5章 6 愛憎
厳重に閉ざされた門から電子音が響く。
スピーカーの向こうから面倒くさそうな、それでいて一応の礼儀は払っておこうという雰囲気の声が発せられた。
「はい。カルヴィテリアでございます。大変申し訳ございませんが、アポイントメントのない方はお引き取り願いますぅ」
「アポイントメントなら取ってあります。私、シャナ=アウスレインと申します。デリィシア様にお繋ぎください」
シャナは一歩踏み出し、堂々、はっきりと告げた。
自分の一言が、この作戦の狼煙となるのだ。一切の動揺も許されない。威風堂々。公爵令嬢にふさわしい態度を崩してはならない。まず屋敷に入ることも叶わなければ、今後の計画全てがおじゃんなのだから。
「えっ、アウスレイン公爵家……?!大変失礼しました!ただいまディリシアをお呼びいたします。どうぞ中へお進み下さい」
スピーカーの向こうで酷く狼狽した気配がする。
ホッと安堵の息が漏れた。これで第一関門はクリアした。次の作戦を思い出すように、シャナの頭に数刻前の記憶が流れていく。
『さて、正面作戦は私、蓮夜、アミナ、葉。そして要はシャナ、お前だ』
『うん?なにゆえに』
ここに来るまでの道中。シアンから大まかな立ち位置は伝えられた。
曰く、蓮夜、アミナは建前上シャナの護衛。葉はディリシアが「新しい迷イ人を招待したい」と誤魔化しているらしい。尚、シアンは護リ人として迷イ人の保護者枠――とのこと。
突然話の中心に立たされたシャナは首を傾げた。その様子を一瞥したシアンが何かを託すようにシャナの肩を叩く。
『同じ公爵令嬢なら、いくらカルヴィテリアでも無下にはできないだろ。むしろそれでも無理ならジオーネはもうダメだ』
その時のシアンの目を思い出して、再び深呼吸をする。怒りを抱いているのはシャナだけではないのだ。
門がひとりでにゆっくりと口を開けた。
まっすぐ、目の前に広がる殺風景な庭を睨みつける。
リザに会いに何度か訪れた何の変哲もないはずの屋敷への道が、今は何よりも過酷な茨の道に見えた。
☆。.:*
殺風景なのは庭だけではなかった。屋敷の中も必要最低限。花も絵画も装飾もない建築物としてのデザインだけが残っていた。
シアンは基本貴族と関わりを持たない。例外的に王城やフォレイグン辺境伯の屋敷に出向くことはあるが、その二つだけである。故に、比較対象が乏しいのは確かであるが、それにしてもカルヴィテリアは事務的な屋敷であった。
「お待ちしておりましたわ、皆様。何とか父に話を通すことだけはできましたの。どうぞこちらに」
一人のメイドと共に現れたディリシア。メイドは警戒心の強い猫のようにこちらを品定めしている。
蓮夜やアミナ達と軽いアイコンタクトを行った後、シャナを先頭、一歩後ろに蓮夜とアミナ、その後ろに葉、殿にシアン――という並びで進む。
彼女らに促されて辿り着いたのは最も奥まった部屋。どう見ても家主の居城である。古めかしく重厚な木造扉が、メイドの手によって開かれた。
扉の奥からは、カビかなにかのあまり好ましくない匂い。ずっと掃除せずに放置された図書室のような香りが漂う。
「ようこそおいで下さいました。お初にお目にかかります。ワタシがジオーネ=カルヴィテリアだ」
窓を背に金烏の威光を纏って鎮座しているのは、夜明けの空のような紫がかった髪を流す、酷くやつれた男。虚ろな目には生気がなく、一縷の光も灯していないというのにどこか確固たる信念も伺える。
男は机に目を落としたまま、こちらを見向きもしない。ただ一心に片手に収まるほどのペンダントを眺めていた。
「それで………………わざわざ大所帯で、一体なんの用だったかな。悪いが今、家が忙しくてね。お茶のひとつも出してはやれないよ」
「お父様、彼女らはリザに会いに来てくださったのです。せめて一目だけでもあの子を合わせてやることはできませんかしら」
全くこちらに興味を示さない家主だったが、ディリシアの口からでた「リザ」という言葉を聞いた途端、彼の時間が止まったように全ての動きが停止した。その後、先程までの死んだ魚のような虚ろな目が途端に輝いた。
「リザ……君たちリザイアの舎弟か何かかい?」
「友達っス!なんスか舎弟って!?」
「ははは!冗談だよ」
とんでもない言葉を吐き出した男に、蓮夜がつっかかる。じっとしていろと言ってはいたが、流石に流せなかったらしい。無理もない。
