もしやとは思いましたがここまでとは。これほどまでに『陽光』の祝福を受けて、尚且つそれに耐えられる人間は他にいませんよ」
声が聞こえる。受話器の向こう側のようにくぐもってハッキリとは分からないが、聞いたことのある男の声。ぼんやりとした意識では、その言葉を認識することも難しい。
自分が自分でないような。自分とは何だったのか分からないような。微睡みに溶けるかの如く曖昧。
「時間稼ぎを置いたとはいえ、あの方々もそろそろ向かって来る頃でしょう。まぁ、どういう結果になったとしても私には益しかないのですが……」
声がどんどん離れていく。実に不思議な感覚だった。
冷たい。体が透き通ったと疑うほどに軽く、脆く、何も無い。
温かい。羽毛のような柔らかな空気が包み込む。白く、深く、輝いて。
『いやぁ〜いくら研究だって親が許可しても、女の子の体を無遠慮に改造するなんて卑劣すぎてドン引きだよねぇ〜〜』
意識が遠くなっていく途中、間の抜けた少女の声が聞こえた。
(ついに幻聴まで聞こえてきましたのね……)
一人で過ごす最期を拒んだことで、ついに脳がイマジナリーフレンドを作り出したとでも言うのだろうか。自分の精神が弱りきったという事実をまざまざと見せつけられた気分だ。
『やだなぁ、人を幻扱いしないでよ。わたしはここ存在しないけど、間違いなくこの場にいるんだから。ね、囚われのリザイアちゃん』
(…………?)
幻聴は自身の思考に答えるように呼応した。そしてはっきり、自身の名を呼んだ。リザイア――と。
(そうだった、何忘れた気になってたんですの私は!)
名を呼ばれた。たったそれだけの事だったが、お陰で不思議と朦朧としていた意識が覚醒した。天使との融合が始まっていたとはいえ、どうして自分のことを忘れかけていたのだろう。
『そうそうその調子!こういう状況は自分を忘れたら終わりだよ』
未だ視界はぼやけたままだが、少女の声が嬉しそうなことは伝わってきた。無邪気に励ます明るい声。それに釣られてリザイアも負けるものかと、なけなしの自我を奮い立たせる。
『安心して。『陽光』に照らされるまでの間、誰でもない、名前もない神の器になる前に…………貴女は貴女だって事実は世界にとっての『真実』なのだと、わたしが保証してあげる』
(どうしてそこまでしてくれますの?見ず知らずの貴女は……)
『わたしが誰かは重要じゃないの。わたしはただ頼まれたんだよ。貴女のことが大好きなおともだちが、夢に見るくらい貴女を救いたいって願ったからね』
誰かが願った。リザイアを助けて欲しいと。
まさかその想いが遠い誰かに届いたとでも言うのだろうか。そもそも、一体誰がそんなことを想ったのだろう。仮に想いが魔法を作ることはあるとして、万人ならともかく、たった一人の想いなぞたかがしれている。
ぐるぐると回る思考に置いていかれそうになっていると、再び声がリザイアを呼び起こした。不思議と、ほんの僅かな言葉であっても、今のリザイアには何千何万もの援軍のような力強さが感じられた。
それはとても優しい声。祈るような乞うような、細くか弱い激励。それだけで、十分だった。
『翼竜だって夢を見るんだよ。
だからね……頑張って。神様になんて負けないで』
☆。.:*
「…………うわやっべ……」
ドヤ顔で「本物の空間魔法を見せてやる」と宣言したのはほんの数分前。現在、ライア=ディアスタシアは迷子である。
「お前さぁ……オレ言ったよな?方向音痴に付き合ってる暇はないって」
「はい……仰るとーり」
隣に立つリュウガが軽蔑の眼差しを送っているのがわかる。彼の言葉には反射のように煽りを含めて言い返すライアであるが、此度に関してはぐうの音も出ない。
「何が『断絶し、作り替えられた空間でも直接目的地に飛べる』だよ。どこだここは」
本来の予定では直接リザイアのいるであろう部屋に飛ぶ予定だった。いくら分断目的で屋敷を作り替えようと、計画の要であるリザイアの位置は変わらないと予想したためである。
「あとなんだっけ?『神を作るなんて大掛かりな儀式なら、意味を持って場所を選ぶはず。だから屋敷の内部が変形しても地理的に目的地の位置は変わらない』……だっけっか?」
「おっかしーな……座標ズレたかなー…………」
目の前に広がるのはどう見ても庭にあったであろうプール。それも歪に変形した屋敷の一部として地下室か何かと混ざったのか、さながら水属性のダンジョンである。
ジメジメとした湿度の高い異質な空間。中でも目を引くのは壁に飲み込まれた巨大な水槽。昔聞いた話、リザイアの母君――ラサリアの趣味が海洋生物の飼育だったはずだ。
つまり何が言いたいかと言うと……どう見ても目的地ではない。
ライアは現実逃避をするように目を閉じ、覚悟を決めて息を吸った。
「ほんっっとーーに申し訳ないっ!これに関してはマジの本気で事故!故意も悪意もない!マジで!」
「信用ならねぇ」
「ですよねッ!!」
効果音が着きそうなほど思い切り頭を下げる。ここ数年、否、数十年遡ってもこれほど見事な謝罪は無かった。しかも相手は長い人生の中で最も険悪な犬猿の仲のリュウガ。この様子をシアンやソラが見れば大爆笑どころか唖然とするレベルである。
そんな謝罪をバッサリ切り捨てたリュウガ。彼は数秒金髪の頭を眺めた後にすぐに興味を無くし、異質な部屋の中心部を見つめていた。
「えっと…………お客様、ですよね?」
彼の視線の先には一人の青年がいた。薄暗い部屋の中、待ち構えていたかのように部屋のど真ん中に立つ青年は、気弱そうにデッキブラシを握っている。その姿だけ見れば水槽を掃除しに来た使用人。しかし、こんな混乱の真っ只中にただの使用人がいるはずもない。間違いなく、ライア達の敵だろう。
(ギルドーのヤロー、私が座標ズラすことまで読んでたか?それとも何らかの方法でここに引き寄せた?もしくは……)
――ディリシアに描かせた地図が初めから間違っていた可能性。
ライアは自身が最も嘘をつくが故に、他者の嘘を容易く見抜く。しかしそれは悪意や隠蔽の仕草を持って見抜いているのであって、発言者本人が嘘を嘘だと認識していない場合は効果がない。今回のケースはそれに当たるかもしれない。
思考を巡らせながらも戦闘態勢を取るライア。なってしまった現在は変えられない。ならば一刻も早く目的地にたどり着くことこそ、今一番重要なことである。
「あ、あの!ライア=ディアスタシア様とリュウガ=バルブラッド様ですよね?お待ちしておりました!」
「は?」
今すぐにでも相手を倒してしまおうと双剣を構えた矢先、青年の口からなんとも緊張感のない声が響き渡った。思わず声を出したのはライアだったか、リュウガだったか。いずれにせよ彼女らが毒気を抜かれたのは間違いない。
「ジオーネ様よりここで貴女方を出迎えるようにと仰せつかっておりました、レグラと申します。よ、よろしくお願いします!」
「何あいつ。調子狂うな…………ん?」
手にしていたデッキブラシを置き、礼儀正しい元気な挨拶をするレグラ。しかし、気づけば彼の周りにフヨフヨと半透明の生物が二体漂っていた。
「なんだっけあれ、見たことあるんだけど」
「あ〜、クリオネだな『流水の天使』とか呼ばれる巻貝の一種だったはず」
「なんでそこまで知ってるんだよお前」
「たまたま昨日読んだ本が『海洋生物から見る魔素組成生物の仕組み』ってやつで……」
「………………」
「なんだよその顔」
「いや、お前って意外と本読むんだなって」
「ねー皆それ言う。私ってそんなに本読まない人間に見えるわけ?」
「いや、まあ……ね」
じっとそれらを見つめるリュウガの問に答えると、何故か彼は意外且つ半信半疑と言いたげな顔をした。全く持って解せないが。
閑話休題。
気を取り直して、ライアも目の前に浮かぶ生命体を注視した。
所々に赤い器官が透けて見えるそれは、本来は数センチ程度の小さな生物。しかし目の前にいる彼らは、人の子供くらいの大きさでレグラの周囲を守るように巡回している。
「レグラって言ったっけ。お前ここの使用人?私達お前らの可愛いお嬢様のとこに行きたいんだけど、通してくんないかな〜」
普段であれば即座に殺しに行くところ。彼の魔法であろうクリオネが術者を守っていようと、高々公爵家の使用人程度に遅れをとるライアではない。
しかし、環境が悪かった。
(湿気と水辺は炎魔法の天敵だっつーの。水の中でも戦えないことはないけど、屋敷事ぶっ飛ばす危険もあるし……出来れば避けたいところ…………あ〜やりにくい!)