男は軽く笑った後、じっとこちらを見回した。その目は宛ら、娘の結婚相手を見定める父親のような。冷たくはないが価値を測られている視線。格式張った空気に慣れず、一歩後ろに下がっていた葉が居心地悪そうにしているのが見える。
「そうか……友達か。あの子にもこんなに暖かい友人がいたのだな。ワタシは父親として誇りに思うよ」
詰まる空気の糸が僅かに緩んだ。
男は隣に控えていたディリシアに「少し下がっていてくれないか」と伝え、シアン達に席へ着くよう促した。
(忙しいんじゃなかったのかよ……)
せっせとお茶を用意し始めた男を見て、シアンの心に波紋が広がる。
「忙しい」と言うのがただの嘘だった可能性はある。しかし、それにしても手のひらを返すのが早すぎではなかろうか。
「さあ!君たちから見たリザを聞かせてくれないか。娘の友人と会話する機会なんて滅多にないからね」
「勿論っス……あ、です!」
人好きの良さそうな顔を浮かべる男に、アミナと葉も戸惑いから顔を見合せている。「これどうすればいいの」と言いたげな シャナの視線がシアンに刺さる中、他人を疑うことを決して表に出さない蓮夜だけが和かに共鳴した。
☆
「あっはっは!レンヤ君と言ったかな。父親が言うのもなんだが……君は本当にリザイアを好きなんだな」
「はい!何があっても俺が守ると誓いたいくらいには好きっス!」
「おっと……正直すぎてこちらが照れてくるなあ……」
どうなる事かと思った面会も、蓮夜のバカ正直によって救われた。気が付けば葉達も僅かに相槌を打てる程度には緊張が解れているらしい。このままいけば閉塞感の強いこの屋敷も、風通しを良くすることが出来るかもしれない。「リザに会わせろ」という本題を出すのはまだ早いが、この調子で話に花を咲かせるのがいいだろう。
「正直に生きるってのが家訓なので!今度はおじさんからみたリザの話も聞きたいっス」
その考え自体は、蓮夜も同様だったらしい。上手いこと話を屋敷内部へ引き込んでいる。
「そうだな…………友人に聞かせるには親バカと思われるかもしれないが、あの子が生まれてから輝かしいこの世界がさらに色付いたんだ」
実際、男も話題に沿って気恥ずかしそうに頬を掻きながら語り始めた。
「あの子が成長する度、僕も頑張らねばと励まされた。あぁワタシの可愛いリザイア、僕達の宝物……!」
――が、それが何かの歯車を狂わせたらしい。
男の声が徐々に大きく、震え、慟哭の色を滲ませる。ペンダントを握りしめる彼は、もはや語ると言うより吼えるというほうが正しい。
その言葉の振動は次の一言で最高潮に達した。
「あの子のお陰で、あの子がいたから、あの子のために…………
あの子のせいでラサリアが死んだ!!」
怒号のような打撃音が部屋を揺らす。シアン達が弾かれたようにそちらを見ると、男が机を強く叩いていた。
その直後。音に呼応する火のごとく屋敷そのものが揺れ、意志を持つ生命のように蠢き出す。巨大な生物の胎内を思わせる動き。波打つように壁や床がぐにゃりと歪んだ。
(これは……分断される――!)
壁はシアン達を個別に捕食するように彼女達の引き裂きにかかる。砂浜よりも足場の悪い中、シアンは咄嗟に葉とアミナの手を掴んだ。波打つ床の向こうでは、蓮夜がシャナを抱えたのが見える。
うねりの中心地。焦点の合わない目で自身の手を見つめる男。なにかに取り憑かれたようにブツブツと呪詛の言葉を紡いでいる。
「あぁ。そうだ、僕の可愛い娘よ。あの子さえいなければ、愛しいラサリアが死ぬことはなかった。愛している、愛しているよリザ。君にこんなにも素晴らしい友達ができて僕はとても感動している!――だから!!」
状況は最悪。屋敷の主は正気を失い、屋敷そのものも異常事態。正面作戦班も分断は避けられない。このまま個別に始末する算段だろう。
(とはいえ――最悪といえどここまで全て想定内!)
シアンと蓮夜の視線が交じり、お互いの健闘を祈った。シャナと彼の組み合わせはほぼ最強に近い。よっぽどの事がなければ心配はいらないだろう。
シアンも葉とアミナを自身に引き寄せる。
床や壁に飲み込まれる寸前、男は天を向いて呟いていた。祈りのような、呪いのような、酷く自己中心的思考によって弾き出された裁定が。
「君に贖罪の機会を与えたんだ。君の手によって、今一度僕に幸せを届けておくれ――――リザイア」