恐らく、ライア達はあえて此処に誘い込まれたのだろう。ギルドーの読みがどこまでの精度かは分からないが、侵入者が最も嫌がる相手を設置しているのが見て取れる。
「えっと、そのぉ…………ごめんなさい、無理です。貴女達の足止め……?が、おれの仕事なので」
「…………足止め?」
「ホントにごめんなさい!!」
レグラの言葉に引っかかる部分があるが、それを熟考する前に先手を打たれた。
クリオネの一体がミサイルかロケットのように壁へ突進していく。それは、壁――もとい巨大な水槽のガラスへとぶつかった。
「げっ…………!」
衝撃によってヒビの入った水槽から水が溢れ、その勢いは瞬く間に激流へと変わる。タダでさえ中心部にプールという大量の水があるというのに、この水流では逃げ場がない。ほとんど抵抗する余地もなくライアとリュウガは深いプールへと押し流されていた。
周囲の景色が一瞬にして変わり、泡の流れる音だけが鼓膜に届く。口から空気が溢れ、綺麗なのかも分からない水が目に染みる。ライアは何とか必死に体制を整え、泡の浮上方向を認識し、手足に魔力を込めた。
その魔力を炎に変換させることなく思い切り放出させ推進力に。その流れによって一気に自身を押し上げた。
「…………ぶはっ、何しやがるテメー!」
水の弾ける音と共に酸素を求める肺が歓喜する。
ライアは息が整うのも待たず、天井付近でクリオネにしがみついている青年を睨み上げた。
「わっ、さすが『天焼の魔神』。水の中でも動けるんだ……良かった…………。でもごめんなさい、もう一人はダメだったみたいです」
「あ?………リュウガ?」
小さく安堵の息を漏らすレグラ。その言葉で漸く相方の存在を思い出した。辺りを見渡せど気泡の一つも上がってこない。水面は完全に沈黙していた。
「そっかアイツ吸血鬼!流水ダメなのか!」
てっきり普通に泳げるものだと思っていたが、彼はハーフとはいえ『蛮勇』の神の眷属、吸血鬼。異世界にもよく伝わる彼らの弱点は、エインスカイでも同様に適用される。
つまり――――|流水によって力が弱まる《泳げない》のである。
☆。.:*
畝る床に飲み込まれ、むにむにと消化されるような圧を受け、漸く葉は吐き捨てるようにペッとある部屋に吐き出された。
「…………ひでぇ目に遭った」
「化け物に捕食された気分であります…………」
葉を庇ったシアンや、葉と共に抱えられていたアミナも同様に倦怠感を滲ませている。
「二人とも無事だな。……にしても、私達はいったいどこに吐き出されたんだ?」
一足先に切り替えたシアンが辺りを見回した。つられて葉も周囲を確認するが、いくら異世界といえど奇妙な造りになっている
一つの壁には調理器具のような物が並び、また一つの壁には幾つもの写真が飾られている。上を見れば階段が途中まで天井から生え、よく見れば床の端にはどこに繋がっているかも分からない窓が中途半端に覗いていた。
どうやら様々な部屋がパッチワークのように継ぎ接ぎされているようだ。
「どこという明確な名前はもう無いですよぉ。ご覧の有様なので」
不思議の国の童話のように不可思議な部屋の中、誰もいないのに呑気な間延びした声が聞こえた。
葉達は三者三様に武器を構え、自然と互いの背を合わせる。どこから敵が来るか分からない。声だけが聞こえる、まるでニマニマ笑う猫のように。
「うわぉ怖い。…………あ、貴女見たことありますね。そこのオレンジ頭」
「えっ、自分でありますか?」
「そうですよぉ。クソ騒がしいとんでも副隊長」
姿なき声は、どうやらアミナを見覚えがあるらしい。それもこの言い方、間違いなくインターホンの対応をしていた女性だろう。アミナが外聞もへったくれもなく、貴族街ど真ん中で喚き散らしたあの時だ。
「まーじで中まで来るとは思わないじゃないですかぁ。あの人ホントにこんなチンドン屋しか呼べるのいなかったんです?」
不機嫌な声は――葉の背後から聞こえた。正確には三方向に構えた葉達の背後。三人の中心である。
「うわっ」
「――――チッ」
慌てて葉が一歩前に出た瞬間、舌打ちと共にシアンの剣とアミナの拳が同時に声の出処へ向かった。
しかしそれらはただ空を斬るだけで、嘲る声はまだまだ聞こえる。
「おぉ……流石、護リ人と国軍の副隊長。性格、態度はともかくとして技のキレはピカイチですねぇ」
「あぁクソ、腹立つ。いい加減姿晒せっての!」
「そうであります!こっちは急いでるんですから!」
「えぇ…………まぁ、いいですけどぉ」
シアンの怒鳴り声に観念したのか、声は少し離れたところで立ち止まった。
三人がそちらを向くと、何もない空間が揺らぎ、ぼやけていた姿がメガネのピントが合うように徐々に顕になる。クラッシックな白黒の衣装を着た、そばかすの着いた素朴な顔。声によく合うやる気の無いメイドがそこにいた。
「はい改めて。カルヴィテリア邸にようこそぉ。こちらのお部屋は私、冴原トーンがご案内しまぁす」




